第四話 家族

 翌朝、久しぶりにベッドで身を休める事が出来た三人は、朝寝坊の範疇をおよそ通り越した正午過ぎに目を覚ました。最初に起きたのはミーナで、少女は物音を立てないように身支度をしていたが、気配に感づいたエリーもようやくその身を起こす。


「起こしちゃった?」

「大丈夫よ、流石にもう起きないと」


 彼女は立ち上がると、鎧戸を開け放つ。けれどもその先に待ち構えていたのは、昨日まで皆をその熱で苦しめていた太陽では無く、曇天模様のどんよりとした空であった。そして、季節外れの雪でも降るのではないか、と思えるほど冷え切った空気が部屋の中にも吹き込んだ。


「へっくし!」


 冷気に晒されたジェフは大きなくしゃみをする。寝惚け眼と鼻を擦る少年を前に、娘二人は肩をすくめた。




 この日は補給と休養を兼ねて、この砂漠の端に位置する鉱山の街を散策していた。すぐそこまで迫る山肌には、あばたにも似た採掘跡や地中深くに続く坑道への入口が其処彼処にあった。そして、そこでは大勢の男たちが忙しなく働き、怒号が飛び交っている。


「食事の後で食料の買い出しをしましょう。 くれぐれもいざこざを起こさないでね」


 エリーの言葉に、少年少女は間延びした返事をする。その直後、遠景に気を取られていたジェフが荷を運ぶ男と激突する。


「ジェフ!」

「言った傍からこうなるのね……」


 エリーは呆れた様にため息をつく。ミーナはと言えば、横でため息をつく彼女と出会った時の事を思い出して、悲鳴にも似た声を上げる。そして当のジェフは例の如く尻もちをついて座り込んでいた。


「おい坊主! どこ見て歩いてやがる!」


 男の運んでいた木箱はひっくり返り、その中からは白濁したこぶし大の石が地面に散乱していた。彼らは怒鳴りながらも、その石を拾い集める事を優先している。


 「ああああ、す、すみません!」


 自らの非を即座に認めた少年は、謝罪を口にしながら荷を集める事を手伝った。その様子を見ていたミーナとエリーも、呆れた表情を浮かべながらも石を拾い集めた。

 やがて石を拾い集め終わると、ジェフは頭を掻きながら再度、男に頭を下げる。


「すみませんでした……」

「まったく、気をつけやがれってんだ! にしても見ない顔だな。女連れ、しかも二人とは、兄ちゃんなかなか色男じゃねーか」


 冷やかしの言葉を受けて少年は身構えたが、その後に続く言葉は意外なものだった。


「まあこんな街に居るって事は色々あるんだろうからな、せいぜい頑張れよ。俺にも娘が、ちょうどそっちのお嬢ちゃんくらいの娘が居るんだがな……」


 男はミーナの顔を見ると、その埃に汚れた顔にどこか寂しそうな表情を浮かべながら語り始める。唐突に身の上話を聞かされ始めた三人、特にジェフは困惑の色を隠せなかったが、変な事を言って男の機嫌を損ねるわけにもいかず、時折相槌を打ちながら話が終わるのを待った。


「……ってなわけでさ、今はこんな所に居るけどよ、娘が嫁に行くくらいまでに戻りたいと思ってるんだよ」

「それは大変でしたね」


 少年はお手本通りの棒読みで言葉を返したが、男はそんな事など気にも留めずに、ジェフの両肩を掴む。


「わかってくれて、俺ぁ嬉しいぜ! 兄ちゃんたちも達者でな!」


 そう言い残すと、男は旧友との別れを惜しむかの如く、何度も何度もミーナたちの方を振り返りつつ、雑踏の中にその身を消した。


「良くわかんねーな」

「色んな人が居るんだね」


 ミーナとジェフは面食らったかのように肩をすくめるが、エリーだけは何か思う事でもあるかのように、男の去って行った方を未だ見つめていた。


「どうしたの?」

「そう言えば、エリーさんって家族の話とかしませんよね」

「家族、ね……」


 少年の言葉に眉をひそめた彼女は一度短くため息をつくと、それ以上何も言わずに歩き出した。




 夕食の後に、三人は部屋でくつろぎのひと時を堪能していた。窓の外は既に暗く、壁に据え付けられた感応石のランプが、暖かな色の光でぼんやりと皆を照らしていた。

 窓辺の椅子に腰掛けたエリーはグラスを手に、星の光の無い夜空を眺めている。すると、その彼女の向かいに置かれたもう一脚の椅子にジェフが腰掛けた。


「あの……、昼は何て言うか、すみませんでした」


 思いつめたような表情の少年が口にした謝罪の言葉に、エリーは目を丸くした。


「あら? 何か謝られるような事を私、されたかしら?」

「エリーさん、色々聞かれるのが嫌いだったよな……って思って」

「そう言えばそんな事言われた気もするわね。大丈夫よ、別に気にしていないわ」


 眉を八の字にした彼女は、困ったように笑いながらグラスの中身を口に含んだ。それを見たジェフも表情を一転、いつもの明るい顔つきに戻ると普段通りのおどけた口調で言葉を返した。


