第41話:人魚姫の秘密3

「それではまた来週に」

 サウスポート家の表門は然程の広さがあるわけではない。ウェストデザート家のヘリコプターやノースキャニオン家の航空機が場所をとっているため、かなり混み合った状態だ。

 結局朝食の時間にも親睦を深めることなどできず、ギスギスとした空気が漂っている。

 その中で輝夜は、将斗に冷ややかな視線を向けつつ丁寧に頭を下げた。

 舞紗たちもそれに続くが、優里は同じようにはいかなかった。

「将斗様」

 皆の輪から一歩出て将斗に向き合う。

 話し合うなら全員が集まるこのタイミングしかないと思ったのだ。

「なんだお前、昨晩のことなら……」

「七海様のこと、とても大事にされているのですね」

「は……?」

 優里は将斗のワインレッドの瞳を見つめる。一時は怖いと思った瞳だが今は然程恐れるものでもないと思った。七海を通して彼のことを知ってしまったから。

「私はどうして七海様が器になったのかずっと気になっていたんです。そこで今朝七海様とお話をして真実に気づきました」

「七海と、話?」

 七海は言葉を喋ることも書くこともできない。だから意思疎通など難しいと誰もが思っていることだろう。

 それでも優里は諦めず真剣に七海と向き合った。

「三年前、祭りに参加せず海で一人遊んでいた七海様は赤龍に襲われた。そこに日頃から赤龍をよく思っていなかった将斗様が現れ、赤龍を殺そうとした。そしてドラゴンテイルは現れました」

 どのように鏡から抜け出したのかは分からないが、そこにドラゴンテイルが現れたのは間違いではない。

 それは七海の証言でも明らかだ。

「七海様は自らを器にして赤龍を殺すというドラゴンテイルの提案にのりました。きっとドラゴンテイルのシナリオでは七海様が器になって将斗様が赤龍を降ろし、彼女を救う何らかの要因によって将斗様の攻撃が防がれ……七海様が私のように龍を宿したまま生きながらえるはずだったんでしょう。けれど、ここで計画が崩れました」

 どのような救出シナリオがあったか分からないが、奏人たちが儀式の最中にタイミングよく介入できたということは、七海に赤龍が封印された後両親や使用人など誰かがタイミングよく現れ将斗を止める展開が用意されていたのかもしれない。

 ただ、その運命は覆された。全てはこの兄妹の思惑によって。

 そこで起きたことをはっきりさせなければ、きっと二人はすれ違ったままになってしまう。

「将斗様はドラゴンテイルの思惑に反し、七海様に赤龍を降ろすことを拒みました。どれだけ赤龍が憎くても、封印することさえ拒んで赤龍を逃がしたんです。そして、計画が崩れたドラゴンテイルは言いました。三年後、また赤龍が暴れる……その時に必ず七海様を器にするように、と」

 憶測も混じってはいるが、大方間違ってはいないだろう。七海の表情がそれを物語っている。 

「何故俺が赤龍を生かしてまで七海を助ける? そもそも何故七海は自殺行為に走ったんだ」

 確かに、と誰かが呟く。ここまでの優里の話だけでは不可解な点も多い。


「それは……お互いがお互いのことを好きだからです」


 しかし、優里はざわつく周囲に目をくれずきっぱりと言い放つ。 

 その言葉に将斗は表情をこわばらせ、七海は顔を赤くして下を向いた。

「三年前から既に将斗様はサウスポートの伯爵になる話が出ていて、赤龍は邪魔な存在だと言っていた。だから七海様は赤龍に出会った時、お兄さんのために赤龍を殺すための器になろうと思った。それは将斗様のことが好きだからです。どれほど横柄な態度を取られても憎まれ口を叩かれても、人見知りをする七海様にとってサウスポート内で唯一心を許せるのが将斗様だった。でも、その気持ちがドラゴンテイルに利用され、二度と思いを口に出せないようにしてしまった」

 七海がコクリと頷く。

 もし優里の時と同じならば……言葉を失ってしまえば言いたくても言えない気持ちに悩まされることはないと、そう告げられたのかもしれない。

 その方が幸せになれるから、と暗示までかけられて。

「一方の将斗様は七海様に対して当たりは強かったものの、やはり七海様のことを大切にしていた。だからドラゴンテイルの誘いには乗らず、七海様を助ける別の方法を探した」

 優里の推測も多かったが、もう二人の表情が事実だと物語っているといってもよかった。

「将斗様は赤龍を殺すために周りが見えなくなるほど一生懸命になっていた。それは安定した伯爵としての地位を得るためではなく、七海様を助けたかったからなんです。そうですよね?」

