第十三話 打破

「ダメだ! やっぱり俺らの術なんて効きやしねえ!」


 残った者――それはセレスティーヌの側近とされる者たちばかりであったが、その表情には既に諦めの色が浮かんでいた。

 一人の男が術によって放った火球は二足歩行のドラゴンに近い生物の胸元に命中し、小規模な爆発と共に火の粉を散らすが、怪物はまるで涼風でも受ける様に悠々と間合いを詰める。

 運悪く、関の門は敵の背後にあり、怪物は意図せずに関を守る守護者のようになっていた。


「一旦ここは退却を!」


 震える手で剣を握るクレールが叫ぶが、エリーは冷静さを失わぬように落ち着いた声色で言葉を返す。


「簡単に退却は出来ないわ。仮に逃げられたとしても、誰かの犠牲は避けられない……」


 言葉を言い終える前に、斧を手にしたドラゴンが凄まじい跳躍と共にセレスティーヌに斬り掛かった。


「狩り易そう者が狙われるわ!」


 呆然としていた姫の身体を突き飛ばしながら必殺の一撃をかわすエリー。そして空を斬った斬撃はそのまま石畳を叩き壊す。

 

「ミーナっ! 行くぞ!」


 倒れ込んだエリーとセレスティーヌを救うべく、ジェフは長剣を腰だめに構えたまま突撃をする。


「うおおおお!」


 雄叫びに気付いたドラゴンは、石畳の隙間にめり込んで取れなくなった斧から手を離すと、素早くジェフの方を向き、大口を開けた。


「今だ!」

「くらえっ!」


 急遽攻撃を止め、横飛びに翻った少年の脇を、ミーナが投擲した感応石が紅い光の尾を曳いてドラゴンの口に飛び込む。


「喰らって吹っ飛べ!」


 少女の代わりに決め台詞を叫ぶジェフは、勝利を確信し拳を突き上げる。

そして、許容限界まで術の込められた感応石は怪物の体内で炸裂し致命の一撃を与える――、はずだった。

くぐもった音の後、ドラゴンは絶命しその膝を折る。二人の描いた筋書きは脆くも崩れ去り、敵はまるで煙草の煙を吐くかのように、その大きく裂けた口から煙を吐いた。


「えっ……、効かないの……?」


 ミーナは愛用のパチンコを構えたまま、顔を引きつらせた。

 かつて、人ならざる者を仕留めた一撃は何の効果も生み出さず、少女は一瞬呆然とする。


「ミーナっ! 来るぞ!」


 それでも幼馴染の叫びに我に返ると、ミーナは眼前に立ちはだかるドラゴンに身構えた。再び大口を開けるその姿を見て、少女は敵が鋭利な牙による攻撃を行うと予想した。四肢の動きに注目し、回避の瞬間を見極めんとする。

 だが、敵の一手はミーナの予想もしない一撃だった。しっかりと地を踏みしめたドラゴンは、深呼吸の後、その喉奥から火炎を吐き出した。


「うそでしょ!?」


 迫りくる大火球が少女の顔を真っ赤に染め上げたが、小柄さ故の俊敏さのお陰で紙一重、それを避ける。

 翻った後ろ髪の先を焦がされたものの、何とか敵との距離を取り直したミーナは、恐怖で乱れた呼吸を整えながら立ち上がると、セレスティーヌの傍らに居るエリーの方へと目を遣った。険しい表情を浮かべる彼女だが、その瞳はまだ力を失ってはいなかった。

 それとは対照的に、王妹やその取り巻きの者たち、そして姫の守護騎士であるクレールの顔は絶望に曇っている。


「大丈夫! 勝てるはずよ!」


 エリーは伊達メガネを投げ捨てながら立ち上がると、両手を突き出した構えをとる。


「うん!」

「行くぜ!」


 力強い声に、勇気を取り戻したミーナとジェフは、今一度眼前のドラゴンを睨みつける。

 だがそんな三人を見ても、周囲の者たちは握った得物を構える事なく、じりじりと後退するだけだった。


「無理だ、全員殺される……」


 雄々しい装束に身を包んだクレールだったが、彼の手にした剣は、その意気地の無さを表すかのように切っ先を地に向けている。


「弱気を言うなよ! それでも姫様の騎士なのかよ!」


 同じ剣士として不甲斐なく思ったのか、ジェフは長剣を強く握ったまま叫ぶ。

 それでも、セレスティーヌの騎士は青ざめたまま視線を下げるばかりだった。


「ちくしょう! 俺らでやるしかねえ!」

「まずは弱点を見つけるのが先決だね!」


 声を張り上げた後、まずはジェフが敵の間合いへと飛び込む。大振りな爪の一撃をかわした少年は、身を翻しながら足へと斬撃を叩きこむ。

 優れた剣の使い手である少女の祖父に鍛えられた鋭い一撃、それを比較的、皮の薄そうな、人間でいう所のアキレス腱を叩き込んだものの、やはりその強靭な鱗に阻まれ、大した傷を与える事は出来なかった。

