30代おっさんアイドルがどん底から復活する話

則本珠季

第1話

「はぁ……」


 松島楓まつしまかえでは悩んでいた。

 チーフマネージャーを務めるアイドルグループ「STARS」のことだ。


「このやる気のなさ…一体どうしたらいいのやら…」


 楓は人気の少ないオフィスでつい独り呟いた。この時間はほとんどの営業部員――すなわちマネージャーがタレントについて回っている。


 STARSは星野翔太ほしのしょうた後藤徹也ごとうてつや吉川慎太郎よしかわしんたろう青木竜あおきりゅう、そして宮本英治みやもとえいじの5人組。そこそこ人気があるが、それは英治の個人的な人気に引っ張られて何とか活動出来ているところが大きい。そしてそれに気づいているのかいないのか、ここ最近特に英治以外の4人に全くやる気が感じられない。

 

 チーフの楓としては出来れば5人全員の仕事をたくさん取ってきてSTARSの活動を盛り上げたいところなのだが、相手方の反応は大抵「英治くんはいいんだけどねぇ…」というものなのだ。一番年下の英治も先月30歳になり、全員30代になってのこの状態…そろそろ抜本的な策を取らないとグループとしての存続も危うい。


「はぁ……」


 再びオフィスに楓のため息が響く。今までの活動を振り返ったり、参考に他のグループの活動状況を聞いて回ったりしたが、どうにも良い策が思い浮かばなかった。


 宮本英治のことはよくわかっている。楓が入社して初めて担当したタレント。

 すらっとした長身に「かっこいい」と「かわいい」がうまく共存した優しい顔立ち。歌が上手で演技にも定評がある。それでいてそれを鼻にかけることはなく素直で謙虚。だからこそ業界人気もファンの人気も高い。そして楓も…


 楓はかぶりを振った。あぁ、いけない、思考が堂々巡りしている上に関係ないことまで考えている。

 ふとPCでタレントスケジュールを確認すると、この時間は都内のスタジオでインタビューと撮影だ。気分転換に少し会いに行こうか。楓は車のキーを取ってオフィスを後にした。



 スタジオに到着するとちょうど撮影中だ。たくさんのスタッフに囲まれた中に彼はいた。宮本英治。

 今日は主演ドラマのプロモーションを兼ねた雑誌のインタビュー。ドラマのキャラクターに合わせてかクールな表情が多い。英国紳士風の衣装が長い手足によく映える。


「うん、いいね、英治。じゃあちょっとだけ微笑んでみて」

 

