灰かぶりの正体はお嬢様でした

無月彩葉

第1話:灰かぶりと呼ばれた少女1

 気づけば少女は灰にまみれていた。

 生まれた時からこのような生活ではなかったはずだが、生憎あいにく生まれた時の記憶はない。

 父のいない貧乏な家で、継母からは召使のように扱われ、年の近い義姉たちからも毎日のように嫌がらせを受けていた。

 大した衣服ももらえず、伸びっぱなしの髪は絡まって、灰にまみれて家事をされられる少女のことを、集落の人々は「灰かぶり」と揶揄やゆしてわらっていた。 

 

 少女の朝は早い。継母たちが起きる前に掃除と洗濯を終わらせて朝食の準備をしなければならないからだ。

 窓を激しい雨が叩き、誰にも聞こえないような小さな溜息を吐く。どれだけ頑張っても生活は変わらない。特に最近は激しく雨が降る日が続き、外で洗濯物を干しながら気分転換を行うこともできない。毎日が暗いせいか身体も何故だか重く感じてしまう。

 遠くの方から雷の音が響き、ブリキの屋根がミシミシと音を立てた。

 それでも彼女に怖がっている時間はない。ほうきで床を掃いて、雑巾で窓ガラスや机の上を拭いて、暖炉の中に入って煤を落として……抜かりのないように毎日隅々まで掃除したつもりでも、継母は隅の方を指ですっとなぞって「ここ、汚れているけれど」と嫌味を言ってくる。けれどやらなければもっと叱られるのだから少女にはできるだけ丁寧に掃除をするしかしようがない。

 そうしている間に今日も服はすっかり灰まみれ。ひとまずエプロンだけ変えて、それから料理に取り掛かる。卵を三つにパンとレタス。今日の朝ごはんはエッグサンドを三人分とホットミルク。自分の分はもちろん後回しだ。

 段取りを考えながら早速卵を手に取ると……

「え……?」

 急に、地面がぐらりと揺れた。

 ぐらり、ぐらりと左右に揺れて、食器棚から食器が滑り落ちてゆく。最近窓辺に飾ってみた花瓶も割れて、ろうそく立ても倒れて、ミルクも零れてゆく。

 二階の義姉たちの部屋からは悲鳴が聞こえて、バタバタと騒がしい物音がする。少女はその場に立っていることができず、蹲み込んだ。

 一分、二分……おそらく三分くらいは揺れていただろう。ぎゅっと瞑っていた目を開けると、家の中は見るも無残な姿になっていた。

「一体何事⁉」

 継母が今になって大声で叫びながら階段を降りてくる。

 壁に叩きつけるように降る雨は一層強くなり、集落の周囲に生えている低木すらもなぎ倒していった。

 少女は、膝の上に落ちて割れた卵を呆然と見つめることしかできない。

 掃除もして、料理もして……ちゃんと朝の仕事をしたはずなのにあんまりだ……そう思いながら。


 外では相変わらずバケツをひっくり返した雨が降り、家の柱をも引っこ抜いてしまいそうな強い風が吹き荒れる。

 テレビもラジオもないこの家では、何が起きているのか把握することはできない。

 継母は混乱したまま少女をヒステリックに叱りつけ、早く朝ごはんの用意をするようにと言いつけた。

 この継母と二人の姉たちは今日、着飾って町の方まででかける予定だったのだ。それがなくなったのだから余計に気分が悪いだろう……少女は少し彼女たちに同情した。

 思い通りにいくはずだったものが思い通りにいかなかった悔しみのようなものは、なんとなく理解できるから。だからこそ、継母におとなしく従った。

 