 将斗は、今度こそ露骨に優里から目を逸らした。どうやら図星のようだ。

「でも……七海が俺のことを」

 七海は一切口には出さなかった。将斗が他の女性に目を向けていても不満な顔一つしなかった。

 それなのに、兄のことを大事に思っていたなどどうして信じられるだろう。

「それで、将斗様は七海様のことをどう思っているんですか?」

 その場にいる全員の目が将斗に集まっている。将斗は唇を強く噛み、暫く沈黙した後、七海に向き合った。

「俺はサウスポートを統治する伯爵になる男だ。女に苦労したことはないし金も権力もある。なんだって手に入れられる。ただ……一度失ったら二度と手に入らないものだってあるんだよ。それが、たった一人の妹だ」

 将斗を見つめていた七海の目に涙の膜が張る。誰に対しても失礼な態度を取り続けてきた将斗だが、ちゃんと誠実な側面も持っていたらしい。

「お前のことが好きだ、七海。たった一人の妹として。だから赤龍を封じる道具にはしたくない。喋れなくたっていい、一生俺のところにいろ」

 相変わらず言い方は横暴だが、言いたいことは皆に伝わった。七海の目からはポロポロと涙が零れ、頬を濡らしていく。そして。

「……すき、おにいさ、ま、すき」

 と、蚊の鳴くような声で言葉を紡いだ。

「七海様、声が……」

「戻った……?」

 将斗は屈んで七海の肩に手を置く。そして彼女の声に耳を澄ませた。

「おにいさま、すき……だから、おこらないで、だれも、きずつけたくないの」

「七海様……」

 優里の背後で、愛子が泣きそうな声を出す。ドラゴンテイルに封じられたはずの声が……言葉を伝える力が七海に戻った。

 一体、何故か。

「思いが通じ合えたから……呪いが解けた?」

 輝夜が呟く。思いを伝えてはいけないと思った七海の気持ちが栓となった。 

 しかし、兄の気持ちを聞いて自分の気持ちも告げたいと強く願った。それが七海にかかった呪いを三年ぶりに消し去ったのだろうか。

「優里様が、ずっと喋れない私と向き合ってくれて……だからお兄様の思いも知ることができました」

 兄の抱擁を受けた七海は鈴の鳴るような美しい声を取り戻してそう告げる。

「優里が……」

 二人の視線を受けて優里は慌てて首を横に振る。

「私はただ、七海様が何かを伝えようとしていたのが気になっただけで……でも、七海様の呪いが解けて本当によかったです」

 ただ二人の気持ちを伝えたいと、その思いだけで語り掛けた。それが功を成すとは思ってもいなかった。

「それで……赤龍の問題は必ず私たちで解決します。ですからお待ちください」

「優里様……」

「ふん、とんだ戯言だと思っていたが……お前ならやりかねないと思ってしまった俺が馬鹿らしい」

 将斗はプイと横を向き、ポケットから出した葉巻を噛む。

「ふふ、素直になってくださいな」

 輝夜は口に手を当てて、見たことのない将斗の顔に微笑んだ。



「それでは私たちもこれで」

 ウェストデザート家、ノースキャニオン家を見送った後、優里たちも離れた場所へ停めていた車に向かう。すると見送りに来た将斗が

「一つだけ助言をしてやろう」

 と、これまた偉そうに言い放った。

「助言?」

 振り向いた優里に将斗が顔を近づける。爪の長い手が優里の顎をなぞった。

「この国で一番の魔力を持つのは王族だ。王族には気を付けろよ、特にお姫様には」

「お姫様……ですか?」

「ドラゴンテイルに力を貸せるとしたら大きな力を持つ者だけ。ま、個人的に疑っているだけだ。言っておくが王族にこのことは口が裂けても言うなよ? 俺の出世に関わる」

 確かにここまで四地域の伯爵親族と会ってきたが、ドラゴンテイルを蘇らせた犯人には辿りついていない。

 だとすれば残るセントラルランドの王族を疑うのもあり得ない話ではない。

 セントラルランドへ行くまであと一週間もないが、まさかその先に新たな疑惑が生まれてしまうとは。

「ご助言ありがとうございます。ですが昨晩の事は決して忘れませんのでご了承下さい」

 悩む優里を後に追いやるようにして奏人が割り込み、小声でそう告げる。

「はっ、過保護なやつめ」

 優里はその後も何かを小声で言い合う二人を眺めつつ、詩織に次いで車に乗った。

 サウスポートには今日も眩しい日差しが照りつけ、露天の準備が快活に始まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る