第20話「しょうきに もどった!」





 紅茶とお茶請けがもったいない。


 その一心で、私はひとり薔薇の庭園に残りカップを傾けていた。


 まあ王女が大切なのはわかる。

 いずれはどこかに嫁いでいくとはいえ、王の子の中で最年長であるのは事実だし、尊重されて然るべき立場だ。

 その王女が急に錯乱して失礼なセリフを連発し始めたら、そりゃあ大慌てになるだろう。給仕など放っておいて全力で取り押さえて回収していくのも当然だ。


 王子に付き添い、寝室まで連れて行ったのもいい。

 あれだけ美しい王子がおねむで目をくしくししていたら、例え王城内であったとしても良からぬ何者かに攫われてしまってもおかしくない。それほど先ほどの王子は可愛らしかった。女装させたい。


 元々侍女は給仕のために用意していただけだし、その殆どは王女を取り押さえ、連行するために使ってしまった。唯一残っていた王子付きの侍女も王子を連れて去っていった。

 しかしだからといって、一応は国王陛下にも認められた第一王子の婚約者である私を庭に置き去りにするというのはいかがなものだろうか。

 いや私が寂しいとかそういうことではなくて、単に常識の問題である。


「……私も紅茶を飲んでお菓子を全部いただいたら部屋に戻って、ビアンカたちと遊んでようかしら。いえ別に寂しいからとかそういうことではありませんけど。でもこの時間だと、あの仔たち多分お城の探検とかを──」


 と、呟きを漏らしたその時だった。


 カタン、という小さな音が鳴った。


 なんだろう、と私は音のした方向、つまりは上に顔を向ける。

 すると、城の壁に作られた出窓のような窓が開き、そこから誰かが身を乗り出している光景が目に入った。

 危ない遊びをしている人がいるな、と思っていたら、その人物は後ろ向きの姿勢で窓からそのまま落下してきた。


「──あっ」


 その呟きは自分のものだったか、それとも窓から落ちようとする人物のものだったか。

 見覚えのあるドレスの裾が、落下する抵抗によってふわりと広がる様はまるでスローモーションのようだった。


(──危ない! 誰か、落下を止めて!)


 そう、叫ぶ余裕があれば叫んでいただろう。

 しかし落下する人物のドレスが見覚えのあるものであったせいか、動揺のせいで叫ぶことができなかった。ただ、心の中で強くそう念じたのみだった。


 しかし、美しい私の祈りは天に届いた。


 落下を始めていた見覚えのあるドレスの人物は、その速度が十分に乗る前にピタリとその動きを止めた。

 そしてスカートの一部が不自然に上に伸びており、どうやらそこを見えない何かに摘まれているようだ。


「──ああ、よかった……って、あれは……」


 よく見れば、彼女を摘んでいるのは見えない何かではなく、薄黄色の小さなヒヨコだった。

 ヒヨコは小さな嘴でスカートの端を咥えたまま、必死に翼を動かしてゆっくりと庭へと降りてくる。


 しかし途中で力尽きたのか、それとも嘴が滑ったのか、ヒヨコは私の腰くらいの高さまで降りてくると、そこで荷物を落としてしまった。


「──ぐぎゅっ」


 庭の芝生に顔から突っ込み、呻く荷物。

 やはり聞き覚えのある声だ。

 というかユリア嬢である。ドレスでわかっていたけど。


「あ、大丈夫ですか? ユリア様」


 ユリア嬢を放したヒヨコはそのままパタパタと飛んで私の頭にぽふっと収まった。


「……ぐぎぎ……。く、くそ……あのケダモノども……!」


 身体を起こしたユリア嬢は、いつものあの泣き笑いのような顔でよだれを垂らしていた。なんかもうこの顔見ると安心する気がしてしまう。


「ケダモノども? 王城にケダモノなんていたのですか? それは大変です。騎士の皆様をお呼びしないと」


「あっ、違、騎士はやめて! ケダモノといってもその、小さな獣みたいなもので、まあ犬と猫なんだけど、そう、犬と猫に襲われたのよ! 躾のなっていない犬と猫に!」


「お城に犬と猫、ですか。うちの仔たち以外にもいたんですね」


 躾がなっていないとなると、うちのビアンカとネラではないだろう。あの仔たちももうすっかり私に慣れてくれたので、夜一緒に寝るときも行儀よくしていて騒ぐ気配もない。


「……うちの、仔?」


「はい。実は私もお部屋で飼っているんですよ。白い犬のビアンカと黒猫のネラ。あとこの……まあヒヨコちゃんです」


 そういえば名前付けてなかったなヒヨコ。そろそろちゃんとした名前を付けてあげないと。


「王城に、そんなに何匹も犬猫ヒヨコがいるわけないでしょうが! あのケダモノどもはお前の差し金か! このッ!」


 ユリア嬢はそう喚きながら、立ち上がるなり私に飛びかかってきた。

 あら危ない。

 しかし、その動きは精彩を欠いており、危険だという印象は全く受けなかった。

 ただでさえ荒事などしたこともないような令嬢であるし、しかもなんというか、自分の身体の扱いにも慣れていないようなというか、どこかぎこちない動きだったからだ。

 

