第30話 溶解する屍 9

「私もあなたの作品の評判は知っていてね。実際に二冊読んだが、なかなか感銘させられた。本日このように知り合えたのも、何かの縁。お手伝いしてみたい。その代わりと言っちゃあ何だが、本の最後にでも協力者としてちょいと名前を載せてもらえたら嬉しいね」

「それはもちろん、かまいません……よね? 竹中さん」

 編集者に確認を取る。竹中は揉み手をせんばかりに、えびす顔になってOKを出した。

「私ども英俊社としましても、願ったり叶ったりの話で、ぜひぜひ、詳しくお話しさせていただきたいものです」

「いいですとも。ただ、このあとの種明かしに関しては、あなたに同席されるのは好ましくない」

「はあ」

 定のきっぱりした言いように、竹中の眉がハの字になる。

「私は本作りには素人だが、私が彼に提供したアイディアを基に、彼とあなたとの話し合いで一個の作品に仕上げる。これがいいと思うのですよ」

「承知しました」

 簡単に引き下がった竹中。折角よい方向に話が動いているのだ、ここは従っておこうという計算が働いたのかもしれない。

「一期一会。機会を大事にしないといけませんからねえ。福井君、いいアイディアをいっぱい掴んできてよ」

「分かりました」

 とんでもない成り行きになってきたなと思いつつ、福井は楽しみでもあった。

 だがその一方で、消失現象が未だ一向に始まらないことを訝しく感じてもいた。本館で挙行するからには、全員が集まる夕食時が最大のチャンスだったはず。

 しかしそれは外れらしい。今まさに定と福井が食堂を出て行こうというのに、お手伝いの三人に引き留めに来る様子は微塵もなし。琴絵の声によるアナウンスが入る訳でもなかった。その代わりに、中澤の「いいなあ」と羨む声が、間延びして聞こえた。


 定の部屋は、福井の入った二〇二の斜め上、番号で言えば三〇一号室だった。

「部屋数の都合と、私だけが単独参加であるために、一人、三階に追いやられたらしい」

 マジシャン自身の分析通り、彼一人が三階の部屋をあてがわれていた。ワンフロアに八部屋しかないのだから、個室を用意する限り、これが最も妥当な配置であろう。

「しばらく廊下で待っててくれるかな」

 部屋のドアロックを鍵で開けながら、定は言った。

「実は散らかし放題なんだよ。中には君にさえ見せたくない新しいネタや開発中の物もあってね。それを片付けるまで、ほんの少し、時間を」

「いいですよ、もちろん。気にしないで、ゆっくりやってください」

「では、お言葉に甘えるとしよう。私がいいと言うまで、くれぐれも覗かないでくれたまえ。終わったら呼ぶから」

「分かっています」

 こんなところに来てまで、新しいマジックを考えているのか……と感心する福井。定の姿が室内に消え、閉じられた扉を見つめながら、自分も新作のトリックとプロット、もっと煮詰めないといけないな、と気を引き締める高校生作家であった。

 三分ほど経った。古い建物とは言え、防音設備はなかなかの物。また夜になって風が強まり、家鳴りもしていた。おかげで、部屋の中からはかすかな物音しか聞こえてこない。何となく、片付けているような気配は感じられた。

 さらに五分が経った。今度は時計を見たので正確だ。依然としてドアは開かない。ただ、さっきまで感じていた片づけの気配が、薄らいだような気がしないでもなかった。

 八分に上乗せすることもう二分。福井はさすがに辛抱できなくなった。しびれを切らし、ドアへ一歩近付くと、軽くノックする。

「すみません! まだでしょうかっ?」

 大声を張り上げたのは、防音がどのくらい効いているのか分からないため。一秒ほどの間を置いて、中から「う、わー……」と、形容しがたい呻き声とも悲鳴ともつかぬ物音が聞こえた。

「定さん?」

 予想外の事態に、福井は努めて冷静に、ドアに耳を寄せた。だが、先の呻き声以上のものは聞こえてこない。

「定さん、どうしたんですか!」

 どんどんどんと、今度は激しくノックする。騒ぎを聞きつけたか、階下から竹中と枝川、それに山城寿子が上がってきた。彼らは口々に、どうした、何があったと叫び気味に言っている。

 福井は親しい竹中を中心に、状況を伝えた。

「開けてみるのが手っ取り早い」

 枝川が即決した。ドアのノブを掴もうとするのを、福井が制する。

「ちょ、ちょっと待ってくれませんか。いいと言うまで開けるなと言われたんです」

「緊急事態かもしれないんだろう? もしかすると、あのマジシャンにまた引っかけられているのかもしれんがね」

 続けざまにだまされるのは癪だと言いたげに、福井を押し退けようとする枝川。腕に力がこもっている。年齢の割にとても元気だ。

「ま、待ってくださいよ。それならせめて、僕が開けます。人に開けてもらって責任逃れしようというのは、好きじゃないから」

「ふむ。よろしい」

 枝川は腕から力を抜き、場所を譲った。

 福井はドアの正面に立ち、ノブを握ると、今一度中に声を掛けた。

「定さん! 開けますよ! いいですね?」

 返答はなし。覚悟を決めた福井が、手に力を込める。ノブは楽に回った。

「開けます」

 最後通告のつもりで言い、無反応を確かめると、一気にドアを開けた。

「あ。いない」

 指定された台詞を読み上げる大根役者のように、淡々と口にした福井。事実、彼の心の片隅では、定が姿を消した可能性を思い描いていたのだ。

「いないだと?」

 枝川が横をすり抜け、三〇一号室に入った。福井も歩を踏み入れ、さらに竹中、山城寿子と続く。

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