第2話

 この日が初日であったこともあり、我々はスーツを着ていた。季節は夏の終わりであるから、私はポロシャツなども持ってきていたが、その時は皆ジャケットと革靴という服装で、落ち葉の多く積もる、舗装されていない道を進んでいた。うっそうと木々が生い茂っているため、日陰であることが少なくない上に、雑草もさほど歩くのに支障をきたすような場所には生えていなかった。長らく、一定のリズムの日々であったため、ゆっくり歩いたものの、額から汗がしたたり、都会生まれで、私よりもやや年上のセネイト教授は一層、苦しそうだった。

 かつての行き来を想うと、確かに天然の要塞として有効であったことがうなづける。しばらくして、休憩もかねてセネイト教授は景色などの写真を撮ることが増えていった。今思えば、それは学者としての理性的本能のあらわれだったのではなかろうか。彼の撮った写真が心霊写真だったなどという粗末なオチが用意されていたならば、私としても出来はともかく、筆者として、そして当事者として非常に嬉しい。だが、先述したように、そこは霧が少し出ていたため、スマートフォンのカメラではぼやけてしまうことが多々あり、資料的価値もさほどないようなものばかりだった。しかし、彼はその霧やもやの形に違和感を覚えたらしいのである。ついには立ち止まって、フラッシュをたいたり、暗視補正に設定したり、あるいは動画をまわすなど、手元の機器で可能なかぎり撮影していた。このとき、我々の間に恐怖の如き感情があったか問われれば、まず間違いなく無かったと断言できる。さもなければ、我々は先に進まず、温泉でも浸かっていたに違いないのだから。知的好奇心とは時に愚かな結果を生みだす、これもまた歴史の真理である。


 かつて私は信心深くはなかった!


 これだけは何度だって述べておきたい。あくまでもこの手記は体験談である。肝試しではなく調査の結果なのだ。そして、山奥で見聞きした彼らの存在を、私は「後南朝」の原動力であったと学会に論文を提出することはできない。日本史の根幹を左右してしまいかねない重大事であるからだ。これは学問のみならず国体をも揺るがしかねない。日本は島国だからだ!

 後南朝、この言葉はいやに的を射ているじゃないか。南北朝合一後に、旧南朝勢力が反幕府運動をしたことを指すこの言葉は、今なお、通用しかねない。

 彼らが滅亡ないしこの島国を去るまでは、反勢力、否、“旧支配者”であった彼らを歴史から葬り去ることは叶わぬ願いなのだから。

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