第5話

「ああ、それは恐らく『楽団ガンダルヴァ』と『アプサラス舞団ぶだん』だな」

 ガレスの問いに、ハウトは素手で料理を掴みながら答えた。手食文化に馴染みのないガレスとオリフィニアの前にはスプーンが用意されているが、現地の文化を体験するのも勉強の一つだと父に教えられていたため、見様見真似でガレスたちも手で直接、料理を掴んでいる。

 昼間に町で催されていたのは、荘厳な音楽と優美な舞の発表だった。

 鳥のくちばしに似た被り物や翼を真似た装束で揃えた男たちが様々な楽器を奏で、彼らの前で麗しい女たちが優美に舞っていた。彼女たちが回ったり、飛び跳ねたりするたびに手首や足首にくくられた鈴が流麗な音を響かせ、思わず食い入るように観賞してしまった。演奏が終わった時、ガレスもオリフィニアも自然と拍手していた。

 彼らに話を聞いてみたかったのだが、あいにく一団はすぐに別の演目を始めてしまったし、ガレスたちは王宮に戻らなければいけない時間が迫っていた。夕食の際にハウトに一日の報告をするよう言われているのだ。

 せっかくだし、その場であれは何だったのかと聞けばいい。料理を出されてすぐに問いかけたガレスに、ハウトは楽団と舞団の名前を教えてくれた。

 演目の披露は毎日行われているわけではなく、二、三日に一度、決まった時間に決まった場所で発表されるのだという。

「歌とダンスはそれぞれ別の団体なんですか?」

 ガレスは葉に似た形をしたパンにどろどろになった野菜のペーストを浸し、絨毯の上に落としてしまわないよう注意しながら問う。

「うむ。別の団体ではあるが、基本的に公演はともに行っている場合が多いな。楽団ガンダルヴァは男だけ、アプサラス舞団は女だけしか入団できぬ」

「楽団と舞団の名前には、なにか由来があるんですか」

「ガンダルヴァもアプサラスも、わが国に伝わる神や天女だ。ガンダルヴァは神の宮殿で至上の音楽を奏で、彼らの妻であるアプサラスは接待役として踊りを披露する。どうだった、彼らの演奏は素晴らしかっただろう?」

「ええ、とても。曲も初めて聴くものばかりで新鮮でした」

 もとから音楽が好きなオリフィニアは素直にそう答え、骨付きの鶏肉にかじり付いていた。

 ハウトは満足そうに「そうか、そうか」と頷くと、懐かしむように目を細める。

「俺も昔は王宮を抜け出し、彼らの演目を観に行ったものだ。今と昔では曲も踊りも変わっているのだろうな」

「そういえば、あの歌や踊りにはどんな意味があるんですか?」

「その時々によって異なる。雨乞いであったり、豊穣を願うものであったり、女神に癒しを与えるものであったり」

「女神……サラスヴァティーですか」

「ああ。ところで、どうだ。女神を蘇らせることは出来そうか?」

 少年のように瞳を輝かせて、ハウトはずいっと身を乗り出してくる。思わず「うげ」と呻きたくなるのを堪えて、ガレスはおずおずと口を開いた。

「恐れながら殿下。女神は幻獣で、幻獣を作ることは禁忌だと昨日もお伝えしたはずです」

「言っただろう、わが国にそのような法はないと。外へ繰り出していたのは女神復活に必要な材料を求めるためではなかったのか?」

 誰もそんなこと一言も言っていないのだが。ハウトは都合よく解釈していたらしい。彼は不満そうに眉間にしわを寄せ、睨みつけるようにガレスを見る。蛇に狙われた獲物はこんな気分なのだろうとぼんやり感じた。

 助けを求めたいけれど、オリフィニアを頼ろうものなら男としての矜持が傷つく。ならばせめてドゥルーヴと思っても、あいにく彼は同席していない。なにやら別の用事があるのだという。

