プロローグ ②

 リング上では、アネスとレザークの睨み合いは続いていた。

 レザークは握っていた剣の先をアネスへ向け、

「リリースしないとは相変わらずだな……。貴様、ここ半年近くずっとそんな感じだが、一体どういう仕掛けで月一の試合にまで登ってくる? なめているかどうかは知らんが、手の内を明かさない貴様が、卑怯と言われても何も言い返せないぞ?」

 レザークが苛立ちをあらわにするのも、一目でアネスの体から光の現象がないのがわかるからだ。

 リリースすることで自然の力――ヘキサ・シン――が全身から勢いよく解き放たれ、光として視覚化される。表皮に表れた模様も発光と同じく超常的な力を自在に操ることができる証だ。それはこの世界の人々――エンブールド人――が戦闘態勢を取った意味でもある。

 当然といえばそうかもしれないが、アネスは自分の様子にレザークの顔がひきつりそうになっているのを見つける。そこで――

 審判が挙手した。試合開始の合図だ。それと同時にアネスが動いた。

〈試合開始と共に先に動いたのはアネス選手です〉

〈見守りつつ、ナキムさんと、私ボーノの解説を続けます〉

 試合の最中でもナキムとボーノの実況は校内の様々な場所で放送機器を通じ聞くことができる。

 試合中のアネスとレザークには、その実況を聞くことはできない。アネスは剣の柄を固く握りしめながら、放送部は自分のことをどう見、どんな言葉を発しているか頭の片隅で気になるも、すでにあと二、三歩でレザークの間合いという位置にまで来ていた。

 ヘキサ・シンを解放した後の、攻撃力や防御力などの各運動能力の底上げができていない上で、一位のレザークに挑む――。

 それはレザークの言う通り、試合を放棄しているのと同じだ。レザークがひきつった笑みを浮かべるのも当然だろう。

 アネスの大胆な行動には観客席にいる高等部の多くの生徒にも不快に見えたようだ。

「リリースもできねえ能無しが!」「基本すらなってねぇじゃねぇか!」「ヘキサージェン、なめてんじゃねーぞ!」

 毎度、罵声や怒号が飛び交う中、アネスはそれを聞き流しながら試合に意識を傾ける。地を駆けレザークへと近づき――。

 アネスは手にしていた剣を振り上げた。

 突きと横へ斬り払うなどの連続攻撃に、思ったよりも距離を詰めるのが速かったように感じたのか、レザークは避けるだけしかできない。

 ナキムとボーノの実況にも力が入る。ナキムの声が大きくなった。

〈たたみかけるアネス選手! ヘキサリリースをしていない状態で、ここまで一位のレザーク選手を追いつめるというのか!〉

 ボーノもナキムと競うように声を張り上げた。

〈行けるか! これはアネス選手行けるかあ!〉

 しかし、観客席からはレザークへと声援が送られる。

 アネスとは違い、温かな声掛けやリズミカルな掛け声が、リング上のレザークに降り注ぐ。

 レザークはアネスを再び睨み付けた。

「毎回どういう仕組みか知らんが……。リリースができないわりに、動きは俊敏……。剣の腕も相変わらず隙がない」

 アネスから繰り出される剣の攻めは、とどまることを知らない。レザークはそれを見切り、体を反らせたりして避け続ける。

 アネスがレザークの脳天から足元へと剣を振り下ろした。

 大きめの挙動――、レザークはその動きの終わり際が読めていた。

「ブライコーダ流……」

 レザークが詠唱と共に、剣を片手で持ち斜め後ろへ下げた。

 レザークの体から噴き上がっていた水色の闘気が、レザークの剣へと集束していく。

 そして、目にも止まらぬ速さで、上半身に隙ができたアネスを過ぎ去り際に斬りさばいた。

閃煌せんこう……!」

 リングの上で数瞬、静寂が訪れた。

 距離を保ち背中合わせになる二人。

〈空のヘキサート、閃煌が決まった! レザーク・ブライコーダ選手の家には代々受け継がれてきた『ブライコーダ流』という剣の流儀があります。これはその技の一種ですね? ボーノさん〉

〈そのとおりです。見事に決まりました〝閃煌〟。空のヘキサートで雷を伴わせた大技です。将来有望なレザーク選手ですね〉

 やがてアネスが力を失うようにリング上に膝をついた。

 レザークに軍配が上がった。

 勝者への拍手喝采とともに、アネスへの悪罵が混ざる。

 ナキムとボーノの中継は終わっていなかった。

〈いやいや、やはりこうなりますか、ボーノさん?〉

〈これがアネス選手の越えられない壁なのでしょう。アネス選手のヘキサ・シンはどこへ行ってしまったんでしょうか……〉

 アネスは雑多な野次など気に止めずレザークと再び顔を見合せ、軽くお辞儀をして試合会場を後にした。

 

 観客席の隅でその様子をじっと見つめる、四人の人影があった。

「派手に負けたな……。これは見てられない……」

 髪を額の中央で分けた細身の男子生徒が小さく肩をすくめる。前髪の片側を髪止めで整えた女子生徒が言葉を添える。

「ココーネがいなくなってからずっとあの調子だそうです、ジスード会長……」

 大柄の男子生徒が鼻で笑う。

「あいつに俺たちの狙い通りの素質は本当にあるんすかね、カナリ副会長。本調子でないのも、あいつはその報いを受けて当然のことをしたからっすよ……」

 大柄の男子に肩車されているのは、制服の袖が余っている小柄な女子生徒だった。小柄の女子生徒は大柄の生徒の胸の辺りに放り出した足をぶらぶらさせつつ、人差し指と親指で円を作り、双眼鏡のように目に当てた。

「みゅーん、むむ。あちしら四士会に興味があるのは、あいつの素質だけ!」

 ぶらぶらさせた足が大柄の生徒の胸に何度もめり込む。

「痛いって、ミュール……」大柄の生徒がにやけながら小さく呻いた。

「我慢しろ、ゴンダ。あんたはあちしの椅子なんだから!」

 髪止めをした女子生徒カナリがジスードに囁く。

「リリースもできない劣等生です。あの方の言う素質はどう考えても……」

「とはいえ、未だにレザークと競り合うくらいの実力はあるようだ……。今も伝説とまで謳われた、ダイガン先生から個別に特訓を受けているそうだしな。あの方の言っていることが事実ならば、私の目的にも利用できそうだが……。果たして……」

 ジスードは会場の端で、仲間にも見えないよう密かに笑みを浮かべた。


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