第5話:イーストプレイン家3
「改めて、私が詩織・サンチェス。この家の使用人をまとめるメイド長よ。身の回りのお世話や女の子としてのレッスンも行うから困ったことがあったら何でも聞いてね」
夕刻、大理石でできた広いダイニングテーブルを六人が囲い、シチューとサラダとパンを口にしていく。他の上流階級の者からすれば、主人と使用人たちが同じ机を囲うなどあってはならないことだが、優里は皆で食べることを望んだ。一人で食事をしてその間に使用人を待たせるというのは寂しいことだから。それは、自分自身で経験している。
詩織は改めて自己紹介をすると自分の隣にいるツインテールの少女に目を向けた。続けて欲しい、という意思らしい。
「あ、アタシ……は、
慣れない様子で名乗った絢音という少女はおずおずと頭を下げた。表情は固く手に持っているスプーンが震えている。
「次は僕ですかね? 僕は
「アタシの年齢は別にいいだろ!」
絢音よりも背が低い少年がハキハキと名乗り、絢音の年齢まで教える。彼女は優里と同い年らしい。
「奏人さんは私が五歳の時に十二歳だから……二十二歳ですか」
指折りで年齢を確認して尋ねると、優里の隣に座る奏人はにっこりと微笑んだ。
「そうですね。改めまして奏人・サンチェスです。優里お嬢様の専属執事を担当します」
「執事……とは、具体的にどのようなお仕事をされるのですか?」
身の回りの世話をする詩織とは何が違うのだろうか。
「スケジュール管理や教育が主な役目ですが……一番無理や融通が効く相手だと思っておいてください。姉はなんだかんだで家のこと全般を行っていますから、一番側についていられるのが俺です」
「なるほど……」
違いがはっきり分かった訳ではないが、ひとまずなんらかのラインを引いて分業をしていることは分かった。
「因みに姉は二十五歳です」
「奏人、人の年齢を無闇に言わないの」
あっさりと年齢をばらした奏人を詩織が睨むが奏人にはどこ吹く風だ。そして、
「愛子、最後はお前だ」
と、短髪の少女に自己紹介を促す。
「……
しかし、愛子と名乗った少女は小さく口を開けてそれだけを呟くと、すぐに無表情で黙り込んでしまった。
「愛子ちゃんはね、カモフラージュのためにメイド服を来ているけれど本当は凄腕の体術使いなの」
すかさず詩織がフォローを入れる。
「ああ……儀式の時……一瞬だけ姿を見ました」
見事な蹴りで周囲の男たちをなぎ倒していった。それが彼女の仕事なのだろう。
「口下手だけどとってもいい子なのよ」
詩織は、その後一言も発しない愛子の代わりにそう紹介した。
使用人たちの挨拶が終わると、優里は改めて全員の姿を見渡した。メイド長の詩織に、まだ新人らしくぎこちない顔の絢音と幼さの残る少年の千尋。一番側にいる奏人に、用心棒の愛子。
五人もの人間に囲まれるだなんて記憶にある限りは初めてのことで、なんだかくすぐったい。
この前まで半ば諦めていたような人生だ。これから本当にこんな待遇を受けていいのか不安な気持ちもある。
しかし、彼らとこれから共に生活できるのであれば……今度こそ、優里には叶えたいことがある。
いてもたってもいられなくてスプーンを置く。そして、いろいろと言葉を考えた後、口を開いた。
「えっと……優里、です。正直つい先日まで小さな集落の家で召使のように使役されてきて……この家のことも記憶から抜け落ちていました。だからこうして連れてきてもらって一通り説明を受けても……本当に自分がこの家の跡取りとして立つことができるのか自信はありません。ただ、温かい居場所をいただけて、美味しいご飯も作っていただいて……一緒にご飯も食べることができて、これ以上ないくらい幸せなんです。だからもっと頑張りたいし、もっと仲良くなりたい。それでいつかみなさんの大切な人になれるように……なりたいな、と。えっと、これからどうぞよろしくお願いします」
誰かにとって都合の良い存在ではなく、大切な人になってみたい。それがいつからか抱いていた優里の願いだ。
言い切って、それから変なことを言ってしまっていないかと慌てて周囲を眺める。
すると詩織が笑顔で手を叩いた。
「流石よ、優里ちゃん。でも無理はしないでね? 一緒に頑張りましょう」