「……幻獣作成は禁忌であり、犯したと明らかになれば私だけでなく、その家族までもが火刑に処されるんです。そのような危険に自ら飛び込むわけにはいかない」

「であれば、エアスト家だったか? そなたの家族全員、ファラウラに招いて保護しよう。そうすれば処される恐れなど無い」

「いや、だから……!」

「なにを躊躇う。女神のほかにも幻獣を作りたければ材料はいくらでも用意する、という約束も付け加えるぞ」

「そういうのを望んでいるわけじゃないんです!」

 ガレスはただ幻獣を作りたくない――幻獣を作ることによって誰かを犠牲にしたくないのだ。ただそれだけのことなのに、どうして理解してくれないのか。

 ハウトにとって女神サラスヴァティーは、それほど大切な存在なのだろう。そして民たちにとっても無くてはならない存在だと彼は考えているに違いない。

 ――熱意に差があるんだ。

 実際にサラスヴァティーを奉る聖堂や、町の様子を目にして改めて思ったことがある。

 信仰の対象として女神は慕われているが、ハウトほど「復活してくれ」という強い思いを人々から感じられなかったのだ。現在のファラウラは守り神でもあるサラスヴァティーが失われた状態なのだから、それなりに民からも悲嘆が漂っているのかと思えば、そうでもない。

 もちろんガレスたちが女神を復活させるために招かれた客だと知れば、一気に反応が変わる可能性もあるのだが。

 少なくとも現時点で、女神を何としても蘇らせてほしいと願っているのはハウトだけに思える。

「殿下、一つお聞きしたいのですが」

 骨についていた鶏肉をきれいさっぱり腹に収め、オリフィニアは口元を指で拭ってからハウトに向き直る。

「女神が壊れたのはいつですか?」

「いつ……」ハウトは記憶を辿るように腕を組んで目を閉じると、しばらく悩んでから答えた。「二十年前……俺がまだ六歳だった頃だ」

 そうですか、とオリフィニアは小さく頷いた。

 問いに何の意味があったのかとハウトは不思議そうな顔をしていたが、追及するほどでもないと思ったのか、彼はガレスに再び目を向けた。

「そなたが作りたくないというのなら、俺が作れば良いのではないか? どのようにすれば幻獣を作れる。教えよ」

「教えられませんし、教えたところで殿下に幻獣は作れません。失礼ながら、殿下には幻獣作成に必須の神力イラが宿っていないんです。これが無い限り、いくら材料をそろえたとしても幻獣が形になることは絶対にありません」

「むう。ではどうすれば俺は神力を手に入れられる?」

「神力は生まれつきです。あとから神力を宿すなんて無理です」

 ――正直に言えば、〝宿す〟だけならどうにかなるかも知れないけどさ。

 他国の王族が、生死の境をさまよった末に機能を停止した心臓に代わり、神力の塊である〈核〉を埋め込まれたことによって延命したという事例を聞いたことがある。

 ただ、その王族の場合、神力を宿しはしたものの、それを自在に操ることは出来ていないという。

 仮にハウトに〈核〉を埋め込んだとしても、例の王族と同じく、神力の操作は出来ないだろう。

「では結局、そなたたちが作るしかないではないか」

「しかし私は……」

「忘れているようだが、そなたたちは『女神を蘇らせよ』という依頼で招かれているのだぞ。これを遂行せぬ限り、帰国は断じて許さぬ」

「えっ、そんな!」

 冗談であってほしかったが、ハウトの目は至って真剣である。

「俺に無断で逃亡しようものなら、地の果てまで追いかけて連れ戻し、否が応でも女神を蘇られてもらう。そのような手段は俺もとりたくないし、そなたたちも嫌だろう?」

 嫌ならさっさと女神を復活させろ、という言外の脅しに、ガレスは何も言えないままうな垂れるしかなかった。

 先ほどまでは確かな味を感じていたはずなのに、料理は一気に味気を失くしていた。



 部屋に戻るやいなや、オリフィニアはアニック老に借りた本のうち、「ファラウラ建国秘話」の方をめくり始めた。

 二人は「彩雲の間」と呼ばれる部屋を与えられていた。この部屋だけで庶民がひと家族くらい余裕で暮らせるほどの広さがあり、いまだに微妙にそわそわとして落ち着かない。オリフィニアは部屋の中央に置かれた机にどんっと建国秘話を乗せ、なにかを探すように目を凝らしている。

