第5話 近づいては離れて……また近づいて……

 襲撃事件の後、アリサはミハルと対面で商談するようになった。


「では、来週までに五百キロですね」

「ええ。あ、ねえミハル、この後バーでもいかない?」

「珍しい風の吹き回しですね?」

「別に……あなた、わたしと飲みたがってたし、たまにはいいかなって思っただけよ」

「そうですか……嬉しいです。とても」

「じゃあ、行けるのね⁉」


 無意識に声が高くなるアリサ。

 けれどミハルは左右に首を振った。


「いえ、申し訳ありませんが仕事が立て込んでまして」

「そう……あ、じゃあ来週は?」

「すいません……」

「ああ、いいのよ! 忙しいってことはあんたの事業も大きくなってきた証拠じゃない! 喜びなさいよ! ね、いま仕事楽しいでしょ?」

「……僕は、君と過ごす時間のほうが……」

「え……?」

「いえ、なんでもありません……では、また」


 ミハルは素っ気なく言い残して部屋を出ていった。

 その日の夜、アリサは自室で悶えていた。

 うっかり聞こえてしまったミハルの本音らしき言葉が頭の中を駆け巡っていた。


「ううううう~~~~! なんなの! なんでこんなにあいつの顔ばっかり頭の中に浮かぶのよ!」


 枕を抱きしめながらごろごろと転がるアリサ。


 これまで勉強とビジネスだけに向き合って生きてきた彼女は、これほどまでに自分の心をかき乱す存在と出会ったことがなかった。

 

 異性なんてものは悪戯に時間を浪費させるストレスの塊。

 心のどこかで見下していたはずの存在に、いまは心の底から会いたいと願ってる。

 自分のなにもかもを浪費してでも彼の声を、匂いを、温もりを感じたくて仕方がなくなっている。


「あいつ、前にわたしのこと素敵だっていってたけど……まさかあれって本気だったの?」


 無論、嘘である。


 ミハルは殺し屋という身分を隠してアリサに近づくために様々な布石を打っている。


 今日の商談の際に呟いた言葉も、もちろんわざと聞こえるようにいったのだ。


「あ、そういえば前に名刺もらったんだった!」


 そんなことなど梅雨知らず、アリサは自分の欲求に従い無意識に彼との繋がりを求めてしまう。


 アリサはベッドに寝転がったままスーツのジャケットをまさぐり、サイドポケットにつっこんであったくしゃくしゃの名刺を取り出した。


「あったあった!」


 パンのイラストが描かれた名刺を見つめ、目を細めた。


 あいかわらず裏社会の人間とは思えないほどポップな名刺。けれどこの名刺から漂う甘い香りに引き寄せられるように顔に押し付けるアリサ。


 この香りを嗅ぐだけで、心臓が落着きをなくしていく。


「そこらのヤクよりヤバい代物だわ……ってなにやってんのかしらわたし……」


 まさしくいまの彼女は彼女自身が大量に産み出してきた麻薬中毒者と同じ。心が暴走して破滅へと向かうジャンキーだ。


 そうわかっていながらも、彼女には自分を抑え込むほどの余裕などありはしなかった。


 名刺を見つめながら逡巡する。


 連絡するべきか、否か。


「……話すことないし」


 話すことなんか話しながら考えればいい、と頭の中の自分が囁く。


「……迷惑かもしれないし」 


 迷惑なんてたくさんかけてる。それでも彼は許してくれるってわかってる。


「……恥ずかしい……し……」


 お酒飲んでゲラゲラ笑ってる自分が、いまさらなにを。


「……それにこれじゃ、まるで……わたし……」


 好きなんでしょ?


 頭の中で囁き続ける自分の声に従って、アリサはスマホを手に取った。


 耳に押し当てられたスマホから五回ほどコール音が鳴り、あと一回なったら切ろうと思ったその時、通話口から「もしもし?」という声が聞こえた。


「あ! あの……ミハル……?」

「その声……アリサさんですか?」

「うん……あ、そっか。わたしの番号知らないんだっけ……」

「こんな夜更けにどうかしました? なにかトラブルですか?」

「違うわ。ただ……なんていうか……」

「どうしました?」

「お話、したくて……」

「……なるほど」


 それからアリサはミハルと小一時間ほど世間話をしたころ、ミハルが「いまから会いませんか?」といってきた。


「え、いまから? もうすぐ日付がかわるわよ?」

「いつも夜通し飲んでるじゃないですか。場所は、この間バイクでいった海沿いの道路でどうでしょう」

「……わかった」

「ちゃんとガードマンもつれてきてください」

「うん……」


 本当は二人きりがいい、とはいえなかった。


「大丈夫、もしもなにかあれば、僕もあなたを守ります。絶対に」

「うん!」

「では、また」


 通話が切られるとアリサは勢いよくベットから飛び起き、テーブルに置いてあった酒瓶ひっつかんで一気に飲み干した。

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