第28話:使用人たちの惚気話4

 奏人・サンチェスは代々イーストプレイン家に仕えるサンチェス家の長男で、厳しい父から執事としての教育をきっちりと仕込まれ育ってきた。

 優里が連れ去られ長年主人不在の状態が続いたが、それでも基本的な勉学の知識に加え、マナー、護身術、自動車や航空機の操縦、コンピュータ関連の教養や実技など、様々なことを学んできた。時には土地を離れ、同じ執事を生業とするものと交流を深めたりしながら一人前の執事になるべくしてなった。そしてついに優里と再会することができ、気分が高揚するのをなんとか抑えながら、まだ生活に慣れない優里のことを支えてきたのだ。

 敬愛する主人に会えたことで特にこれ以上望むものもない奏人だが、ただ一つ変えたいと思うのは優里からの態度だ。

 未だに彼女は奏人に対して他人行儀である。幼少期のことを知っているが故に、どうにもそれが悲しく感じられた。


 そんな奏人が少し満たされたと感じたのはある夜のことだった。

 彼には優里のスケジュールや体調を管理したり勉学を教える他に別の業務も並行して行う必要がある。

 まずは市民の管理システム。市や町の役所、警察や役人などと連絡を取り、異変がないかを常に管理する業務だ。

 これは本来伯爵の仕事だが、彼らが国王に人質として連れ去れた以上、こちらにいる使用人が代理で行わなければならなかった。実際伯爵がいる際も大抵の業務は彼の側近……奏人の父が行っているため世代交代を考えればその練習ともいえる。詩織や千尋の助けも得つつ集計をするのが日課になっていた。

 もう一つは外とのやりとりだ。ノースキャニオンの伯爵とウェストデザートの輝夜とは連絡がつくようになり、異変がないかメールのやりとりを続けている。問題はサウスポートで、こちらのメールに一切の返答がないのだ。電話もしたが繋がらない。黒龍のこと……そして銀髪の女性のこと、これらは必ず解決しなければならない課題なのに、強い権力を持つ南の協力が得られないのは痛かった。 

 なんとかできないかとコンピュータの前で頭を悩ませていると、

「すみません」

 と、控えめな声が扉越しに聞こえた。

「え……ゆ、優里お嬢様?」

 時間は夜の十一時。彼女には九時に寝るように伝えてあるのに一体どうしたというのか。

 慌てて扉を開けると、寝巻を着たままの優里が不安そうな顔でこちらを見上げている。

「どうしましたか?」

 少し屈んで目線を合わせて尋ねると、

「その……眠れなくて」

 と、告げられた。

「眠れない……?」

 悪い夢でも見たのだろうか。それとも発作か? いつも遠慮がちな優里がわざわざ言いにくることだから何かがあるのではないかと疑ってしまう。

「いえ、その……眠れないので、少し散歩をしてきてもいいか……な、と……許可を取りたくて……こっそり出ようとしたら奏人さんが起きているようだったので」

「な……」

 一切考えもしなかった言葉が出てきて一瞬思考が停止する。

 眠れないから……散歩をする? こんな時間に? ぐるりと記憶を一周辿るように頭を悩ませた後、

「集落にいた頃やってたんですね」

 と、答えを出した。

「……はい」

「駄目です。いくら外敵が入らないように警報装置を敷いていたって何が起こるか分かりませんし、いつ発作が起きたり体力がなくなるかも分かりません。ですから、夜間の一人での外出は絶対にやめてください」

