(6)

 太陽が西の高い山々の向こうに、その姿を隠そうとしている。


 僕は、外の遊具で友達としばらく遊んでいたが、夕方になるにつれて、皆それぞれ自分の家に帰ってしまう。最後に遊んでいた友達が帰ってしまうと、仕方なく校舎の中に戻り、自分の教室を目指した。


 静かな校舎内を上履きに履き替えて歩いていく。自分の足音がペタペタと響くほどそこは静かだ。目指す4年生の教室は2階の階段を上がった場所だった。


 教室の引き戸をガラガラと開ける。広い教室の中には、自分の椅子に座り、机に向かっている子が1人だけ残っていた。


「なっちゃん。まだここにいたの?」


 僕は声をかけてから、教室の後ろの棚に置いたランドセルを背負った。なっちゃんは、僕と小さい頃からよく一緒にいる同級生の女の子だ。記憶にはないけれど、まだなっちゃんが小さい頃にお母さんが死んでしまい、僕のお母さんが、いつでも家に来ていいと言ったらしい。彼女はその言葉どおり、毎日のように家にやって来るし、まるで双子のような感じだ。


 この学校は、全校でも40人くらいしかいない小さい学校だが、なっちゃんは、みんなから色々と話しかけられることが多い。いつでも笑ってそれに答えていて、学校の中でも人気者だ。ただ、たまに空を見上げている姿を見かける。そういう時、いつかは泣いているように見えたこともある。それに僕には前に、「一人でいる方が好き」だと言っていたこともある。黙っていてもみんなが集まってきてくれるのに、正直なところ、変わっているなあと思う。


「何してるの?」


 言いながら彼女に近づいていくと、彼女が机の上に腕を置いた。


「ダメ! まだ見せられない」


「えっ? 何それ」


「いいから、まだダメなの。考えてるから。『かぐや姫』の続きの話」


 ああ、と言って、少し前のことを思い出す。


「それ、本気で考えてるんだ。お母さんの言ったことなんて、気にしなくてもいいのに」


「いいから……そっちの方に座っててよ」


 なっちゃんが少し怒ったように言うので、僕は彼女が座る一番前の窓側の席から、一つ席を空けた廊下側の席にランドセルを置いて座った。同級生は8人しかいないので、机は一列に3つずつ並べられているが、教室も広い分、机と机の距離も相当広く空けられている。だから、隣の隣の席と言っても、なっちゃんが書いている中身は全く見えない。


 なっちゃんが鉛筆でカリカリと書く音、そして時々消しゴムで消す時に机がグラグラと揺れる音も聞こえる。肘をついて、なっちゃんとその向こうの窓から見える外をぼんやりと見ていると、彼女の向こうに見える空は、少しずつ青色とオレンジ色が混ざったような色をしてきていた。


「ねえ、ハルト。あと10年したら、大人なんだって」


 彼女が机に顔を向けたまま、声だけで言う。


「えっと……ああ、そうだ。成人式っていうのがあって、大人になるんだっけ」


「そうそう。大人になって、私たち、何やっているかな」


 僕は少し考えるが、何も思いつかない。


「20歳って、大学生なんだっけ?」


「そうね。私、ハルトと同じ大学に行きたいな」


 なっちゃんはそう言って笑顔を向ける。窓から注ぐ光を受けてその姿がキラキラしているように見えてドキッとした。


「そ……そうだね」


 そう答えると、なっちゃんは頷いてから再び手元の紙を見つめる。そして、「あのね」と小さな声で言う。


「もし、私が大人になってね……」


 僕は机に肘をついたまま、「うん」と答える。


「その、何て言うか……魔法使いみたいになったら、ハルトは私のこと、どう思う?」


「え、魔法使い?」


 彼女がそっと頷く。意外な言葉に、肘をつくのを止めて体を起こすと、僕は思わず上を向いて想像する。


「ううん、魔法使いかあ……空を飛んだり、何でも欲しいものを魔法で出したりできたら、楽しそうだよね。病気やケガを治したり、悪い奴もやっつけたりもできるかもしれない。……うん、いいと思う」


 うん、となっちゃんも頷く。そして、大きなため息をつくと、しばらくして再び口を開いた。


「じゃあ、もし……悪い魔法使いになったら?」


 えっ、と僕は聞き返す。なっちゃんはこちらを真っすぐに見ている。


「悪い魔法使いって……良い人にひどいことをしたり、誰かが大切にしている宝物を奪ったりする、ってこと?」


「そうね……あと、誰かを殺したりもするかも……」


 なっちゃんの目は笑っていない。怖いほど、大きな目だ。


「こ、殺すなんて、そんなこと……なっちゃんがそんな悪い魔法使いになんて、なるはずがない」


「じゃあさ……もし、私がそうなったら……いや、そうなりそうな感じがしたらでいいんだけど、私を取り戻してくれる?」


「取り戻す……?」


「うん。私の手を、しっかりと握ってほしいの」


 なっちゃんはそう言って大きな目で僕の方を見つめた。心臓がドキドキとするのを感じながら、僕はなっちゃんの顔を見つめ返す。


「わ、分かったよ。……でも、そんなの大丈夫だよ。なっちゃんがそんな悪い魔法使いになるなんて、絶対にないから」


 はっきりとそう答えると、なっちゃんは、ぱっと明るい笑顔になった。


「ありがとう」


 変な事を聞いてくるなあ、と思いながら、また机に肘をついて座り直すと、しばらくして教室の引き戸がガラガラと開いた。


「あら。まだ残ってたの?」


 担任の雨宮先生が声をかけて、僕達に近づいてきた。


「先生。今日は、ミーちゃん……いえ、ハルトのお母さんが夕方に迎えに来るから、待ってるんです」


「あ、そうか。今日は水月ちゃんの迎えの日か」


 なっちゃんの答えに先生は頷く。


「2人で何してたの?」


「大人になったら、どうなっているかなって話をしていました」


「大人かあ。……先生はかなり昔に大人になったから、あなた達がうらやましいわ」


 先生はため息をついた。


「それで、どうなっていると思ったの?」


「なっちゃんが、悪い魔法使いになりそうだったら、僕が絶対に止めてあげるんだ」


「えっ……」


 先生が驚いたようになっちゃんの方を見た。


「先生……。もし、私が大人になって悪いことをしそうになったら、ハルトが私の手を握って止めてくれるって。私、とっても嬉しいの」


 なっちゃんが笑って言うと、先生はなぜか真面目な顔をしてしばらく黙っていたが、小さく頷いて、いつもの笑顔に戻って言った。


「そうね……。うん、あなた達なら、きっと、大丈夫」

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