第二章 アネスの償い④


「お言葉ですが先生……。僕は他の人とは違います。ヘキサ・シンがない自分がその原因すら罪と捉え、自信喪失に陥っているんです。僕はそれがヘキサ・シンの教えに背いていても、誰しもが平等と捉えることは愚かなのではと思えて仕方がないんです……」

「だが、君はあがいている。前に進もうとして壁にぶつかり、その壁を打ち破ろうともがいている……。そのもがきの一つが私とのリリースの特訓だよ。君の日々の鍛練や、罪滅ぼしもそのもがきだ。だから私は君を支えてやりたいと思った。君には失ったものなどないと、気づかせてあげたかった」

「そう……ですか……」

 無いものをあると思い込むのは、幻でも見ているようだった。そう勧める相手が、アネスの目指そうとしているヘキサージェンのトップに位置する人物からの教示であれば、残念な思いと、実感できないもどかしさがより増していった。

 だが、教える人間がそれ程の実力をもったダイガンであればこそ、素直に従おうと思えば従えるというのもまた事実だった。

 アネスは中庭の中央に立ち、瞑目した。そしてぼそっと唱えた。

「ヘキサ、リリース……」

 この詠唱は六つの力のいずれかを解放するときの決まりの文言だった。

 ゆらゆらとアネスの体から赤い光が沸きだった。

「その調子だ……」

 ダイガンの穏やかな声に、アネスも落ち着いて訓練に集中する。

 瞬間、アネスの眼底に金髪の少女の姿が蘇った。

 これは思い出の断片か……。

 実体のないように思えたそれは見覚えのある金髪の少女に変わった。自分の思いの中で金髪の少女、ココーネが仰向けになって眠っている。

 見てはいけない――

 自分のせいであの少女はいなくなってしまった。どの面を下げればココーネに会えようか。ココーネの顔を思い出すだけでも、自分にとって罪なのだ――

 はっと息を深く吐いた。

 膝をつき四つん這いになって、体の至るところから汗が噴き出した。

 地面を大きく開いた目で見つめ、息を切らす。

 ダイガンが顔を覗き込ませる。

「大丈夫かね? 少し休もう……」


 その有り様を校内の窓から眺めている二人の生徒がいた。

 二人は小さな笑声を響かせ、

「何あれ? ダイガン先生との特訓にしちゃ、レベル低いな!」

「写真は撮るなよ……。写石の劣化が激しくなる。あんなのを撮ったって人の目は引けないし、ダイガン先生に怒られるだけだ……」

「わかってるって。最近、面白い出来事がないからな。アネスとレザークの試合くらいしか目玉はないが、それも飽きがきているし……」

 新聞部の部員である二人、その一人の茶髪で長髪のズフクが持つ、拳大の石……。これを〈写石〉と言い、写真を撮ることができる石だった。

 エンブールドの人々が、源石という資源を見つけてから一世紀以上は経つだろうか。

 光を放つその石は、乗り物の燃料や夜道を照らす灯り、そして記憶媒体にもなる便利な素材として親しまれてきた。

〈石術〉と呼ばれるヘキサートとはまた異なった技術で、地下から発掘される源石を加工し、人々の生活に広く役立った。

「おい、見ろ、あそこにいるの、高等部のカナリ副会長だ」

 声を潜めて話す新聞部員の一人、フォドは前髪を少し生やした、刈り上げ頭だった。茶髪の新聞部員ズフクが、その方向へ視線を移すとフォドが続ける。

「見ろよあの美しさ……。他の追随を許さないような格別さがあるぜ」

「男子のみならず女子にも人気あるからな。男子の多くが告白したらしいが、未だお一人様だ」

「単にわがままなだけなんじゃねえの?」

「それが一人、カナリ副会長から告白したって奴がいるらしいぜ?」

「マジか! 誰だよそいつ?」

「それが色んな説があって、同じ四士会のジスード会長だとか、学生部の四士会の会長だとか、中には先生に告白したって噂もある。有力な説は、ジスード会長に心酔してるとか……」

「ジスード会長なんて、また堅物を……。でも信憑性はないんだろ?」

「正確な情報を持ってる奴を聞いたことがないねえ……」

「そっかあ」

 フォドは大きなあくびをし、

「何か最近つまんねえよなあ……」

 そう言うと、ズフクとフォドたちはカナリのいる方向とは逆の方へと歩いていった。


 黒い滝のような髪を背中まで垂らし、顔の側面に片側だけ髪止めをつけたカナリは、珍しくぼうっとしてグラウンドの様子に見入っていた。

 新聞部の二人が騒がしかったものの、カナリには慣れた会話の内容だった。

 自分は美しい……、沢山の異性から告白された……。

 それが自分の見た目をさらに飾り立てる物になるかは、はっきりと否定したいところだ。

 そんな噂がたち、複数の男子から思いを告げられたという経験を積み、心のどこかで、自分は美しいと冗談混じりに自信を持って見せても、カナリが告白した相手からは拒絶された。

 意味のないことなのだ。

 綺麗だとか、成績がいいだとか、結果、四士会という生徒の代表になれただとか……。誰かに称えられ、そんな名誉ある肩書きを得ても、本当に好きな相手と付き合えなければ意味がない。

 カナリは大勢の生徒がいる活気溢れた朝のグラウンドに嫌気が差したかのように嘆息をつくと、静かにその場から離れた。

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