「それなら良いんですけど。あの時のエリーさん、普段にも増して怖かったですよ!」

「あら、それじゃまるで普段から私が恐ろしい存在みたいじゃない?」


 軽口を叩く少年をエリーはわざとらしく睨みつける。


「そんな事は……」

「そんな事は大有りだよね!」


 苦笑いで視線を逸らした彼の言葉に付け加えるかのように、ミーナが声を上げた。


「にしても、そろそろ家族の事とか、少しくらい昔話してくれても良い気がするなー」

「そんなに人の過去を詮索して楽しいのかしら?」

「楽しいとかじゃなくて、知りたいの! わたしたち、仲間だよね? 少しくらいは教えてよ」


 エリーは諦めの表情を浮かべると、観念したかのように大きくため息をついた。そしてグラスを台に置くと、二人の方を向き直して口を開く。


「そうね、退屈しのぎに少しだけ話してあげるわ」


 少女は興味深々な表情を浮かべるとともに、壁際に有った粗末な椅子を引き寄せて腰掛ける。それと同時にジェフも姿勢を正し、これから語られる昔話を聞き漏らさんとする。


「じゃあ……、まずは私の家族について。母は十二年前に、父は三年程前に亡くなったわ。姉が一人いるけど、長らく会っていないわ」

「エリーさんのお姉さんかぁ~、どんな美人なんでしょう? あってみたいな~」

「怖そう……」

「で、どうして会ってないかって言うと、喧嘩みたいな事をして家を飛び出したからなのよ。戻るに戻れなくてね」


 エリーは少し恥ずかしそうに視線を外す。それもそのはずだった。かつて眼前の若者たちが家出同然の冒険に出た際に、自分が説教をした事を鮮明に覚えていたからだ。


「エリーが!」

「家出!」


 その事を覚えていたのは説教をした本人だけでなく、された側も同様であった。ミーナたちは目を真ん丸に見開き、互いに顔を見合わせた。


「悪かったわね……、だからこそあの時、貴女たちを放っておかなかったのよ。確かに家に帰るように勧めたけど、結果的に旅を共にしたでしょう? それは私が貴女たちに少しだけ共感したからよ」

「別に悪いなんて思ってないよ! エリーにも色々あったんだなって、ただ少し驚いただけだよ」

「そうですよ! エリーさんって、いつでも冷静で慎重で落ち着いた大人の女性って感じだから、ちょっとびっくりしただけです」


 自分たちの反応で機嫌を損ねられては敵わないと、必死の弁明をする二人を見て、エリーは口元を緩ませた。


「それは若さが足りないって事かしら? さあ、話の続きに戻るわよ」


 うろたえる少女らを尻目に、彼女は話の続きを始める。


「で、私の家について。詳細は伏せさせてもらうけど、一応、このアルサーナ王国の貴族なのよ」

「貴族!」

「ホント!?」


 再び驚嘆するミーナとジェフに、少々うんざりした表情でエリーは言葉を続ける。


「それなりに力のある一門なんだけど、そういった所では色々といざこざがあるのが常。それに嫌気が差して、家を飛び出したの。姉が当主を継ぐから、私が居る必要も無いし」

「そんな……」

「どうせ残った所で政略結婚の駒にされるだけ。それが一族の為なのでしょうけど、あんな連中の為に私の人生を捧げるなんて、まっぴら御免よ」


 あからさまな嫌悪が彼女の表情からにじみ出る。二人は何故、エリーが自身の身の上を口に出さなかったかを理解した。それと同時に、半ば無理にではあったが、この話をしてくれた事自体が、彼女が少女たちを真に仲間と認めてくれた事である証左であると示していた。

 けれども、これ以上の詮索ははばかられた。話題を変えたかったミーナは少々不自然に笑顔を作りながら言葉を返した。


「じゃあエリーは今の生活、気に入ってるんだね!」

「そうね、少なくとも家に居た頃より遥かに良い生活ね。ふらふらと適当にやりくりしながら生きるのは気楽で良いものよ」


 少女の気遣いを知ってか、貴族の娘は目を細めて答える。そして、小さくあくびをするとグラスの中身を飲み干した。


「話はここまで、もう寝ましょう? 明日は早いわよ」


 一足先に床に就く彼女。その姿を横目にミーナとジェフは顔を見合わせると、何とも寂し気な笑みを作った。




 その夜の事であった。尿意に目を覚ましたミーナは用を足しに行った。そして、手洗いから戻り、不意に窓に目をやる。

 まだ夜も遅いと言うのに、鎧戸の向こうから僅かに光がもれている。気になった少女は眠る二人を起こさぬようにゆっくり窓際に歩み寄り、隙間から外の様子を窺った。


「なに……?」


 僅かに開けた鎧戸の隙間から見えたもの、それは大量の明かりが灯された、街を囲う防護壁と、宿の傍の通りを小走りに駆け抜ける男たちの姿だった。彼らは何か話しながら駆けていたが、距離がありはっきりとは聞き取れない。

 そこで少女は念じるかのような表情浮かべて自らの耳に手を添える。神経を集中させて音、すなわち空気の震えを己の術で干渉、増幅させる。


「ドラゴン……大量……襲って……まずい……」


 風を操る術を駆使して聞こえた内容はいささか物騒な話であった。青ざめたミーナは、気持ち良さそうに眠る幼馴染を叩き起こす。


「んだよ……」

「大変だよ! ドラゴンが襲ってきたみたいだよ!」


 暗い室内に少女の声が響いた後、壁に据え付けられた感応石のランプに光が灯る。


「いったいどうしたの? 説明して」


 いつの間にか目を覚ましていたエリーは身を起こしながら言う。説明を求められてミーナは自分の見た物、そして聞いた事を彼女に伝えた。


「何かの間違いだと良いけど……。一応、宿の人に聞いてくるわ」


 話半分の彼女は、上着を羽織ると部屋を後にした。


「もし何でも無かったらどうしてくれんだよ」

「本当だよ! 確かに聞いたんだよ!」


 未だにベッドから抜け出さずに、文句を垂れる少年の事など放っておいて着替えるミーナ。着替え終わると、使い込まれたパチンコと弾の代わりの石が入った革製の腰袋の中身を確認する。


「ミーナの言う通りよ。直ぐに身支度を」


 少女が支度を済ませたと同時に扉が開き、緊迫した様子のエリーが飛び込むように戻って来た。

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