第八話 お節介

 宿の中は心地良い静寂に包まれている。未だ演説場から戻らぬ民衆たちのお陰で、まるで街は夜の様な穏やかさだった。

 真昼の強い日差しを反射する白壁の建物。解放された窓から入り込むのは高地特有のひんやりとした風と、その風が運んで来る極僅かに聞こえる民衆の歓声だけだった。

 そそくさと、誰に言われるわけでもなく、帰路へ向けて荷物の点検を行うミーナとジェフは、一刻も早く故郷の土を踏まんと準備に勤しんでいた。

 そんな二人を横目に、エリーは窓辺の椅子に腰掛けたまま空を薄目で見上げていた。昨日の曇天は嘘のように晴れ上がり、彼女の視線の先には吸い込まれそうな薄群青の空がどこまでも続いていた。


「どうしたの? 用意しないの?」


 手を止めた少女は、蒼い瞳を持つ娘の前に歩みを進めて声を掛ける。


「後でやるわ」

「……元気無いね、お姉さんが心配?」


 エリーは一瞬、薄く目を開けるが、鼻で小さく笑うとその睫毛を伏せる。そして、首を横に振りながら背もたれに上体を預けると、不安そうなミーナに言葉を返した。


「いいえ、私には何の関係も無いわ。もう貴族でも何でも無い私に心配する理由なんてあるかしら? ちょっと疲れているだけよ」


 言い終えたエリーはおもむろに立ち上がり、そのままベッドへと体を投げ出すように横たわった。


「夕食まで少し寝かせてもらうわね」


 仰向けに、腕で光を遮るように顔を覆った彼女は、一分と経たないうちに静かな寝息を立て始める。本人が言う通り、少し疲れているのだろう。ミーナはそれ以上詮索する気にはならなかった。




 太陽が沈むと、先程までの暑さが嘘のように大気が熱を失っていく。大きく開けた窓を閉め、室内のランプに術による明かりを灯す。


「腹減ったなぁ。おいミーナ、エリーさん起こしてくれよ」


 少女の愛用する投擲具を手入れしていたジェフが声を掛ける。ミーナは壁に掛けられた最後のランプに明かりを灯し終えると、未だ夢の中に居る娘の肩を優しく揺すった。

そして二、三度、身体を揺すられたエリーはゆっくりと瞼を開く。


「ねえ、ご飯食べ行こうよ」

「……遠慮するわ、食欲が無いの」


 答える彼女の顔色は悪く、少女の心配は高まるばかりであった。


「うん、じゃあジェフと二人で行ってくるよ。少し何か買って帰るから、食べれるようならそれを食べて」

「ありがとう、そうさせてもらうわ」


 言葉を交わすと、エリーは再び瞼を伏せた。




「やっぱり何か思う事があるのかな……」


 先程まで言葉無く食事を進めていたミーナは、食器を置くとぽつりと呟く。その言葉は食堂に響く人々の話し声にかき消されそうな弱々しいものだった。


「エリーさんの事か?」

「うん」


 最後の一口を飲み込んだジェフが言葉を返す。


「ジェフはエリーが心配じゃないの?」

「……心配だけど、俺らに出来る事なんて無いだろ」

「そうだけど……」


 料理の残った皿に視線を落とした少女は、何か言いたげに口ごもった。

そんな彼女の様子を見た少年は、ため息の後に困り顔で頭の後ろを掻く。


「何が言いたいか当ててやるよ。お前、あの王女様を止めようと思ってるんだろ」


 言い終えると、もう一度大きくため息をつくジェフ。その言葉にミーナは思わず顔を上げた。

 そして、少年はそんな幼馴染に向かって更に言葉を続けた。


「その顔は当たりだな。あーもう、本当にお前って奴は……、分かったよ! 手伝ってやるよ!」


 諦めの表情と共に勝手に覚悟を決めるジェフを見て、ミーナは顔をほころばせる。


「わたし何も言ってないよ、でもジェフの読みは当たってる。本当に手伝ってくれるの?」

「止めても無駄だろ、良く知ってるぜ」


 呆れながらも作る笑顔は何ともキザで、そんな彼の表情を見た少女は吹き出しそうになる。

 こうして、何ともおせっかいで、極めて無謀なミーナたちの計画がゆっくりと動き始めた。




 部屋に戻った二人は、小さなテーブルを挟んでエリーと向かい合っていた。机上には持ち帰った軽食と、白い湯気を上げる珈琲が置かれている。

 けれどもエリーはそれらには手をつけずに、ミーナのおせっかいな発言に眉をしかめていた。


「言いたい事は分かったわ。確かにこれから起こりそうな戦争に際して、僅かとは言え姉の事が気掛かりであるのは事実よ。でも、どうやってセレスティーヌを止め、争いが起こる事を未然に防ぐの?」

