(5)

 バイト開けに仮眠してから昼過ぎに実行委員会室に顔を出した。板野がいたが、彼は遥人の姿を見つけるとすぐにその前までやってきて頭を下げた。


「この前はすまなかった」


「い、いえ……いいんです。特に気にしていませんから」


「そうか。ありがとう。遥人にはこれからもお願いしないとならないことが多いんだ。だからこれからも頑張っていこうな」


 そう言う板野の前で、遥人が頷くと、彼も頷いて自分の席に戻った。大森たちに何か言われたのかもしれないが、彼も元々は皆をまとめようとする気持ちが強い人間なのだ。だからこそ委員長になっているのであり、彼の口からそうして直接謝られたことは、遥人からすれば胸のつかえが1つ消えたような気がした。


 その後、仕事を進めていると、気づくと夕方4時を過ぎていた。いつの間にか板野も姿を消していて、委員会室に残る人数も少なくなっていたが、まだ残っていた大森の席の隣に座って彼に声を掛ける。


「大森さん。明日から2日間、ちょっと休みます」


「休み? ああ……もしかして、友恵と旅行か?」


 彼はニヤッと笑いながら尋ねる。彼にも既にその話が耳に入っているのかもしれない。


「そうじゃないですよ。ちょっと実家に帰るだけです」


 内心ドキドキしながらも、さらっと嘘を言った。しかし、大森は「そうか」と言っただけで、それ以上突っ込んでこなかったので、急いで委員会室を出た。


 アパートに帰り、小さなカバンに着替えだけを適当に入れ、薄いタオルケットと、図書館で借りた鳥井先生の例の本を手にした。そして、自分の軽自動車に乗り込み、エンジンを掛けて発進させた。


 自動車の長距離運転は嫌いではない。実行委員のメンバーとも、日本海を見るために新潟まで行ったこともある。それに比べれば、目指す真月村は距離的には近い。時間は十分にあったので、高速道路代を節約し、都内を迂回するように造られた交通量の多い国道を走って行く。関東平野から山間の地域に入っていくと、次第に坂道が続くようになり、軽自動車のエンジンが悲鳴を上げているような気がした。途中で休憩している時にスマホを見ると、友恵からメッセージが送られてきていた。明後日から彼女はワンゲルの合宿で、北アルプスの方に行くのだ。友恵は合宿が楽しみのようで、準備の様子を写真で伝えてきていたが、遥人が実家に帰ることについては特に深く詮索してこなかった。


 深い山を超えていく山道が続いた。車にはナビが付いていないので、スマホでルートを確認しながら進んでいく。ただ、所々電波が悪い場所もあるので、道路の案内表示や自分の勘も頼りだ。



 ******



 真月村に入ったのはもう夜遅くになった。村の役場を見つけて駐車場に入ると、宿直が残っているのか建物には僅かに明かりが見える。駐車場が開いていることが分かったので、他に良い場所がなければそこで車中泊すればいいと目星をつけた。


 辺りはもう真っ暗になっていたが、スマホで見た情報では、向日葵畑の広がる辺りには展望台があるらしい。今からでは辺りの様子は何も見えないかもしれないが、どうしてもその場所が気になったので、遥人は車のアクセルを踏んだ。


 山林の間を抜ける道をしばらく走っていくと、山麓の斜面が広がる地域に出た。道路は対向車もなく真っ暗だ。その分、月明かりが空から車内に注いでいる。その光を浴びながら、車のヘッドライトが前方の闇を裂くように走り抜けていく。


 しばらく行くと、広い駐車場のような場所があった。そこは緩い斜面を造成して砂利の駐車場にしているようで、これまで上ってきた坂と違って平坦な場所だ。遥人はそこに車を停めて外に降りる。


 遥人の顔に強い風が当たる。暗闇でよく見えないが、辺りには畑が一面に広がっているような場所で、風を遮るものは何もない。造成した駐車場の端まで歩いていくと、目の前に広々とした光景が広がった。


 空には満月が出ている。いや、はっきりと満月かどうか分からないが、大きな丸い月が空にあり、僅かな雲がその光に照らされて黒っぽく見えていた。月明かりの下で、辺りには畑が広がっていることだけは分かる。そこには、一面に向日葵が咲いているのだろうが、その姿は手前の方しか見えない。その向こうは、月の光に照らされて僅かに高い山の稜線が見えるものの、その姿はおぼろげだ。ただ、村のホームページに載っていた写真は、きっとこの場所で撮ったものに違いないと思った。


(あの夢の場所も、ここなのか……?)


 そう思った時だった。


 車のドアがバタンと閉まる音が聞こえた。それに振り返ると、駐車場に停まっていた車から、誰かが降りてきて、こちらに向かってきている。3人……いや5、6人はいる。黙ったまま、その人影が遥人の方に近づいてくる。


「どうした? そんなところでよ」


 男の低い声が聞こえた。確認できただけで男6人。全員マスクをつけて黒っぽい服を着ているので、体格や表情も読み取れないが、彼らは遥人の周りを遠巻きに取り囲む。反射的に自分の車の方に走ろうとした。するとすぐに、左腕をしっかりと掴まれてしまった。


「おい、待てよ。逃げることはないだろ」


「は、放してください」


「スマホと財布を出せよ」


 1人の男が言った。月の光で、男の持った何かが光ったような気がした。どうやらナイフのようなものを持っているらしい。震える手でポケットのスマホと財布を取り出した。別の男がそれを取り上げて、財布の中身を覗く。


「何だよ。少ねえな」


 男は財布を地面に投げ捨てる。その時、車のライトが遥人達の方を照らした。駐車場に車が入ってきたらしい。


「チッ、仕方ねえ。行くぞ」


 男たちはそのまま走って自分達の車に戻ると、すぐに走り出してしまった。まだ男に捕まれていた左腕が痛い。それでも地面に落ちた財布を拾い上げる。


 すると、さっき入ってきた車のドアが開いた。


「おい。大丈夫か」


 老人の声が聞こえて、足音が近づいてくる。その方を見ると、車のライトで照らされた白髪の老夫の姿があった。


「す、すみません。大丈夫です」


「誰かおったようじゃが、何かあったのか」


「それが……突然囲まれて、財布とスマホを出すようにって。財布は無事ですが、スマホを取られました」


「何と……。それで怪我はないか」


「ハア……大丈夫です」


「そうか。それで、これからどうするんじゃ。宿はどこじゃ」


「いえ。特に決めていなくて。そこらで車を停めて車中泊しようかと」


 遥人が答えると老人は首を振った。


「最近、この辺りも少し有名になったせいか、おかしな奴らも多くなったんじゃ。車中泊はやめなされ。もしよければ、ウチに泊まればいい。昔、子供が使っていた離れが空いてるから」


 さっきの男達にからまれた恐怖もあり、遥人には断るという選択は出来なかった。「ありがとうございます」と答えると、老人の乗って来た車の後ろから、車を走らせていく。

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