 それでもジェフは攻撃をかわしつつ、同年代の少年を凌駕する身のこなしで、体力の続く限りに敵の気を引き付け続けた。


「ねえ、ドラゴンってトカゲみたいもんだよね?」

「ええ、広義で言えばね」


 幼馴染が奮闘する隙にミーナはエリーの元へと駆け寄ると、すぐさま声を掛けた。


「じゃあ寒さに弱いんじゃない? 凍らせると出来ないかな?」


 日頃、事典を読むことの多い少女は考えを巡らせた結果、少々突飛な提案をする。

 その発言にエリーは苦笑を浮かべたが、意外にもセレスティーヌが賛成の声を上げた。


「良いんじゃないかしら? 私、氷の術は得意よ。 三人でやれば、殺せないまでも動きを鈍らせるくらいは出来るかも……」


 諦める事なく戦うミーナたち三人の姿を見て、セレスティーヌは心動かされたのか、その表情には僅かだが希望が見て取れた。


「わかったわ。まずは私がドラゴンを足止めするから、殿下とミーナで氷の術を掛けて!」


 エリーが指示を出すと、二人は小さく頷き、そして三人はドラゴンの方に視線を向ける。


「おい! 早く何とかしてくれよ!」


 かすり傷まみれのジェフがそう叫ぶと、まずはエリーが一目散に敵の元へと駆け寄った。


「まずは動きを止めるわ! 何とか土の露出した地面に誘い込んで!」


 彼女は駆けながら火球を放ち、怪物の顔面に炸裂する。熱にも耐性のある強靭な皮膚には焦げの一つも作る事が出来なかったが、逆上を誘うには十分だった。

 大口を開けたドラゴンは、お返しと言わんばかりの大火球を再び浴びせかける。


「舐めないで欲しいわね!」


 避ける気配を見せないエリー。立ち止まり、意識を集中させ術を行使させると、煌めく霧の幕が展開され、火球の熱から彼女を守るように包み込んだ。

 まともに浴びれば大火傷は必至の火炎だったが、蒼い瞳の術士が作り出した霧の衣にその高熱を霧散させられ、さしもの怪物も忌々しそうに顔を歪めて舌打ちする。


「表情……?」


 ドラゴンに表情を変える事など、それこそ苦痛悶える事はあっても、獲物を仕留める事が出来ずに舌打ちするような知能など無いはず。

 けれども、目の前に居る道具を使うドラゴンに似た怪物は確かに表情を歪ませた。

それが何を意味するのか――、そんな事に些細な事に気を取られた一瞬の隙を敵は見逃さなかった。

人間とは比べ物にならない運動能力の持ち主は、先ほど手放した斧を素早く石畳から引き抜き、再び手にすると、馬三頭分は有りそうな距離を軽々と跳躍し、エリーに向けてその刃を振り下ろした。


「危ない!」


 叫びと共にジェフが飛び込み、娘を窮地から間一髪で救う。

 そのまま地面に倒れ込む二人だったが、怪物がそれを見逃すはずがなく、再び攻撃に移ろうとする。

 だがその瞬間、彼らの足もとは湿地のような泥濘んだ大地へと変貌した。エリーの術によって土と水が一瞬で混じり合う。


「今が好機よ!」


 娘の叫びと共に、大地から水分が抜け、再びその固さを取り戻す。巨躯ゆえの重量は深々とその身を沈め、怪物は胸元から下の自由を奪われてもがき苦しむ。


「やるわよ!」

「はいっ!」


 セレスティーヌとミーナは両手の平をもがく化け物へと向けると、意識を集中させる。周囲の大気は急激に熱を失い、意識を向けた先には煌めく氷の粒が舞い始めた。

 怪物の表皮にはいよいよ霧氷のように霜が付き始め、徐々にその動きを鈍らせる。

 だが二人の放つ氷の術の効果は、怪物の傍に居るエリーとジェフにも及ぼうとしていた。


「これじゃあエリーたちも凍っちゃうよ!」


 少女が躊躇いの言葉をあげると凍結の速度が弱まる。

 これを好機とドラゴンがミーナとセレスティーヌの方へと、錆び付いた機械の様にゆっくり顔を向ける。


「私たちの事はいいから! 全力でやるのよ!」


 自らの術で腰から下を土中へと埋めたエリーは、傍らのジェフを可能な限り抱き寄せると、今一度、煌めく霧の術を繰り出した。高熱だけではなく、冷気をも防ぐ霧の衣に包まれたものの、怪物の巨体を凍りつかせるまで二人が耐えられるかは定かでは無かった。


「さあ! 本気でやって!」

「わかったよ!」


 けれども、仲間の言葉を信じたミーナは、今度は躊躇いなく術を行使する。

だが、負けじとその冷気を吹き飛ばす火炎を吐き出すために、怪物は一度大きく呼吸を――、するはずだった。

 大きく膨らんだ鼻腔には氷の塊が詰まり、その体表は氷霜にびっしりと覆われていた。怪物はそれ以上動く事無く、その場に醜悪な雪像の如く佇んでいた。


「や、やった?」

「じゃないかしら?」


 全身全霊を振り絞ったミーナとセレスティーヌは突き出した手を下ろすと、互いに顔を見合わせた。


「お見事ね。死んだかはともかく、少なくとも行動不能にはなったはずよ」


 土から出た半身に、薄っすらと霜を付けたエリーが安堵の声を上げた。


「やった! 勝ったんだ!」

「まさかこいつを倒せるなんて!」


 身分の違う二人は抱き合って喜んだが、そんな彼女らを見ていたエリーとジェフは、未だ抜け出せずに土に塗れたまま、肩をすくめた。


「喜ぶのは解るんだけど、先に早く助けて頂けないかしら?」

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