 不意を突かれて思わず言葉が強くなってしまったからか、優里は俯き、

「すみません」

 と小さな声で謝った。

 奏人はここで優里が入ってきた時の不安げな顔を思い出す。

 散歩に行きたいという驚きの発想に困惑してしまったが、そもそも気にかかるのは前者だ。ベッドから出て気を紛らわせなければならないほどの何かがあったのだろう。

「とりあえず、入ってください」

 奏人は優里を招き入れた。どう見ても落ち込んでしまった彼女の好感度を下げないためにここからどう挽回するのか……それを真剣に考えながら。


「今ハーブティーを淹れますね。とりあえずそちらへ座っていてください」

「え……あの」

「狭い部屋ですみません」

 面積は優里の部屋の半分もない。ベッドと作業台とカップやポットを置いた台がある程度。

 お嬢様を入れるなど申し訳ない部屋だが……今彼女は自分の部屋に戻りたくないだろうということを推測した。

 ひとまず優里には自分のベッドに座ってもらって、電子ポットから茶葉を淹れたポットにお湯を注ぎ、ゆっくり慣らしながらティーカップに注ぐ。

「この香りは……」

「ノースキャニオン伯爵からいただいたマイサレアのハーブティーです」

 舞紗の名前の元になったマイサレア……その名前を聞いて優里は少しだけ顔を上げる。それでもまだ、彼女は泣きそうだった。

「温かいハーブティーはリラックス効果もあります。怖い夢を見て眠れない夜にも最適ですよ」

「え……どうして」

 戸惑う優里にティーカップを持たせる。どうして分かったか、と言いたいのだろう。

「ベッドから遠くへ逃げようとしていた……それは怖い夢の続きを見たくなかったから……と、推理しました」

「た……探偵小説みたいです」

 やっと優里の頬が少しだけ緩む。それでもまだ表情は暗いのだからいたたまれない。

「俺の……母親から聞いた話ですが、悪い夢は人に話すと現実化しないそうです」

「え?」

「ですから、話してみませんか?」

 ベッドの前に屈んで目を合わせる。これ以上彼女が辛い顔をしているのは見ていられない。

 おそらく優里は本当に庭に行くつもりはなかったのだろう。ベッドに戻りたくなくて、不安な気持ちで奏人の部屋の扉を叩いたものの、結局迷惑をかけるかもしれないと考えた結果とんでもないことを言い出したのだ。だからせめてその心の不安を取り除かせて欲しい。

「えっと……大した夢ではないんです。ただ目を覚ましたらあのブリキ屋根の部屋で、今までの三週間は全部夢でした……という、そんな夢です。私に待っているのは憂鬱な朝で幸せな日常なんて幻で……なんて、変な夢、ですよね」

 無理して笑おうとしている顔が痛々しい。

「そうですね。変な夢です。この三週間いろいろなことがありました。みんなで夕食を食べたり、勉強をしたり、ノースキャニオンへ行ったりウェストデザートのお嬢様が来たり……こんなにたくさんのことが一夜の夢に収まるわけはありません。大丈夫、ここが現実です」

 語りかけていると、俯いた優里の目から涙が落ちた。

「すみません、なんだか、安心したら……涙が」

 奏人がティッシュを差し出すと、優里は慌てて目を強くこすった。

「たまにどこまでが現実か分からなくなるのですが、奏人さんに口に出してもらえてすごく……ほっとして」

「……それはよかったです。でも、強く目を擦ると腫れてしまいますから、ね」

 そっと優里の手を退けて、ティッシュで優しく涙を拭き取る。それくらいしか今の奏人にできることはない。それが執事としてあまりにも不甲斐ない。

 自分もたまに優里が戻ってきたのは夢だったという夢を見る。そして彼女がいる形跡を見ては安心しているのだ。

 そんなことを言ったら彼女はもっと泣いてしまうだろうか。

「眠れなくなったらいつでも俺のところにきてくださいね。何でもお話お聞きしますから」

「ありがとう……ございます」

 話していると、優里の目が虚ろになってきた。もうすぐ十二時になる。安心してやっと眠たくなってきたのだろう。

 ハーブティーも多少は効果があるかもしれない。

「私……奏人さんに出会えてよかったです」

「え?」

「うまくいえないんですけど……奏人さんといると安心して……なんだか甘えそうになっちゃいます」

「そんな……もっと甘えてくださっていいんですよ」

 欲を言えば、頼って依存してもらうくらいが本望だ。そんな思いを言葉に込めると、優里は目を彷徨わせた後、

「では、寝るまでの間……手を繋いでほしい、です」

 と小さな声でお願いをした。遠慮がちに言われなくても頼まれれば毎晩だってするのだが。


 優里の部屋に場所を移し、不安げな彼女の手を握る。眠れない子どもの手を母親が握ってやるのはよくあることで、奏人も小さい頃は母親にそうやってあやされた。しかし、優里にはそんな記憶はない。孤独な屋根裏部屋で怖い夢を見た夜、彼女はどんな気持ちで夜道を散歩したのか。

「おやすみなさいませ」

「はい……おやすみなさい」

 優里は目を瞑ると、一分もしないうちにすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。

 どうかこのまま彼女に穏やかな時間が流れますように……奏人はこの日夜が明けるまで優里の側を離れなかった。


◆  ◆  ◆


「は……?」

 と、4人の声が重なる。

「いやいや、専属執事だから仕方がないところもありますけど、最後はないでしょう?」

「優里に頼られるのは仕方がない。けど、夜明けまでって」

 千尋が叫び、絢音も顔を赤くする。

「不潔です」

 と、愛子も呟いた。

 最後の言葉は誰も聞き捨てならない。

「職権乱用もいいところだわ、この愚弟が。途中の対応はいいとしても……一晩中優里ちゃんの寝顔を眺めているなんて」

「優里お嬢様が途中でまた起きて不安な気持ちになるかもしれないじゃないか。離れられるわけがない」

 奏人はそう主張するが半分以上彼の私欲のためだろう……と、誰もが思った。


「よし……じゃあ気を取り直して最後が私ね」

「……すごい嫌な予感がします」

 意気揚々と立ち上がる詩織から千尋が目を逸らす。

「ある日の朝のことなんだけど」

 そしてアンカーの詩織が話を始めた。


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