第12話 反転する殺意 8

「警察の描いた“真相”に沿えば、明らかだろう。吉山は有島に殺されそうになったところを、必死の思いで反撃し、殺した。全てはハプニングだ。あらかじめ同じスーツを用意しておけるはずがない」

「あ……」

 死角をつかれた思いだ。やりこめられ、しばし絶句してしまう。でも、反撃の糸口はじきに見つかった。

「地天馬。吉山が元々、同じスーツを二着所有していた可能性は、排除できまい? 証券会社の営業なんだから、連日、きれいなスーツを着用する必要があるはずだ」

「同じタイプ、同じ色のスーツを複数着持っていたかもしれない。だが、吉山にとって、下田さん達警察の来訪自体が、ハプニングだったはずだ。いつ来るか分からない警察を想定して、返り血を浴びていないスーツに自らの血を着ける偽装工作をし、さらに鍵や手帳などの小物を移し換える下準備をするとは思えないね。蓋然性が低すぎる。何らかの手を打つなら、むしろ、血塗れのスーツそのものの処分を優先したはずだ」

「しかし」

 未練の残る私の台詞を、今度は下田警部が遮った。

「スーツ二着説は、私も認められませんな。我々警察は、吉山の家を隅々まで調べましたが、めぼしい物は出て来なかった。血を浴びたスーツを跡形もなく処分するのは、想像以上に困難なもんですよ」

 警部直々に諭されては、私も引き下がるほかない。警察の捜査能力は信頼できるものに違いない。

「血痕の他、どんな疑念があるんです?」

 地天馬に促され、花畑刑事が説明を再開した。手帳のページを繰り、顔の間近に寄せる。

「もう一点は、吉山が負った傷の程度です。えーっと」

 花畑は細かな数値を列挙して、有島が本気で吉山を殺すつもりだったにしては、傷が浅いことを言った。彼自身が科学的に立証したわけではないせいだろう、やや辿々しかったが、内容の理解はできた。

「以上二点から、有島が吉山を襲い、逆襲されたという線は、やや怪しくなったと言えなくもないんですが……」

 部下の話を引き継いだ下田だったが、歯切れが悪い。語尾は宙に霧散し、眉間にしわを寄せた。

「ここから話が少々ややこしくなります。逆ではないかという見方が出て来たのですよ」

「吉山が計画的に有島を殺害したとでも?」

「な……」

 口を開け、しばらく固まってしまった下田警部。花畑は考えを見透かされたのが悔しいのか、歯ぎしりさえした。

 彼らの反応を見れば、地天馬が一発で警察の新たな仮説を見抜いたのは確かなようだ。

「どうしてそう思われました?」

「逆と言われたら、今のところそれしかないでしょう。吉山は有島を殺害後、遺体の懐に偽りの交換殺人のメモを入れ、自らの身体を軽く傷つけた。正当防衛を主張するために……」

「え、ええ。その通り。だが、これも吉山は否定している。あくまでも自分は襲われただけだと主張して譲らんのですよ」

「真実を語っているか否かはひとまず置くとして、吉山が有島を計画的に殺すことはあり得るんですか。動機は言うまでもないが、他にも、交換殺人の人間関係を把握する術を、彼が持っていたのかどうかも気になる」

「現在のところ、吉山と有島に直接のつながりは見つかってません。また、メモにあったもう一人、倉塚暁美との関係も出て来ない有様でしてね」

「――ああ、そうだ。僕としたことが、肝心な点を聞き忘れていたよ。倉塚がカッターナイフで襲われたときの、有島のアリバイは成立しているのだろうか」

 手を挙げ、話を戻す地天馬。だが、これは文字通り肝心な点だ。花畑が大きく縦に首を振った。

「普通、死人のアリバイを立証するのは難しいが、今度の場合、大学に問い合わせたら簡単に分かりましたよ。有島洋は先月の二十九、三十日と東北で開催された学会に出席していた。完璧なアリバイ。交換殺人の用件を満たす訳だ」

「学会の開催なら、第三者でも調べれば何とか分かるかな……」

 地天馬は頭の中で検討を重ねる風に、小さく首を振った。

「倉塚自身は、襲ってきた人間が森谷に似ていると言ってるんですか」

「いいえ。脅迫の件を白状してから後悔したのか、口が堅くなってしまい、まともに供述しない有様でしてね。粘っこくやってるんだが、さっぱりうまく行かない。もっと強引に締め上げようかと――」

「あなたの苦労話なら、太陽が南から昇るようになってから聞くよ」

「……」

 花畑刑事は黙り、かみつく寸前の猛犬のように歯を剥いたが、しばらくして口を固く結んだ。かっかした頭を冷やすためか、何やらぶつぶつ言い始めた。

「そうだ、今すぐ北極に行けば、苦労話や自慢話を聞いてあげられるな。かの地なら、太陽は南より昇り、南に沈む」

「まあまあ」

 余計な追い打ちを掛ける地天馬を、警部と私とで止めに入った。

 花畑は北極と聞いて頭が冷えた訳でもないだろうが、程なくして捜査状況の続きを話し始めた。

「とにかくっ。倉塚は有島を脅迫して金をせびり取っていた小悪党だ。大した金額じゃあないが、年に四回、五年に渡ってちびりちびりとせしめられた有島には、ボディブローのように効いてきたんでしょうよ。殺意を持ってもちっとも不思議じゃない」

「有島が倉塚に金を渡していたことは、確かめられました」

 下田が補足した。

「有島は現在独身で、生活を圧迫するほどの額ではなかったようですが……最近、あるお偉い研究者の娘と結婚話が持ち上がったらしく、その意味で、過去の傷をもみ消したかったんじゃないかというのが、我々の見解です。いや、我我の一部の見解ですな」

「その事実を、吉山は知ることができたとお考えで?」

「うむ。難しいであろうとしか言えませんな。倉塚自身及び彼女と関係のある人物が、吉山を介して証券取引に手を出した形跡があれば、光明を見出せるんですが、実際は全くない」

「ふん。それなら、一番目の仮説に立ち返って、有島と森谷の共犯を検討しますか。森谷は当然、犯行計画を認めていないんでしたね」

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