Ⅵ. 導きの光

 とうとう、少女の体調が崩れ始めた。

 彼女を覆う呪は日に日に膨張し、禍々しさを増している。おそらく、その影響であろう。

 男はここ数日、部屋に籠って眠りがちな少女へと最後にかけた言葉を思い出す。


『死にたい? はあ~、また言ってんのか。飽きねえな、この死にたがりクソ馬鹿お嬢さんも。……じゃあ、俺がこれから生きる百年とその先——この生が潰えるその時まで。せいぜいお前の長生きを末永く祈り続けてやるよ。無論、嫌がらせだが』


 もっと、素直な伝え方はできないのか。

 どうにも矯正できない己の口の悪さにほとほと呆れ果てながら、男は苦々しくため息を吐く。


「いや……んなこと考えてる場合じゃない、か」


 男は雑念を払うように頭を振ると、とある部屋の前で立ち止まる。

 そこは、屋敷の主であり、少女と若旦那の実父である大旦那の執務室に続く扉の前であった。

 一切の躊躇もなく、男は扉を開けるとその中に音もなく身を滑り込ませる。このことを誰かに知られれば、ただでは済まないだろう。だが、少女のことを考えれば、そんなことを気にしている時間もない。


「……やっぱ、気色悪ぃな。ここは」


 男はある程度執務室を見渡すと、鼻と眉間に皺を寄せて、小さく唸る。

 どうにもこの部屋だけが、異様なのだ。異様なほどに——死者たちの魂が、寄り付かない。

 この屋敷はどこを視ても子供の魂が彷徨っており、多いところには溢れかえって、死体のように積み重なっているほどだ。だというのに、この大旦那の執務室だけは魂の気配すらない。

 まるで——死者たちが恐れおののき、嫌悪して、避けているかのように。


「……」


 しばらく男は、執務室の中を隈なく探索した。

 そこでふと、並び立った本棚の奥に細い扉があるのに気が付く。男はその扉を開けようとしたが、鍵がかけられているようだった。


『あなた、わたしを水の中から軽々と持ち上げられるくらいだから、やっぱり力が強いはずなんだ。その力で、組み敷いてくる兄様にも逆らえばいい』

『そうなのか? お嬢さんが軽すぎるのもあると思うが』

『そう。あと、わたしは梢じゃない。大木。……兄様は、あなたのような自分よりも屈強な男を下に見て愉悦を……くだらない気持ちよさを覚えてるんでしょう』

『へえ。お嬢さんも俺を組み敷いたら、気持ちよくなれるか?』

『……ばか。なるわけがない』


 あの時のお嬢さんの顔も、きっと死ぬまで忘れることはないだろう。

 いつかの、そんなやり取りを思い出しながら。男は鍵のかかった扉を力任せに蹴破った。すると、いとも容易く扉は壊れて、先が開かれる。

 男は、扉の先にあった光景が目に入った途端——震える息を零して、猛烈な吐き気を咄嗟に堪えた。


「! ……っは……う、あ……」

 

 綺麗に整列し、壁と床が埋まるほど、剥製の如く飾り立てられていたのは——魔術か何かで防腐された、幼い子供の死体。その顔は、どれも苦しみに満ち溢れた壮絶な最期をあらわしていた。

 男は思いがけずその場に膝をついて頭を搔きむしり、上手く呼吸ができない苦しさに悶える。

 なんだ、これは。何なんだ、この部屋は。


「最近、やけにここらを嗅ぎまわっていると思ったら……とうとう、見つけてしまったな? これは、父のコレクションだよ——ずいぶん昔から奴隷を買って、集めているらしい」


 不意に背後から声が掛けられて、男は呼吸を荒げながら振り返る。そこにはやはり、不気味な薄笑いを浮かべた若旦那がいつの間にか立っていた。


「父の愛した奴隷たちは、こうやって死後も延々と愛でられる。ずっと、このコレクションはあまりにも悪趣味が過ぎると私も思っていたのだが……少し、気が変わったよ。近頃、お前と共にいるクロアゲハはー……面白い顔・・・・をするようになった。よく見ているよ。愛しているからね」


 若旦那はつかつかと男の前まで歩いてくると、男の顎を掴み上げて、その青ざめた顔を恍惚とした様子で見下ろす。


「次は、あの蟲の顔が……もっと醜く歪んでいる様を見たい。きっとそれは、ここにいるどの奴隷たちの顔よりも愛しいものになるし、永遠に保存すべきだ。——なあ。お前が目の前で死んだら・・・・・・・・・・・、あのクロアゲハはもっと私を満足させる顔をしてくれるだろうか」


 どうして彼らは、少女たちをこんなにも縛り付ける。

 いくらなんでも、あんまりだ。

 若旦那を殺してしまえば……少女は、何もかもから解き放たれるだろうか? ——否。この執着心の塊のような人が彷徨う魂となってしまえば、余計に厄介だ。少女を蝕む、新たな呪となるだろう。


(この屋敷の亡者たちも、ただの供養だけでは鎮まらんだろう。お嬢さんを縛る呪は、屋敷に取り憑く無数の亡者とこの若旦那……そいつらをすべて吞み込んでしまえば、あるいは)


 そこまで思い至って、今にも絶望に吞まれかけていた男の心が、雲一つない青空のように一気に晴れ渡った。

 そうだ——まさしく、己が〝闇〟と成ればいいのだ。


(非業の死を遂げれば……俺も、呪と成る。そして、お嬢さんを縛りつけるあまねく呪どもを——欠片も残さず、喰らい尽くしてやればいい)


 長い間、男の唯一の希望は、光は——生きることであったはずだ。しかし、生きていれば、人の光は全く別のモノに変わることもある。覚悟など決める必要もない。男の心は、少女に貰ったやさしい闇と、新たな光で万遍なく満ち足りていた。

 男は静かに目を伏せて、一度長い息を吐きだす。そして、次に若旦那を見上げた青い眼は——烈しい激情を携えた、炎の眼差しと成っていた。


「俺の眼は、悪魔憑きと呼ばれていたが……そうか。この眼は、てめえらみたいな〝悪魔〟を視るための眼だったわけか」

「は? 何をいい出」

「殺してみろ。この悪魔野郎——俺も、お嬢さんも。てめえに滅ぼされるほどやわじゃねえんだよ、クソごみが」


 若旦那の獣の如きおぞましい喚き声が耳に刺さって、思い切り殴り飛ばされる。

 男はいつも通り一切逆らうことはなく、ひたすらに暴力を受け止め続けた。

 四肢の骨をすべて粉砕されようと。刃物で肉を抉り出されようと。炎で炙られようと。首の骨をへし折られ、あらぬ方向を向いてしまおうと——男は、その青い炎の眼で若旦那を睨み上げることを、決して止めることはなかった。

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