 カメラマンの声掛けに合わせて英治は少しだけ表情を変える。

 カメラマンは満足そうにうなずき、シャッターを切り続けた。


「チーフ、お疲れ様です」


 小声で声をかけられた。英治の現在の担当マネージャー、西村くんだ。

 いつ見てもさわやかな顔立ちをしている。事務所所属のタレント、と言われたら信じてしまいそうだ。


「お疲れ様、順調?」

「はい、インタビューも無事終わりまして、あとは撮影だけです」


 そう西村くんが言うのが先か、色んなところから声が上がった。撮影が終わったようだ。

 英治は疲れたのかしばらくぼーっとしていたが、楓に気づくと犬のように駆け寄ってきた。栗色のサラサラ髪が余計に犬を彷彿とさせる。


「かえでちゃん!来てたの?見てくれてた?」

「英治、お疲れ様。うん、私が来たときはもう終わりかけだったけどね」


 英治は撮影中の表情とは打って変わって無邪気な笑顔になった。

 このギャップもまた彼の魅力だろう。


「あ、チーフ……もしできればなのですが……」


 西村くんが申し訳なさそうに切り出した。


「僕、事務所仕事が溜まってまして……英治さんを自宅に送ってもらってもいいでしょうか」

「うん、わかった。書類仕事も明日手伝うから、早めに帰ってね。たぶん今事務所で一番忙しいの西村くんだから」


 担当のタレントが忙しいと自ずとマネージャーも時間に追われることとなる。主演

 ドラマを撮影中の人気アイドルのマネージャーである西村くんも例外ではなかった。よく見ると目の周りにクマが出来ている。


「あ、ありがとうございます」

「かえでちゃん、出来る上司だね、かっこいいー!」

 英治が楽しそうに楓を茶化す。

「…西村くん、英治にわがまま言われてない?大丈夫?」

 楓は大きな瞳を見開き、英治の方を見ずに続けた。

「えー、ひどい、かえでちゃん!俺わがままなんて言わないよ?」

「あれー?眠いから明日は休みたい、って駄々こねたのはどちら様でしたっけ?」

「ちょっと、それ何年前の話?俺も大人になったの!そんなこと言いません―!」


 西村くんはギャーギャー騒ぐ二人のやりとりを見て少し笑った。

「英治さんお疲れさまでした、ゆっくり休んでくださいね、明日撮休ですし」

「うん、ありがとう。西村くんもね」

「ありがとうございます、じゃあ、チーフあとお願いします」

 そう言っておじぎをして西村くんはスタジオを後にした。



 楓が車の中で仕事を片付けていると着替えを終えた英治がやってきた。

 Tシャツにワークパンツ、その上にオーバーサイズのパーカーを羽織っている。

 そんなラフな格好でもおしゃれに見えてしまうのはスタイルの良さがなせる業だろう。


「じゃあ、かえでちゃんよろしくお願いします」


 車に乗り込むや否や、英治はそう言って楓におじぎをした。

 事務所の教えとして何度も「裏方仕事にも敬意を」と刷り込まれているとはいえ、それを体現できるタレントは残念ながら多くない。英治ほどの人気者であれば尚更だ。


「はーい、疲れてたら寝てていいよ」

 楓はそう言って車のエンジンを掛けた。

「えーやだ、せっかくかえでちゃんと話せるんだもん。寝るのもったいないよ」

 いつもながら冗談なのか本気なのか分からない英治の言葉に楓は内心ドギマギさせられる。


「…西村くんはどう?ちゃんとやってる?」


 楓は車のハンドルを握りながら英治を見ずに言った。

 楓がチーフになった約半年前、まだ入社したばかりの西村くんに英治のマネージャーの後任を任せることになった。今も楓が適宜サポートしながらではあるが、大きな問題は耳に入ってきていない。


「凄くいい子だよ。さすがにここ最近は疲れてるみたいだけど」

 英治はリラックスしたように背もたれに体重を預けたまま答えた。

 英治のマネージャーを担当してから初めてのドラマ撮影である。ドラマ撮影だけでも忙しいのにそのプロモーションのための番組出演やインタビューもある。演者だけでなく、裏方もてんてこまいなのだ。

 それでも新人の西村くんがこなせているのは英治の人当たりの良さのおかげだと楓は思っている。これが性格の悪いタレントだったらとてもじゃないが新入社員には任せられない。

 3日で辞めてしまうだろう。


「ドラマが終わるまでの辛抱ね」

「えー、でもドラマ終わったら年末年始の特番でしょ?」

 楓は英治の言葉にはっとした。

 そうか、もう年末なのか。

 年を取ると時が経つのが本当に早く感じる。


「じゃあ…ゆっくり休めるのは年明けね」


 車は駐車場を出て外に出る。

 まだ17時前だというのに外はもう暗くなっている。11月であることを忘れたように街はクリスマスの装いだ。


 来年には楓は35歳。アラフォーと呼ばれる歳になってしまう。

 頭の固い両親からはしょっちゅう「結婚はまだか」「子供はまだか」と言われるが、「もうあきらめてくれ」と返していた。

 どうにかして「普通の人」と結婚したい、親に喜んでほしい。そんな思いで人並みに合コンに行ったり婚活したりしてみたが、どうにもダメだった。


 たわいもない世間話を英治としているうちに、車は英治の住むタワーマンションの駐車場に到着した。


「はい、お疲れ様。ゆっくり休んでね」


 楓は車を止めた。

 車内に若干の静寂が流れた後、英治が切り出した。


「ねぇ、かえでちゃん、今日うち寄ってかない?」

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