(踏み出しの足や振り上げた腕の速度はお嬢様にしてはまあまあ早いですが……それだけですね。これなら躱すのも投げ飛ばすのも簡単です。小足見てから何とかかんとかってやつですね)


 先ほどユリア嬢が窓から落下したときと同じく、風景がスローモーションに見える。

 よくはわかっていないが、これは物凄く集中したときによく起きるファンタジー現象のひとつだ。先ほどは動揺して結局何もできずに終わったが、落ち着いてさえいれば対処は難しくない。


「ぴい!」


 しかし私が行動を起こす前に、頭の上のヒヨコが突然飛び立った

 そして短い足を精一杯前に突き出し、襲いかかるユリア嬢の頭部に華麗な飛び蹴りをお見舞いしたのだ。

 まあ私の視界からだと、一部がハゲて黒ずんだテニスボールがユリア嬢の頭にクリーンヒットしたようにしか見えなかったけど。言うほど華麗な飛び蹴りかこれ。


「あがっ」


 人一人が全力で襲いかかってきた運動量を、テニスボールのごときヒヨコ一匹がどうにかできるとは思えない。

 しかし現実に、テニスボールを食らったユリア嬢はのけぞり、そのまま後ろに倒れてしまった。


(あ、まずいです。このままだと頭を打ってしまうかも)


 突進の勢いを点による衝撃で殺された時点で脳に甚大なダメージが入っているかもしれないが、だからといってそれ以上のダメージを受けてもいいとはならない。


 私は急いでのけぞるユリア嬢の後頭部に手を入れ、抱きかかえて転倒を防いだ。

 そしてそのまま優しく芝生に横たえた。


「あの、大丈夫ですか? ユリア様」


「あがっ。あがががががが」


 すると、仰向けにのけぞったままのユリア嬢の口から、何とも言いがたい黒ずんだもやのようなものが吐き出された。

 令嬢が吐いて良い息ではない。

 私は思わず顔をしかめ、鼻をつまんでそっぽを向いた。

 吐き出された靄は煙などと違い、途中で大気に薄められることなく空へと飛んでどこかへ行ってしまった。


「……何だったんでしょうか。あれは」


「──げほっ! ごほっ!」


 靄を吐き出したユリア嬢が咳き込む。


「あ、大丈夫ですか?」


「ごほっ、ごほ……。はあ、はあ、は、はい。その、抱きとめていただきありがとうございます……。ミセリア様……」


「いえ。こちらこそ、うちのペットが飛び蹴りなどしてしまい申し訳ありません。ですが、ユリア様もユリア様ですよ。急に人に飛びかかったりしてはいけませんよ。あと言葉遣いも乱暴でしたし。ケダモノ、だなんてはしたな──」


「ち、違います! 違うんです! 私は、私は──操られていたんです!」


 ユリア嬢は真剣な顔でそう訴えた。


「ああ、はいはいわかりました。やらかした人は皆さんそうおっしゃるんです」


 前世でもよく聞いた話だ。うろ覚えだが。

 例えば、SNSとかで言っちゃいけないこと言って「アカウント乗っ取られていました」とか。謝れないタイプの人によくあるムーブである。

 これもおそらくそれと根は同じだろう。貴族令嬢としてあるまじき顔をしてみたり、やってはいけないことをしてしまった失態を無かったことにするため、何者かに操られていたことにしたいのだ。

 だいたい、冷静に考えて、ユリア嬢を操って変顔をさせたり窓から紐なしバンジーをさせたりしたところで、利益を得られる人物なんて思いつかない。人一人を操る力があるならば、もっと建設的なことが出来るはずだ。


 なおも必死に弁明をするユリア嬢を宥め、私は彼女を客室へと連れて帰った。

 あそこなら着替えもあるし、芝まみれの彼女のドレスも着替えられるだろう。ていうか元々全部ユリア嬢の服だし。




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