第2話 クラブ

 数日後。ミハルが向かったのは標的が普段から出入りしているというクラブ。


 カウンターの隅でちびちび酒を舐めていると二人の屈強なガードマンを連れた派手な女がカウンターの中央の席に座った。


「はぁい、マスター。元気ぃ?」

「こ、これはこれはアリサ様! ようこそいらっしゃいました!」

「いいのよそんなにかしこまらなくても。ね、いつものある?」

「は! ただいまお持ちいたします!」


 いそいそと店の奥に引っ込むマスター。

 女は暇そうに自分のネイルを眺めている。


 はたから見れば頭が空っぽな成金お嬢様。

 だがあの女こそ今回のミハルの標的。アリサ・ワシヅカだ。


 彼女はもともと外資系商社と経営する両親のもとで育った本物のお嬢様。

 有名な経済大学をトップクラスの成績で卒業し、その後は両親の会社に就職。


 そこで麻薬や武器の密売ルートを確保し、世界中の紛争地帯や反政府ゲリラに横流して闘争を煽る死の商人だ。


 前々から政府は彼女の抹殺計画を立てていたが、足がつくような方法で殺せば彼女の顧客が黙っていないことは明白。


 暗殺や毒殺などではなくでの死が望まれ今回ミハルに依頼が来たというわけだ。


(僕のような殺し屋に依頼するとは……政府もそうとう参っているみたいだね)


 ミハルは政府のエージェントではなくフリーの殺し屋だ。つまり今回の依頼は毒をもって毒を制すということになる。


 正義の所在はどこか。そんな哲学的な疑問を浮かべながら、彼は異様に甘い酒を一口すすった。


 ほどなくして店の奥から死人のような顔をしたマスターが戻ってきた。


「も、申し訳ありませんアリサ様……そのぅ……実は……」

「なに? はっきりいって」

「実はアリサ様が気に入られてらっしゃいますお酒がただいま品切れ中でして……」

「はぁ⁉ なんなのそれ! いつもわたし用にとっておきなさいっていってるでしょ⁉」

「ええとですね、それが……今日は手違いがございまして……」

「死刑」


 アリサはマスターを指さして言い放つ。


「へ?」

「あんた、死刑」


 アリサがもう一度いうと、後ろにいたガードマンがカウンターを乗り越えてマスターを羽交い絞めにした。


「あああああ! お許しください! お許しください!」


 マスターが命乞いをするなか、予想通りガードマンが離れたのでミハルはボトルとグラスをもってアリサに近づいた。


「はぁー最悪。こんな週末じゃやってられないわ……」

「もしよければ、僕のお酒を飲みませんか?」

「はぁ……? だれよあんた」

「僕はミハル。パン屋です」

「パン屋ぁ?」


 無論、嘘である。

 さすがに業界最高峰の殺し屋といえども、正しい手順を踏まねば仕事は成功しない。


 じろじろと足元から頭の先まで値踏みするように睨みつけてくるアリサ。


 いまのミハルはグレーのロングコートに茶色のハンチング帽。それによれよれの白いシャツと紺色のオーバーオール。


 どう考えてもお嬢様のアリサとは釣り合わない恰好だったが、彼女はミハルがもっているボトルを見て目を輝かせた。


「あー! それわたしのお酒!」

「いえいえ、これは僕のですよ」


 無論、嘘である。


 先ほどマスターがいった手違いというのは、ミハルが意図的に引き起こしたものである。


 この店に入る前、ミハルは納入業者に扮して店の中に入りアリサ用に保管されていた酒を一般客用の棚に紛れ込ませた。


 すべてはアリサと接点をもつために仕組んだ罠だったのだ。


「いまからわたしのお酒よ! ね、いくらで売ってくれる?」

「お金……ですか?」

「そうよ! その恰好を見ればわかるけど、あんた碌に稼いでないんでしょ? いまなら言い値で買ってあげるわよ!」

「言い値……ですか」

「そうよ!」

「残念ですが、お金は受け取れません。そもそもこれはタダで誰かに差し上げるために用意したものですので」

「タダ? どういうこと?」

「素敵な夜の出会いのために、ということですよ。素敵なお嬢さん」


 ミハルがそういうとアリサはリスのように頬を膨らませて噴き出した。


「ぷっ……あっはっはっは! なにそれ、まさか口説いてるつもり⁉ いまどき大学生でもそんな口説き方しないわよ!」

「おかしいな、これでも産まれてきた時に看護師さんを魅了したことがあるんですけどね……」

「それ赤ちゃんだからでしょ! ふふ、あんたいーわー! よし、いっしょに飲もっか!」

「いいんですか?」

「いーのいーの! なんかあんたいい匂いするし、ま、パン屋であることに感謝しなさいって感じ?」

「……ありがとうございます」


 ミハルがアリサの隣に座ると彼女は店の奥に向かって「おーい! もう許していいよー!」と叫んだ。


 店の奥からガードマンが出てくるとさっそくミハルを睨みつけてきたが、アリサが庇ってくれたおかげで事なきを得た。


 それからミハルはアリサが気持ちよく話せるように相槌を打ち、時には語り、時にはお道化てみせた。


「ちょっとトイレいってくるわねー」

「どうぞどうぞ」

「いっておくけど、わたしのグラスに悪戯したら承知しないからね?」

「……しませんよ」

「ほんとにぃー?」

「しません」

「あはは、それじゃ行ってきまーす!」

「はいはい、いってらっしゃい」


 アリサのグラスはカウンターの上で無防備に置かれている。

 けれど背後にはガードマンの一人がじっとミハルを監視していた。

 ミハルがグラスに手をつけずにいると、ほどなくしてアリサが帰ってきた。


「ただいまー! はーだしただした!」

「はしたないですよ」

「いーのよ。普段は真面目に働いてるんだから、たまにははしたない自分を出してあげないとそのうち爆発しちゃうでしょ?」

「爆発ってどんなふうに?」

「そりゃもう……どうなるのかしらね? 我慢したことないからわからないわ、あっはっは!」

「ふふっ……アリサさんは面白いですね」

 

 やがて日付が変わる頃、九死に一生を得たマスターに金を払い二人は店を出た。

 支払いをすませたのはアリサ。彼女が自分の稼ぎを自慢したいと察したミハルは用意しておいた金には手を付けずお言葉に甘えた。


「あの、またお会いすることはできませんか?」

 

 別れ際、ミハルはアリサを引き留めそういった。

 けっして重くならないように。自然な雰囲気で。

 

「えー? ふふふー、なぁーにあんた、まさかわたしに惚れちゃったのぉー?」

「かも……しれませんね?」

「んふふ、あなた可愛い。でもダーメ、わたしが欲しいならこの街でなりあがりなさい。わたしはパンに釣られる小鳥ちゃんじゃなくて、でっかいでっかい大鷲なのよ! じゃーにぇー!」


 そういってアリサはガードマンに支えられながら夜の街に歩いて行った。

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