第三章 ~『フーリエ領の少年』~


 クラリスは馬車の窓から外の景色を眺める。黄金色の麦畑が広がる光景は、差し込む夕日で輝いて見えた。


「フーリエ領も素晴らしい領地ですね」

「王国の食糧庫として評判だからな」


 アルト領にお株を奪われたとはいえ、長い歴史の中で、王国民の食糧事情を支えてきた場所だ。肥えた土壌に背の高い麦穂が並んでいた。


「だが驚きだ。まさか私たちがフーリエ領を訪れることになるとは想像さえしていなかったからな」


――時を遡ること数日前。屋敷に聖堂教会の神父であるゼノが訪れたことがキッカケだった。額に玉の汗を浮かべながら、彼は縋った。


「聖女様、どうかフーリエ領をお救いください」


 ゼノはフーリエ領の現状を語った。公爵の農園で採れた作物以外は販売が禁止されたこと、それに伴う値上げで、領民たちが苦しんでいることを。


 さらに問題は空腹だけではない。肉や魚のようなタンパク源を輸入に頼っていたこともあり、体調を悪化させる者も増えている。最悪の状況を打破しなければ、大勢の領民が死ぬことになる。


「フーリエ様は救いの手を差し伸べないのですか?」

「打つはずがありません。諸悪の原因は彼なのですから」

「で、ですが、苦しんでいるのは、フーリエ領の民なのですよ」

「下々の苦しみを気にするような人ではありません。腹が減ったのなら、雑草でも食わせておけと、豪語しているそうですから」

「そんな……」


 領民を思いやるアルトを傍で見てきたからこそ、フーリエ公の行動にショックを覚えた。どうにかして助けてあげたいと、頭を捻るが答えは出ない。


「作物の価格が下がればよいのですが……」

「寡占市場ですからね。ライバルがいないのに、下げる必要はありません。フーリエ公は意地でも現状を維持するでしょうね」

「販売が禁止されているなら、アルト領から食料を輸出することもできませんし……いったいどうすれば……」


 苦悩するように、美しい眉を顰める。そんな彼女に救いの手を差し伸べたのは、旦那であるアルト公爵だった。


「販売が駄目なら無料で配ればいい。それなら法律にも触れないだろ」

「ですが、それではアルト様に迷惑が……」


 敵対している領地に食料を配るのだ。販売とは違い、アルト領に得もない。配布すればするほど、金銭的な負担を背負うことになる。


「私の迷惑など考えなくてもいい。クラリスがどうしたいかだ」

「わ、私は……フーリエ領の皆さんを救いたいです!」

「ならその希望を叶えてやるのが、旦那である私の務めだ。なーに、気にするな。クラリスのおかげでアルト領の食糧事情が改善されたのだ。我儘を言う資格は十分にある」

「アルト様、ありがとうございます!」


 食料を配ると決めてからの行動は早かった。僅か数日で準備を整え、食料を詰め込んだ荷馬車の隊列がフーリエ領へと向かうことになった。


 その道中こそが、今である。食料を待つフーリエ領の民のことを想い、クラリスの表情には焦燥が浮かぶ。


「これだけの食料なら、きっと喜んでくれますよね?」

「腹を空かせているだろうからな。間違いない」

「到着が待ち遠しいです」

「……このまま何事もなければよいのだがな」

「何か心配事でも?」

「飢えて盗賊に落ちぶれるのはよくある話だ。私もいるし、護衛にクルツも連れてきている。襲われても返り討ちにできるがな」


 魔法を使える貴族が二人もいるのだ。危険はないに等しい。だがクラリスの前で暴力を振るうのは極力なら避けたい。


「アルト様、街が見えてきました。ですが……」

「随分と薄暗い街だな」


 石造りの商店が並ぶ街を荷馬車が進む。すれ違う人々に活気はなく、格好もボロ衣を纏っている者が多い。


 貧富の差が激しいと聞いていたが、まさかここまでとは思わなかったと、驚きでゴクリと息を呑む。流れていく灰色の景色が彼女の心を締め付けた。


「今、小さな子供が……」


 窓から見える街の景色に、路上に倒れ込む少年の姿が映った。考えるよりも先に身体が動く。馬を操っているゼノに声をかけた。


「ゼノ様、馬車を止めてください」

「お任せを」


 ゼノはなぜだとは聞かない。聖女が頼み事をするのだ。それは人助けのために決まっている。


 馬車から降りたクラリスは路上の少年の元へと走る。彼は骨が折れているのか、右足が変な方向に曲がっていた。


「誰だよ、あんた?」

「倒れているあなたが心配な、ただの通りすがりです」

「施しはいらねぇ。俺は貴族が嫌いなんだ」


 クラリスの格好は貴族としては地味だが、ボロ衣を纏っているフーリエ領の平民と比べれば十二分に豪華だ。貴族と見抜くのは容易い。


 少年は眉を顰めながら、失せろと手を振る。だがクラリスはその場から動こうとしない。


「どうして貴族が嫌いなのですか?」

「平民のことなんて虫けらとしか思ってないからさ。この足も、腹の出た貴族のオッサンに通行の邪魔だと、面白半分に折られたんだ」

「酷い人もいるものですね」

「あんたも同類だ。なにせ自分勝手な貴族なんだからな」

「あなたは正しいです。私は自分勝手ですから」

「ほらみろ」

「だからあなたの施しはいらないという意思にも従いません」


 クラリスは笑みを浮かべながら、少年の折れた足を回復魔法で癒す。痛みが引いていくのを実感したのか、少年の顔がパッと明るくなる。


「な、治っている。痛みが消えている。あんた、いったい何者だよ?」

「それは――」

「クラリス。一人で街を歩くのは危険だ。私を一緒に連れて行け」


 クラリスに追い付いたアルトが、背中から声をかける。振り向くと、彼は新鮮な果物を抱えていた。


「アルト様、それは……」

「クラリスのことだ。苦しんでいる人でも見つけたのだろうと思ってな。食料を持ってきたのだ」


 新鮮な作物を前にして、少年は腹の虫を鳴らす。奪うように果物を受け取ると、視線を真っ赤なリンゴに向けた。


「た、食べてもいいのか?」

「もちろん」


 少年はリンゴに噛り付く。口の中で弾ける甘みに、目尻から涙を零した。


「うめぇ……うめぇ……」


 リンゴを丸呑みするように芯まで食べつくす。一つ、二つと口の中に放り込み、アルトが運んできた果物はすべて彼の胃の中に収まった。


「ありがとな。美味かったぜ」

「どういたしまして」


 クラリスの笑みに、少年は頬を赤くしてソッポを向く。照れているのが態度に現れていた。


「俺は貴族が嫌いだ。それは変わらねぇ……だがな、あんたたちだけは特別に許してやるよ」

「ふふふ、ありがとうございます」

「じゃあな。この恩は忘れないからな」


 少年は背中を向けて、その場から立ち去る。小さな命を救えたことに、確かな生き甲斐を実感するのだった。

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