「た、例えば、女王様とセレスティーヌ様が話し合いをするように説得するとか……」

「誰が? どうやって?」


 流石に今回の件に関してはエリーもぬるい態度は取らなかった。言葉を詰め、少女の考えの甘さを厳しく追及する。


「そこはエリーが上手くやって……」

「そんないい加減な計画にはとても乗れないわね。あれ程の覚悟のある人間が、部外者の発言にそう易々と心動かされる事があるとでも?」


 エリーは呆れたように言い放つと、テーブルに置かれたカップに手をつける。

 そして、彼女が暗褐色の飲み物に口をつけたその時、先ほどから黙り込んでいたジェフがすくと立ち上がり、妙案浮かんだりとの表情で口を開く。


「エリーさんが王女様にすり替われば良いんですよ!」

「「は?」」


 あまりの突拍子も無い発言に、各々怒りと呆れを含んだ声を重ねる娘たち。それでも少年は、提案に余程自信があるのか、二人を無視するかのように話を続けた。


「俺、王女様の姿を見て思ったんです。エリーさんと王女様はやっぱり似てる、しかも相当に。二人とも、美しさと知的さを兼ね備えた美女って感じですね、化粧とかで簡単にすり替われると思います」

「なるほど……」


 女性を見る目だけは優れた少年の発言を変に納得するミーナだったが、作戦の中心に据えられたエリーは額に手を置いて、大きくため息をついた。


「返す言葉が無いわ。第一、すり替わってどうするの? 突然『やっぱり政権転覆なんてやめます』とでも宣言すれば良いかしら?」

「でもさ、すり替われなくても、例えば身代わりとして近くに置いてもらったら、何か出来る事は見えてくると思うよ」


 否定的な意見を繰り返すエリーとは対照的に、前向きとも取れる発言をするミーナ。

 そして少女は自身の思うところを忌憚なく述べ始めた。


「わたしさ、別に無理にあの王女様を止めに行こうと思ってないよ。だってわたしやジェフには関係の無い話だから。でも、エリーは違うよね。この国の、アルサーナ王国の貴族のお姉さんが居るんだから」


 一度言葉を切ると、ミーナはエリーをじっと見つめる。僅かに潤んだその焦げ茶色の瞳は、どこか悲壮感を感じさせる。


「もしあの王女様が新しくこの国の女王になったら、きっと貴族の人たちは酷い目に遭うと思うよ。その中にはエリーのお姉さんも含まれるんじゃない?」


 もう一度言葉を止め、少女は大きく吸った息をゆっくりと吐き出す。


「お姉さんしか家族、居ないんでしょ? 何とかしようよ。もしわたしがエリーの立場なら、どんな事をしてでもお姉さんを救いたいな」


 心の内を語り終えたミーナは、その視線をおもむろに落とす。少女の視線が外れると、エリーも気持ちを紛らわすかのように珈琲で唇を湿らせた。

 そしてカップを置き、いよいよ観念したかのようにため息をついたエリーは、ミーナを見据えて言葉を返した。


「そこまで言われて何もしないと、まるで私が冷酷無惨な人間だと思われそうね。わかったわ、貴女たちの言う通りにするわよ」

「エリー!」


 嬉しそうに声を上げる少女と、呆れたような笑顔を作る少年。そしてそんな二人を見遣ると、金色の眉を僅かにひそめた娘はおもむろに睫毛を伏せる。


「でも、やるからには命懸けになるわよ。自分たちのしようとする事の重大さを覚悟なさい」


 それは自身に言い聞かせるかのように、独り言にも思えるような静かな語り口調だった。


 三人は明朝、セレスティーヌ――それは民の救世主となるのか、それとも戦禍をもたらす災いの使者となるのか――に会いに行くと決め、早々に床に就いた。




 「あのさ、あの王女様を止めるとか何とかするような大事にしないで、単純にエリーさんのお姉さんだけ国外脱出させるとかじゃ駄目だったのか?」


 朝市も終わり、人もまばらになり始めた通りを歩きながらジェフは言った。


「それってさ、無責任過ぎるよね。貴族の当主がいきなり蒸発したら、残された人って物凄く困るよね」

「その通りよ。もしそんな計画なら、私は乗る気は無かったわ」


 先頭を歩くエリーは、後ろの二人に顔を向けずに冷たい声色で言った。


「うーん、そうだな……」

「怖気づいたの? 嫌なら抜けても良いよ?」


 ミーナは不機嫌そうに、けれども、不退転の意を表するかのように真っすぐ前を向いて言葉を続ける。


「そもそも、姉妹で戦争するとかおかしいよ。話し合いでも何でもすれば解決出来るはずだよ」


 すると、その言葉を聞いたエリーは急に足を止めて振り返った。


「それは甘いわ。たとえ肉親であっても、欲望の為なら人は殺し合うものよ」

「じゃあ止められないって言うの?」


 これには少女も口を尖らせて食い下がる。


「そうは言わないわ。ただ、甘いと言いたいの。それに私は、あのセレスティーヌが自身の意思のみで行動を起こしているとは思えないわ。何か裏が、焚付けている誰かが居る気がするわね」


 一通り言い終えると、再び歩き出すエリー。その背を釈然としない表情で見つめながらも、遅れを取るまいとミーナは、そしてジェフも歩き始めた。

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