 それからなんとか家事をこなし、義姉たちも自分の部屋に戻ったところで、台所口に洗濯物を干していく。部屋の梁に木の棒を乗せて洗濯物をかけていくのは至難の技だ。

 特に、先ほどからまた何度か床がミシミシと揺れるのでバランスを取るのが難しい。

 靴下を落としてしまい、慌てて拾うと、外から耳をつんざくような大きな音が響いた。

 最初は、雷かと思った。木々を切り裂くような恐ろしい音が似ていると思ったからだ。しかし……どうも雷とも違う。

 音は聞こえても激しく点滅するようなあの光は現れない。

 もっと獣のようなものが叫ぶような……悲鳴のような声だと思った。

 外は未だ激しい雨が降り続けているにも関わらず、少女は思わず裸足のまま外に出てしまった。悲鳴のようなその声に、何故か呼ばれているような気がして。

 目を凝らせば、土砂降りの雲の切れ間に、何か黒くて大きなものが見える。

 魚のような鱗があり、蛇のように身体をくねらせる。そしてまた大きな咆哮が聞こえる。

「龍……?」

 全く目にした覚えのないものだが、ふとそんな単語が頭に浮かんだ。

 あれは龍で、そして何かに苦しみ……その苦しみが今この自然災害として襲いかかっている……そんな考えが駆け巡り……自分の妄想なのかそれともどこかで聞いた話なのか分からず混乱する。

 今はもう記憶もない幼い頃に、そのような話を聞いたことがあるのだろうか。

 ただ一つ確かであるのは、あの生き物のようなものが苦しんでいるということ。

「何をしている?」

 振り返ると、肢の長い立派な傘をさした老人が立っていた。

 髪は真っ白になり腰も曲がっているが、眼光が鋭く威厳の残るこの老人は、長年この集落の代表を務める長老だ。

 彼の家にはこの集落で唯一テレビがあり、定期的に近隣の集落や町の長と集まって会合を開いている。

 集落の中で誰よりも知見があり皆を束ねられるのはいつだってこの長老だった。

「龍が、見えたので」

 少女はもう一度空を仰ぐ。雲でよく見えないが、間違いなく龍はそこにいると思った。

「龍が何かに苦しんでいるように見えて……多分あの龍が苦しみに囚われて暴れているから……この異常気象が起きているんじゃないか……何故かそんな気がしたんです」

 なんという妄想をしているんだこの娘は、と怒られるような気がして少女は長老の方を見ることができない。

 変なことを言っている自覚はあった。一切見聞きしていなかったことが何故こうも口にできるのか。

「ほう……灰かぶり、お前はどこで龍の話を聞いた?」

 重く、険しい声が聞こえて少女は一瞬目を瞑る。どこで? それを覚えていたら苦労しない。

「ずっと昔……聞いたことがある気がして……記憶はないのですが」

 出どころ不在の記憶に頭を押さえたくもなる。十年前……くらいだろうか。この集落にたどり着いた前の記憶にどうもモヤがかかっている。

 この龍に惹かれているのに何もできないのがもどかしい。


「……ワシは今から近隣集落との会合に向かう予定だ」

 長老は重々しい口調のままそう告げる。

「この異常気象の対策のためですか?」

 こんな雨の中で出かけるならそれしかないと少女は思った。

「ああ……正確には荒ぶる龍を鎮めるための人柱を決める話し合いをする予定じゃった」

 人柱……つまり、神に捧げる生贄のようなものだろうか。さらりと口に出された情報に、少女は一歩後ずさった。

 龍を鎮めるために犠牲を生み出す……それは、何かが違う気がした。記憶の中の誰かが、それは違うと訴えている。

「待ってください、でもこの龍は多分苦しんでいるだけで……被害を出さずとも方法は」

「もう遅い。このノースキャニオンを統治する伯爵家が我ら民を見捨てた以上、民衆でどうにかするしかない」

 ノースキャニオン……それはこの集落がある土地全体の名前だっただろうか。少女には長老の話が全て理解できるわけではない。ただ、彼が何か恐ろしいことをしようと思っていることだけは分かった。

「でも、誰を……」

 それをこの周辺の集落や町の人間から選ぶのだろうか。そのための会合を開くのだろうか。知ってしまったら恐ろしくてたまらない。

「灰かぶり」

 長老は少女の名前を呼んだ。呼び慣れてしまった、ここでの少女の名前を。

「お前は適任かもしれないな。いや、灰をかぶった化け物……と言われるお前なら」

「え……」

 灰をかぶった化け物……それもまた、少女につけられた名前だった。

 少女は自分の黒く汚れた両手をじっと見つめる。それから長老が去っていく町の方を眺めた。

 何故適任と言われたかは分からない。ただ……あの記憶が、そしてこの力が龍を沈めるなら……流れに身を任せてしまった方がいいかもしれない……そんな気持ちも生まれていた。

 どうせ彼女の前には継母に使役される道しか残っていないのだ。だとすれば最後くらい人の役に立てればそれも本望……そんな風にも思った。

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