第38話:ドラゴンテイルの思惑3

「失礼します」

 ニ階の階段を上がってすぐの部屋。

 七海の隣の部屋にあるそこが、将斗・サウスポートの部屋らしい。細かな装飾が施された木の扉を開ければベッドに座って葉巻を吸っていた将斗が嘲るような目を向けた。

「よお、庶民」

 夕食を食べ終わった時、彼は優里に耳打ちをしたのだ。

 後で誰にも言わず自分の部屋に来るように……そうすれば皆の前で言わなかった情報を教えてやる、と。

 罠の可能性も考えたが……しかし彼が優里を殺すことはないと思った。

 自分が器である以上、まだ利用価値はあるのだから。

 だから大丈夫だろうと考え奏人にも告げずにここへ来たのだ。

「あの、お話とは一体……」

「いいからこっちへ来いよ」

 入口に突っ立っているとベッドの方へ来るように手招かれる。

 耳にかけるほど長い赤い髪と、深いワインレッドの瞳。耳にいくつも付けられたシルバーのピアス。葉巻の香り。

 角ばった手が近づいてきた優里の手を引き、自分の隣に座らせた。

「庶民にしてはやっぱり顔の造りだけはいいな。流石イーストプレイン家の血が流れているだけある。ここのメイドや輝夜と違って貧乳だが白い手足はなかなかにそそるなあ」

「な、なんの話、ですか」

 よく分からないが何かがおかしいと立ち上がろうとするも、腕を掴まれては逃げられない。

 彼は優里に話があるのではないのか。

 何故、頬に手を当てて顔を近づけてくるのか。

「あの、ドラゴンテイルのお話ではな……んっ」

 左手で軽く顎を持ち上げられ親指で頬を撫でられる。そして次の瞬間、唇が塞がれた。

 湿ったものが口の中に入ってこようとする。必死に抵抗しようとすればするほど侵入を許してしまい、そのままベッドに押さえつけられる。

「いや……っ」

 彼の心が読めないが、とにかく何かよくないことをされそうになっているのは分かる。

「嫌、ねえ……輝夜はもっと従順だったんだがなあ」

「輝夜さん……?」

「あいつの研究費は俺が工面している。だから立場上あいつは俺に逆らえない。すんなり足を開いたぞあの女狐は」

「どういうこと、ですか?」

 両手を頭上で一つにして押さえつけられ、足の間に膝を入れられ、そのまま片手で器用にブラウスのボタンを外されそうになっている。

 その意図が優里には分からない。ただ、抱くのは直感的な恐怖だ。

 頬を撫でる手の感覚が先ほどと異なったのと気づきそちらを見れば、将斗の手は何か獣のような手に変わっていた。

「身体変化がサウスポート家の人間の能力だ。お前はもうこの狼の手から逃げられない」

「何が望みなんですか?」

 何度逃げようと試みてもびくともしない。自力では抜け出せないことは確かだった。

「お前を俺の女にする」

「あなたの……おんな?」

「俺に歯向かわない従順な雌犬にすれば青龍も邪魔はしないだろ。愛し合う男女の間には神も介入できねえ」

 愛し合う……そんなことできる訳がないのに、押さえつけるようなキスに逆らえないのが辛い。

「大体ムカつくんだよ、お前のその偽善的な態度がな」

「いや……やめ、て」

 視界が霞む。将斗は自分に危害を加えようとしている。自分のことを嫌っている。

 それは分かるのに、何故だろうか……とても苦しんでいるようにも見えた。

「将斗様、どうして……」


「優里お嬢様!」 


 何の前触れもなく扉が乱暴に開け放たれ、聞きなれた声が響いた。奏人だ。

「おいおい、主人の情事の最中に入ってくるなんて無礼な使用人だな。うちだったら速攻クビだ」

「生憎イーストプレイン家にはそんな決まりはありませんので」

 奏人はベッドの方へ歩み寄ると、優里を抑えつける将斗の腹の下に手を回し、そのままベッドの下へと投げ飛ばした。

「な……っ」

「現場は携帯のカメラに納めておりますし、これは正当防衛です。そして同意なき性交はどのような身分であっても違法」

「同意なき? 最初に俺の部屋に来たのは優里の方だ。どうして同意がないなんて言える?」

 身体を起こして偉そうに言う将斗を他所に奏人は優里の身体を起こし、そして「失礼します」と言って襟の裏に手を入れた。

 そこには……黒い小さな機械が隠されていた。

「このGPA付きボイスレコーダーの音声を再生すれば分かることです。まあ、あなたはどさくさに紛れて優里お嬢様のネックレスを外すのが目的だったのでしょうが、そうはさせません」

「くそ……裁判でも起こす気か?」

「いえ、こちらも一週間後のことを見据えているのでもめ事は起こしません。あなたが起こす気なら対立しますが伯爵への昇格の儀を前にそんなことをしている余裕はないでしょう? ですから今晩のことはひとまずなかったことに」