「ああ……アタシたちもちゃんと支えるし」
「僕らのことも頼ってくださいね」
「……お守りします」
絢音、千尋、愛子もそれに続く。しかし奏人は何も言わなかった。優里が恐る恐る奏人の方を見れば、彼は優里の方を見たまま固まっていたのだ。
「えっと……」
やはり何かおかしなことを言ったのだろうかと優里は首を傾げる。
暫くすると……奏人の目からポロポロと涙が溢れ始めた。
「あの、奏人さん?」
奏人は「大切な人」と、ポツリと呟いて、それから涙を拭う。
「やはり……やはり優里お嬢様はあの頃と変わらないのですね……今度こそ、一生あなたのお側にいますから」
どこに泣く要素があるのか、優里には分からない。ただ悲しみの涙でないことには安心する。
温かいシチューに優しい仲間。今まで感じたことのなかった「幸せ」に包まれていると実感したら、優里もまた泣きたいような気持ちになった。
何が起きているか分からないという恐怖は……少しだけ薄れていった気がした。
ただ、それが長く続くわけではなかった。
奏人に背中を支えてもらいながら三階にある自室にたどり着き、ベッドに座る。一階のダイニングからここまで然程の距離があるわけでもないのだが、その距離でさえ体力のない今は難しかった。
儀式の時に軽く暴れたせいで、身体中が痛いことも動きにくい原因だ。
「今晩なら伯爵に連絡が取れるかと思います。お繋ぎいたしましょうか?」
奏人に尋ねられ、頷こうとした時だった。
「……っ」
まず、痺れるような痛みが走った。それから黒い痣ができているところが疼きだし、熱を持っていく。息が詰まるような感覚……それはあの儀式の時と同じだった。
「優里お嬢様……?」
胸を抑えて呼吸を整えようとしてもうまくいかない。黒龍が外に出たがっている……それは分かるが、今出られると確実に自分の命までもっていかれる……そのことだけは理解できた。
苦しい……怖い……そう言いたくても声にならない。苦しみを抑え込もうと必死になっていると……
「許可なく触れることをお許しください」
あの儀式の時と同じように、奏人が優里の身体を強く抱きしめた。
「かなと、さ……ん」
「今は何も考えず、俺に身体を預けてください」
そう言われても、身体が硬直してうまいようにはいかない。焦れば焦るほど余計に呼吸がし辛くなってきて苦しい。
奏人はそんな優里の背をゆっくりと撫でた。規則性のある……一定のリズムで。
「苦しいですよね……すみません、俺たちがもっと早く貴女を見つけていれば」
耳元で告げられる声があまりに悲痛そうで、何か返したいのに声が出ない。
そのまま背中を撫でられ続けていると……少しずつ、身体の力が抜けてくるのを感じた。身体が弛緩し、奏人にもたれ掛かってしまう。それでも背中を撫でる手は止まらなかった。
「奏人さん、もう大丈夫、です、ので」
そう言っても離してはもらえない。いつか感じたような太陽のような匂いと温もり。それが、疲弊した身体に染み込んでいくのを感じる。
「やっと貴女に会えた……だからもう絶対に苦しませたくない。それなのに苦しい思いをさせてしまう自分が不甲斐ないです」
「あの……奏人さんにとって私は、どういう存在だったんですか?」
何が彼にこんな言葉を吐かせているのか。その理由がどうしても分からない。視界は奏人の身体で塞がれたままで、顔色さえ伺えない。
「優里お嬢様は、俺の大切な人です」
「大切な……」
呼吸が落ち着いたのが分かったのか奏人は次にゆっくりと頭を撫で始める。
囁くような優しい声と手つきに、優里の意識はぼんやりとしてくる。
発作のせいで体力を使い切ったらしく、もう指一本動かすのも難しい状態だ。灰被りでいた時には知ることのなかった人の手の温かさ……それが緩やかに伝わってくる。
まるで魔法のようだと思った。
魔法にかけられたかのようにどんどん意識が沈んでいく。
「あの」
何か言いたいのにもう言葉が出てこない。
「今はゆっくりおやすみください、優里お嬢様」
柔らかなベッドに寝かされながら優しい声を聞いて……優里の忙しない一日は終わっていった。
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