第32話 溶解する屍 11

 寿子の突飛な発想に、にわかには着いていけず、福井は聞き返した。

「定さん以外の、たとえば琴恵さんがな、おんなじことをやるんよ。みんなが見てる中、琴恵さんが部屋に入って、ドアを開けたら消えてるっていう」

「ははあ、そういうのもありかぁ」

 ゲームを二度に分けて行うとは、福井には思いも寄らなかった形式である。聞いてみれば、ないとは言い切れない。

「それにな、あんたと定さんと琴恵さんがぐるっちゅうのも、あるんかなあと思てるんやけど、どう?」

「……なるほど、第三者から見れば、疑って当然の選択肢ですね」

 苦笑いを浮かべた。

「さっき枝川監督に言ったように、僕は嘘をついてません。それを信じてもらうしかありませんね」

「せやろなあ。だいたい、共犯が何人もおって、人間消失なんかやってくれても、興ざめやわ」

 その点については激しく同意できる。福井は何度もうなずいた。

 やがて大きな懐中電灯を持って、枝川が引き返してきた。足取りは普段と変わらない。不思議な現象が起こったものの、事件や事故の可能性は低く、琴恵のゲームに関係あるかどうかさえ曖昧なため、緊迫感は薄い。

「ご苦労様です」

「いや。下には竹中さんが残ったよ」

 足取り同様、悠然とした口調で彼は言った。

「そうなんですか。――山城さん、光、見えます?」

 室内の寿子に目線を戻す。彼女は窓辺に寄り、両腕で大きな輪を作った。

「じゃ、こっちは上を調べてみるとしましょう。枝川さん、お願いできますか」

「いや、視力から言って、私は適任じゃない。君は眼鏡だが、どうかな」

「うーん、そう言われると……」

「私、一.五やけど」

 寿子が手を挙げた。彼女に頼むことにする。

 枝川から懐中電灯を受け取った寿子は、少しおっかなびっくりの様子で窓から下を覗き、それから上を向いた。

「あかんわ」

 ほとんど時間を経ずに、弱音めいたことを吐く。

 福井は戸口の見張りを枝川に頼み、窓へと走った。

「どうしたんですか。明かりが弱いんですか」

「そんなんやなくて……あんたも見たら分かる思うけど、だーれも通っとらへんで。何も跡を残さずにこんなところを登るんは、とてもやない」

「貸してください」

 懐中電灯を渡してもらい、交代した。上を照らす。

「あ」

 カバーがあった。今の今まで気付かなかったが、窓枠から五十センチほど離れた壁から、金属製の庇が飛び出している。九〇度の円弧を取り付けた形だ。幅は十五センチほどか。問題はその縁の部分。茶色い錆が浮いているのだが、全く擦れた痕跡がない。つまり、ヘンリー定が上に逃げたのだとしたら、庇にロープの類を触れさせず、手足を掛けず、屋上(というか屋根の上)まで登りきったことになる。

「これはもう、降りるしかないのか?」

 改めて地上を凝視する。竹中が調べているはずなのに、光を確認できない。恐らく適当に一回りして、早々と切り上げたのだろう。

「いや。待てよ」

 福井は手を伸ばし、壁表面を這わせた。材質は特定できないが、ざらりとした感触がある。

「……吸盤は使えないか」

 吸盤状の何か特殊な道具で登れないかと考えたのだが、うまく吸着しそうにない。いかにもマジシャンらしいやり口だと、内心、喜んだ福井だったが、完全に外れだ。

「隣の部屋の窓に移るのも……無理」

 再び腕を伸ばして、おおよその距離を掴もうと試みたが、途中でやめた。ゆうに五、六メートルはある。前もって隣室の窓を開け、ロープを結わえておけば、ターザンよろしく移れなくはなかろう。ただし、それは琴恵の協力があって初めて成り立つ方法だ。何しろ、三〇二号室の鍵が必要なのだから。

「調べてみる価値は、一応あるかな」

 そうつぶやくと、福井は窓から離れ、懐中電灯を寿子に渡すと、部屋を出た。隣の部屋の前まで行く。ドアを揺すぶったが、施錠されていて開かない。

「どうしたんだね」

 見張りを務める枝川の問い掛けに、福井は先ほど思い付いた推理を伝えた。

「面白い。この部屋からも誰も飛び出してきておらん。とすると、中に定さんが潜んでいるかもしれない訳だ。これはぜひとも鍵を借りて来ねばならん」

 張り切った様子で階段に向かう枝川。酔いはすっかり抜けたようだ。

「やれやれ。竹中さんも、枝川監督の半分でいいから熱心だったらな」

 ぼやいたあと、そういえば帰って来ていないなと気になった。二階の部屋に戻って、休んでいるのかもしれない。お酒が入った身体であれだけ動き回れば、それも無理からぬことと思えた。

「あー! あれあれ!」

 突然、三〇一号室から寿子の頓狂な調子の声がした。

 福井は一瞬ためらった。三〇二号室の前を離れたくなかったのだ。そこで彼はメモ帳に挟んであるシャープペンシルから芯を一本取り出すと、跪き、ドアの目立たぬ位置に立てかけた。こうしておけば、中にいる者が外に出れば、必ず芯を倒すから、少なくとも人の出入りがあったかどうかはチェックできる。

「どうしました?」

 やや遅れたが、福井は三〇一号室に駆け込んだ。寿子は相変わらず窓辺にいた。懐中電灯を闇に向け、特定の場所を照らそうとしているらしい。

「あ、あんたも見てみなさいよ」

 福井が駆け付けたと気付いた寿子は、腕を引っ張った。自然に、窓の前へと押し出される形になった高校生作家。懐中電灯を持たされ、どこを見ていいのか分からぬまま、外に光を浴びせる。

「池や、池を見てみ」

 寿子の言葉に反応し、庭にある池を探す。さしたる苦労もなく、スポットライトで捉えることに成功。

「あ。あれは……」

 絶句した。

 池には、ひと形の何かが浮いている。いささか距離があるため、はっきりしないが、どうやらヘンリー定その人のようだ。生気のない顔には、あの特徴的な髭の形が見える。失神でもしているのか、もがくことなく、漂っていた。

「定さん!」

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