第6話 反転する殺意 2

「本当の説明って、刑事さん……」

 時間稼ぎのつもりか、意味に乏しい台詞のあと、言い淀む吉山。左手はとうに下ろされていた。

「私が見たところ、額の傷は雑誌で切るには長すぎる。左手の傷を見せてもらえれば、同じ刃物で着けられたものだと分かると思うんですがね」

「じゃあ、言います」

 突然、開き直った態度になった。吉山はふてくされた様子になり、性格の悪そうな目つきをした。

「暴漢に襲われたんですよ、帰宅途中にね」

「暴漢? 何時頃のことですか」

 花畑にメモを取るよう目配せし、下田は早口で聴いた。

「六時……五十分ぐらいだったと思いますね。ここへ通じるだらだら坂があったでしょう? その入り口のところ――川沿いの道と直角をなしてる角でやられたんですよ。いきなり茂みから現れて肝を冷やしました。幸い、軽い怪我だけで逃げおおせましたがね」

「何でそのことを先に言わなかったんですか。いや、それ以上に、襲われた直後、通報すべきだ」

「面倒に巻き込まれたくないんだ。疲れているし」

「あなたの好むと好まざるに関わらず、調べさせていただくことになりましょうな。近所で殺人事件が発生したんだ。あなたの遭遇した傷害事件と無関係とは誰にも言い切れない。おっと、犯人は例外だが」

 最後の一文にアクセントを置いてみた下田。吉山の反応を探る。相手は憤然として言い返してきた。

「関係あるとは思えませんね。どうせ私を襲った奴は、客だった連中の一人ですよ」

「客と言いますと……吉山さんが金融商品を勧めた相手、という意味ですか。お得意さん達から恨まれる覚えがあると」

「残念ながら、その通りで。儲けさせてやってる間は、おざなりの礼の言葉しかよこさず、損をしたらここぞとばかりに非難の嵐だ。その程度ならまだいい。補填しろと言ってくる奴等がどれだけいるか。ご存知でないでしょう?」

 確かに知らない。下田は首肯した。

「襲われても不思議じゃないと、ご自身はお考えなんですね」

「不思議じゃないとは言わないが、ま、金が絡むと、人間は目の色を変える」

「なるほど。あなた自身にも、襲われても警察に届けたくないほど、後ろ暗いところがあるんでしょうな。ああ、こりゃ失敬」

 吉山の顔色が変わるのを、下田は軽く受け流し、話を続けた。

「ところで今日、着ていた服を見せてもらえませんか。つまり、提出してもらいたいという意味ですが」

「服を提出? 何のためにです?」

 しばし逡巡する下田。返り血の有無を調べたいからに他ならないが、理由を率直に話していいものかどうか。

 五秒後、下田は結論を下した。血は血でも……。

「もちろん、出血の具合を見るためです。傷の具合からして、恐らく服に血が飛び散ったことでしょう。そこからあなたが襲われた状況を推測し、殺人事件と比較する」

「ふん。断っても、あなた方はしつこそうだな。まあ、協力は惜しまないよ。ついでに、私の負った傷も調べたらどうです」

「お願いしようと思っていたところです」

 嫌味を口にする吉だが、下田警部は思う壷だと意を強くした。花畑と二人で上がり込み、吉山に引っ付いてグレーのスーツ上下を用意させる。ぱっと見ただけでは、派手な染みはないようだった。

 少し訝しんだ下田だったが、切り札を出すのはこのタイミングが最適だと判断、ぶつけてみる。

「実を言いますと、吉山さん。こちらに伺ったのは、被害者の懐からあるメモが見つかったからでしてな」

「ほー、メモ。私が犯人だとでも書いてありましたか」

「いえ。あなたが被害者だと書いてありました」

「え?」

 不機嫌さを露に眉を怒らせていた吉山が、一瞬、惚けたように緩んだ表情を見せた。

「どういう意味です、私が被害者とは」

 下田は花畑に言って、見つかったメモの写しを示させた。吉山が交換殺人の図式を一目で飲み込めたかどうかは分からない。その説明は後回しにし、下田は人間関係の確認を始める。

「ここにある“私”には、被害者の有島洋氏が該当すると思われます。有島さんをご存知ですか」

「い、いや。知らない。初めて聞く名だ」

「でしょうな。それでこそ話が合う。では、森谷裕子という女性は?」

「……恐らく、あの娘だ」

 吐き捨てる吉山。開き直りの度合いが増した。気怠そうに天井を見上げ、ため息をつくと、一気に喋る。

「嘘をついても分かるでしょうから、さっさと白状しますよ。この森谷っていう女の叔父に当たるんだっけかな。喜与川きよかわという男が、私の客にいましてね。株と先物で大損して、自殺してしまった。半年以上前の話だ」

「何だって? では、その恨みでおまえを」

 花畑が先回りしそうなのを、下田は腕を横に上げて制した。ここは吉山本人に全てを話させるのがいい。

「私が焼香を上げに行ったときから、森谷は絡んできましてね。かわいい顔をして、言うことがきついし、しつこいんだ。葬式のあとも電話やら手紙やらで、『人殺し』だ『叔父を返せ』だと繰り返し非難されて、私もかっか来ましたよ。しかし、こんなことをいちいち気にしてたら、今の仕事をやってはいけない。無視し続けていたら、鳴りを潜めた。ここ二ヶ月ほどは静かになったんだよ。まさか、こんな計画を立てていたとは……」

 花畑の手帳を震える指差した吉山。酔った頭でも、交換殺人の図式を理解できていたようだ。あるいは、酔っ払ったふりなのかもしれない。

「あんたは襲ってきた有島を、逆に殺したんだな」

「ち、違う!」

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