「ふん……勝手にしろ」

 奏人は終始淡々と告げると、腰が抜けて動けない優里を軽々と抱き上げた。

「それでは、失礼します」

 扉を閉める奏人の顔は……優里が今まで見たこともないほど怒りに満ちていた。



「あの、奏人さん……」

 優里をベッドに降ろしてブラウスのボタンを閉める奏人は無言だった。

 その無言が怖くて声が震える。やはり、怒っているのだろうか。

「その、勝手なことをしてすみません。一人で行けば情報を教えると言われて……」 

 まだ、押さえつけられた感覚が残っている。こんなことになるとは思ってもいなかった。

「……食後の薬を届けに行ったらいなかったので……探しました。もしものために居場所が分かる機器を付けていたのでそれで」

 それで、居場所が分かったのだろう。自分の襟にそんなものがついているなんて気が付かなかった。

 いつも朝の服は詩織が用意してくれているから……毎日それがついていたのかもしれない。優里の安全のために。

「自分が何をされたか分かっていますか?」

「えっと……その、キスをされました。あとは俺の女にするとか従順な雌犬にするとか言って押さえつけられたのですが、何をしたいのかさっぱり……」

 キスくらいなら知っている。けれどその先のことは分からない。服を脱がせようとしたのも奏人の言った通りネックレスを外したかったからなのだろうか。

「……キスをされたのですか」

「は……い」

 奏人の目がより一層冷たくなる。それが怖くて俯いた。

 立派なお嬢様になるには異性からのキスなど気軽に受けてはいけなかったのだろうか。だとすれば詩織や奏人の思いを裏切ったことになる。

 優里にとってキスをされたことよりも彼らの思いに背くことの方がよっぽど辛いことだった。

「すみません、軽率な行動をとってしまって……」

 どうしたら許してもらえるのだろうか。もう見放されてしまうだろうか。そう恐れる優里の頭を奏人はそっと撫でた。

「優里お嬢様には怒ってませんよ。悪いのはあの男です」

「え……」

「女性を部屋に連れ込みふしだらな行為を……とんでもない人間ですし、何より優里お嬢様を穢されたことが単純に……ムカつく」

 奏人は聞きなれない低い声で心情を吐露する。

「優里お嬢様を守れなかった俺にも腹が立つし、もし間に合わなければどうなっていたかと思うと本当に、」

 声には涙が混じり、実際優里の膝の上に奏人の涙が零れた。

「大丈夫です……現にこうして奏人さんに助けていただいて……大きな害はないですし……」

「分かっている……分かっています……でも、でも……優里お嬢様、すみません……抱きしめてもいいですか?」

「え……はい」

 頷くや否や、奏人の腕が優里の背中に回る。

 将斗の葉巻と香水が混じったような匂いではなく、奏人の太陽のような心地のいい匂い。それが、身体いっぱいに満ちていく。

 そして自分の身体も震えていたことに今気が付いた。

「十年前、俺は使用人の仕事なんてやりたくないと思っていた。どうして七つも下の子の世話なんてしなければいけないのかと不貞腐れていた。そして、その気持ちを青龍に読み取られ怪我をした」

「はい……思い出しました」

 先ほど青龍が蘇らせてくれた記憶だ。

「その時に優里お嬢様は言ってくださいました。俺のことを大切な人だって。今は仲良くなくてもこれから仲良くなれると……体力もないのに能力を使い、こんな俺を認めてくれた……危うくも優しい貴女をこれからなんとしても守っていこうと……そう決めたのに」

 それから近いうちに優里は連れ去られてしまった。奏人はそれが辛かったのだろう。

「再び貴女に会えたことは嬉しかった。昔と同じ……いや、日々魅力的になる貴女に安堵もしたし、惹かれてもいた。共に食事ができることが、勉強をできることが、散歩をしたり本を読んだり街へ出たり……そんな日常が何よりも嬉しかった。俺は、執事である以上に……優里お嬢様のことが好きなんです。貴族社会の上下関係なんてどうでもいい。王族に評価されなくたっていい。貴女と平穏に笑って暮らせる日常があればそれでいい。それでいいのに」

 自分の存在が……黒龍が封印されてしまった自分の存在が奏人を苦しめている。それが、苦しい。

 しかし、こんな時になんと声をかけたらいいのか優里には分からなかった。

 自分も奏人のことは好きだ。皆と過ごす日常が好きだ。けれどそれは果たして奏人の言う「好き」と同じなのだろうか。

 背中に回された大きな手。安心する温もり。胸が痛む。

「すみません、身勝手なことを」

 やっと奏人は抱きしめるのをやめ、改めて優里に向き合った。

「明日は早めにここを出ます。薬を飲んでおやすみください」

「はい……」

 輝夜に用意された栄養剤を、水筒の水で流し込む。こうやって騙し騙し黒龍と共存する日々はいつまで続くのだろうか。


「あ……」

「どうされました?」

「いえ……お一人だけ、お話できていない方がいまして……明日、どうしてもその方のところにだけ行かせてください」

 このままサウスポートを去ってしまえば、あの迷うような瞳の理由に気が付けない。

「……まあ、優里お嬢様らしいですよね。ただし俺も同席しますから」

「はい、お願いします」

 身体は疲れ切っていたようで、ベッドに横になればすぐに睡魔がやってくる。

「おやすみなさい、優里お嬢様」

 頬を撫でる手が心地いい……そう思っている間にも意識が沈んでいく。

 意識が途切れる最後の瞬間、額に何か柔らかいものを感じたのは気のせいだろうか。

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