「どうしたの、フィニ」

「女神が壊れたのは二十年前だと殿下が仰っていたでしょう。女神が壊れるほどの何かとはなんだろうと思いまして……これかしら」

 本が出版されたのは十七年前らしい。建国秘話と謳っているが、実際にはごく最近の歴史までを書き記してあるのだろう。オリフィニアが求めていたものは、終盤の頁で見つかった。

 ここです、と示された部分をガレスも見る。特徴のある字で書かれているものだから読解に時間がかかったが、読めなくはない。

「『カルーフの年、北の異国カラヘッヤがファラウラに侵攻を開始』……?」

「具体的な日付は書かれていませんが、カルーフと書かれた文字の隣にある数字を見る限り、今から二十年前の出来事なのは確かでしょう」

 ファラウラは侵攻軍を迎え撃ったが、状況は芳しくなかったようだ。武人階級や、その他の階級から志願して集められた兵だけでは足りず、男であれば幼くとも兵として戦場に駆り出されるほどひっ迫していたとある。

 ある時、ファラウラ軍をかいくぐって国内に侵入してきたカラヘッヤ軍が王宮に辿りついた。少人数ではあったものの武装した敵は非道な手段を取り、王宮は混乱に陥ったが、女神の加護によって事なきを得たと記してあった。

 その後、カラヘッヤ軍の大将が討ち取られたことによって侵攻は食い止められ、ファラウラはカラヘッヤの一部を自国領として吸収したそうだ。

「非道な手段……女神の加護……なんか色々と抽象的だなあ……」

「何にせよ、女神が壊れたのはこの一件が関連していると考えて良さそうですね。ドゥルーヴさんならなにか知っているかも」

 噂を聞き付けたかのように、扉がノックされて「失礼します」とドゥルーヴが姿を見せた。表情にいつもの明るさが無く、心なしか疲れているようだ。

「お二人とも、今日は町を散策されてお疲れでしょう。果実水をお持ちいたしました」

「わー、ありがとう」

 透明で細長いカップの縁には赤紫色の花が飾られ、薄らと桃色に色づいた果実水と合わさって見た目にも華やかだ。甘さの奥に酸味も感じる果実水で喉を潤したところで、ガレスはアニック老から借りた本をドゥルーヴに見せた。

「建国秘話と神話ですか」

「うん。ドゥルーヴくんは読んだことある?」

「ええ、何度も。王宮に召される前にはほぼ毎日読んでおりました」

 アニック老がドゥルーヴの様子を気にしていたと伝えると、彼は嬉しそうに頬を緩めた。普段はハウトの側仕えとして気を張っているのだろうが、こうしてたまに見せる嬉しそうな表情には、年相応の幼さが滲む。

「読み書きや計算も、アニックじいさんに教えてもらったんです」

「以前はあのあたりに住んでいたって聞いたけど、どういう経緯で殿下に仕えるようになったの?」

 言葉は悪いかも知れないが、アニック老の店があったあたりは、王宮に仕えるような上流階級の人々が暮らしているような場所には思えなかったのだ。

 どちらかというと、店の近辺は下位の階級――庶民や奴隷たちが多く暮らす地域だったような気がする。

 ドゥルーヴは困ったように眉を下げていたが、やがてガレスとオリフィニアの前に腰を下ろすと「僕が殿下にお仕えすることになった経緯は、多少というか、かなり特殊なんです」と口を開いた。

「特殊?」

「はい。それを語るにはまず、僕の身の上から話さなければならないのですが……僕はファラウラの出身ではないんです」

「あ、そうなんだ」

「はい。僕が生まれたのは、北にあるカラヘッヤという国なんです」

 と、ドゥルーヴは二人が覚えたばかりの国名を述べた。

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