20.ミランダ夫人

 フィリア様が来たその日の診察が終わった夕方。

 私はフィリア様の帰宅に付き添い、馬車に同乗して領主館に向かった。


 領主館は町の中の一等地にあり、周囲を水堀と塀に囲まれている。

 ここはこの町の政治的中心地であり最重要拠点だ。


 門番に槍兵も魔法兵もいる。

 魔法兵は比較的貴重だ。

 馬鳥を待機させている伝令兵もいた。


 ものものしい門を通過すると、通路と庭が広がっていた。

 さまざまな植物が夕日に照らされていて、とても綺麗だ。


「エミル様、聖女様」

「私は聖女じゃないよ」

「いいえ、私には聖女様、いえ天使様に等しいです。病に倒れもう何年も生きられないかもしれないママの唯一の希望の光です」

「まあ、そういわれるとそうなのかもしれないけど。でもひとつだけ。私でも治せないかもしれない。それだけは覚えておいて」

「はい。覚悟はしています。でも他に頼れるものはもう何も」


 馬車が通路を通りメインホールの正面玄関に到着する。


「つきましたわ。降りてくださいな」

「はい」


 フィリア様に続いて私も降りる。

 そこにも兵士が数名、常駐していた。

 私を奇妙なものを見る目で眺めている。


「実はハイポーション、ご存知ですか」

「ええ、まあ」

「あれを無理を言って、優先的に回してもらいました。でもポーションは怪我にはよく効くそうですが、病気はそうでもないらしく、残念ながら容体は一時的に回復しただけでした」

「そっか、うん」


 そのハイポーションも私が元で作っているというのは知らないのかもしれない。

 冒険者ギルドでは知っている人もそこそこいるけれど、それでも一応として箝口令かんこうれいが敷かれているらしい。


 豪華な赤いカーペットが敷かれた玄関ホールを通り、通路を通って奥へ向かう。


 通路にある扉を通ってさらに奥のプライベートエリアに移動してミランダ夫人の寝室まで一気に進んだ。


 扉を開けると中には領主様だろう壮年の男性がベッド脇で様子を見ている。

 ベッドにはもちろん部屋の主、ミランダ夫人が横になっていた。


 夫人の顔色は一目見ただけでも悪い。


「フィリアか」

「はい。お父様」

「それでそちらは」

「聖女エミル様です」

「エミル・フォンデートか」

「なんで私のフルネーム」

「領主だからね。ここのところのハイポーション。高い魔法適性。エミルさんは上層部では有名人だ」

「そうなんですか」

「ああ」


「ここに来たということは、ハイポーションかね」

「いえ。ヒールのほうです」

「そうか。すまぬ。私情を優先するつもりはないが、ミランダを救ってくれ」

「精一杯やらせていただきます」


 そこまで言うと、一度口をつぐむ。

 今日はまだ重症患者が少なかったこともあるし、魔力の伸びがあって魔力総量自体に余裕があることも大きい。


 まだ今日、私は魔法が使える。


「女神様、彼のものに癒しの力を貸し与えください――ヒール」


 私たちとそしてミランダ夫人を緑色の粒子が包み込んでいく。

 その粒子の数は今までで一番多い。


 注ぎ込まれた魔力がダントツで多かったのだ。


 緑の優しい光はミランダ夫人に吸収されていき、その病魔を駆逐していく。


 しばらく無言だったように思う。


「どうだ?」


 領主が口を開いた。


「あなた、フィリア」


 先ほどまで目をつぶって苦しそうにしていたミランダ夫人が目を開けて名前を呼んだ。


「ミランダ、よかった、ミランダ」


 ミハエル・エルドリードが歓声を上げた。

 彼はしかし神に祈ったりはしなかった。


 彼が両手を合わせた先には私がいた。


「天使エミル・フォンデート様、妻を、愛するミランダを救っていただき、感謝申し上げる」

「いえ、そんな、私はできることをしただけです」

「褒美は何が欲しい。俗物的で申し訳ないが金か、それとも名誉か、いや地位というのもある」

「あの、私そういうのはあまり」

「そうか。ではフィリアが欲しいか? フィリアをあなたの愛玩奴隷に」

「ちょっとお父様」

「領主様の娘を奴隷なんて、とんでもないですよ。領主様」

「しかし、あなたはハイポーションでさえ治せず、国の巫女ですら匙を投げた病を治したのだ」

「友達だから、フィリア様は真剣に医務室を見学して、医務室の一員として頑張ってくれていたから、一日だけだったけど真剣なのは伝わったもの」


「とも、だち」


 フィリア様が目に涙を浮かべて反芻はんすうしている。


「エミル様とわたくしが友達」

「ええ、奴隷とかとんでもないです、はい」

「うれしいわ。友達だからその願いだからママを救ってくれたのね」

「そういうことです」

「ありがとう。エミル様に最上級の感謝の言葉を。ほんとうにありがとう」


 フィリア様が私に抱き着いてくる。

 いいところのお嬢様は温かくていい匂いがした。


 ミランダ様が病気で寝込んでいたという話は聞いたことがなかった。

 今までなんとか隠してきたらしい。

 もちろん王宮などの人は知っているが、貴族全員が知っているわけではないそうだ。

 町でもミランダ様が病にせっているのを知っている人は少ないとのこと。


 ミランダ様はもともと王家の四女様で、その影響力は思った以上に大きい。

 最近表に出てこないと貴族の間では噂になりつつあったそうだ。


「あの、私、家でお母さんが待ってるから」

「あ、そうだったわね。それでは家まで送るわ」


 フィリア様が馬車を回してくれて、家に戻ってくる。

 結局、褒章はうやむやになった。

 フィリア様を奴隷としてくれるとかいうのはやめてほしい。

 しかも愛玩奴隷とか、どうすればいいのか分からないよ。

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