3-6 星加くん
――『澪ちゃん、どこのゼミに入るか決めた?
――『
三年生の生徒だけで雑談を交わしたとき、星加くんは人懐っこい笑顔で私に挨拶した。つり目なところは垂れ目の巴菜ちゃんと対照的で、けれど笑ったときの太陽みたいな明るさはそっくりだから、『巴菜のやつは、幼稚園も学校も今まで同じだった腐れ縁』と聞いて納得した。二人とも、相手のことをちょっと乱暴に言うところもよく似ている。このゼミを選んだ理由は『笹山ゼミが一番楽だって、先輩が言ってたから』なんて
――『倉田さんが、このゼミを選んだ理由を教えてよ。巴菜に勧められたから?』
ゼミの課題を終えた帰り際に、星加くんに何気ない口調で訊かれたことがある。私は返答を
――『勉強が好きだから。日本近代文学が、海外とどんなふうに繋がっているのか、歴史とか文化の関係性を分析して研究するゼミに、すごく興味を持ったから』
日本文学を扱うゼミは他にもあったけれど、海外との繋がりに
星加くんは、
それからも、週に一度ゼミで関わる星加くんとは、たまに大学の休み時間にばったり会った。そういうときは、私と一緒にいる巴菜ちゃんと
――『巴菜、また倉田さんにノート見せてもらってるのかよ。いい加減に
――『何よ、
――『いつの話をしてんだよ! 一年生のときの話なんか持ち出すな!』
――『一緒の班のあたしも責任を問われたんだから、文句を言って当然でしょー!』
――『巴菜だって「これでいける」って言っただろうが! お前の確認不足だろ!』
――『知りませんー、忘れましたー。
打てば響くような言葉の応酬はリズミカルで、笑顔を弾けさせた巴菜ちゃんを見ながら、気が置けない間柄の
そんな星加くんと、大学以外の場所で、しかも巴菜ちゃん抜きで顔を合わせるなんて初めてだ。『フーロン・デリ』のお
「巴菜から聞かされてたんだ。倉田さんのバイト先が、自然公園の近くのお総菜屋だって。中華料理だとは思わなかったけど、ちょうど通りかかったから探してみた」
「わざわざ来てくれたの? 遅い時間なのに、ありがとう」
「ん、明日の朝ごはんにちょうどいいし。大学の友達と話し込んでたら、こんな時間になっただけだから。むしろ、閉店ぎりぎりに来てすみません」
最後の
「星加くんが話し込んでた大学の友達って、巴菜ちゃん?」
「なんで巴菜? ゼミのやつらだよ。あいつは関係ないって」
少し焦った顔をした星加くんは、きっと
「ありがとう。それじゃ、またゼミで」
「うん。またね」
私は手を振ってから、『フーロン・デリ』の店員として「ありがとうございました」と礼を言って、星加くんを送り出した。星加くんは、私にもう一度笑いかけると、お惣菜の袋を持って帰っていった。ドアが鳴らしたベルの残響が消える頃、絢女先輩が興味津々の顔で、私に一歩近づいた。
「今のゼミを澪ちゃんに教えた生徒って、あの子なんだ? 可愛い男子ね」
「可愛い、ですか?」
私は、きょとんとした。確かに星加くんには巴菜ちゃんに似て小型犬を彷彿とさせる人懐っこさがあったから、可愛いと言われても違和感はないけれど、細身でも私よりは背が高いし、身体つきだって年相応にがっしりしている。可愛いという言葉はしっくりこない。シベリアンハスキーやゴールデンレトリバーみたいな可愛さなら想像できたので、私なりに無理やり納得していると、絢女先輩もなぜかきょとんとした。
「だって、あからさまに澪ちゃんに気があるんだもの。そういう気持ちを全然隠せてない初々しさが、なんだか真っ直ぐで可愛いじゃない」
「え?」
「ちょっと、気づいてないの?」
絢女先輩の爆弾発言は、私から数秒のあいだ思考力を奪った。閉店を知らせるチャイムが店内に流れて我に返り、「そんなこと、ないと思います」と私は言い返した。
「星加くんは……巴菜ちゃんの幼馴染だし、私のことは同じゼミの友達としか思ってないはずです。今日来てくれたのだって、通りかかっただけって言ってましたし……」
「それを
「そんな、本当に星加くんは、私よりも巴菜ちゃんと話してるときのほうが生き生きしてるのに……好きな人がいるとしたら、相手は巴菜ちゃんだと思います」
「ふうん? 面白いことになってきたじゃない」
「全然、面白くありません」
私がむくれると、絢女先輩は悪びれることなく
「澪ちゃんがこんなに
「彼氏……」
彗は、私の彼氏。間違いではないけれど、相沢彗という捉えどころのない人を定義する言葉として、その表現はあまりにも浮いている。だから私はいつも、彗との関係を誰かに訊ねられたとき、一瞬だけ言い淀む。そんな今までの
「彼氏って言い方に、まだ慣れてないの? 好きとか、付き合おうとか、相沢くんに言われたでしょ? それとも、もしかして澪ちゃんから?」
私は、口ごもった。絢女先輩は、きょとんを通り越して呆れ顔になった。
「嘘でしょ? まさか、何もなし?」
「何もないわけじゃ、ありませんけど……彗は周りに私のことを、彼女だって紹介しますし。私だって……でも」
好きとか、付き合おうとか、他人同士が恋人同士になるための通過儀礼みたいな言葉を、互いに掛け合ったことはなかった。必要だと感じたこともなかったけれど、絢女先輩は嘆息すると、ビターチョコレートみたいなほろ苦さで微笑した。
「俗っぽい言葉は、あなたたちには必要ないのかもね。変人の相沢くんらしいと言えば、らしいけどね。そんな関係に付き合えるのは、澪ちゃんだからでしょうね」
私まで変人のくくりに入れられたのは初めてで、ほんのりと顔が熱くなる。
私たちの関係は、
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