第3話

神力イラっていうのはさ、〝なんでも出来る力〟なんだけど、〝なんでも出来るわけじゃない力〟なんだよ――あ、これ美味しいな」

 甘辛い味付けの肉を頬張り、口の周りについたソースを指で拭った。初めはほんのり甘いのだが、噛んでいるうちにどんどんピリッと辛味が効いてきてくせになる。なんの肉かと問うガレスに、夜の町を案内してくれているドゥルーヴは「羊ですよ」と自らもそれを食しながら答えた。

「豚とは違う味がするなあと思ったら、羊だったんだ。初めて食べたな。フィニは?」

「私は他の国で何度か。ですがこの味付けは初めてですね。香辛料が効いていて美味しいです」

 食べ歩きがしやすいように、持ち手となる箇所には分厚い葉が巻かれている。おかげで手が汚れない。初めて体験する異国の食文化に、ガレスはあとでしっかり記録しておこうと決意すると同時に、すぐに記録したがるあたり自分はエアスト家の人間なのだなとも実感した。

「ところでガレスさま。先ほどのお話の続きなのですが」

「神力の話?」

「はい。なにやら矛盾しているように思いまして」

「うん。神力の説明をした時、大体の人にはそうやって言われる」

 正確には「って父さんが言ってた」という一言が加わるのだが、ドゥルーヴは知らなくてもよいことだ。

 ガレスたち魔術師が宿す神力は、〝神の力の名残〟と言われている。

 大昔、神話の時代。神は人間を泥から作り上げたとされ、その際に神の力の一端が宿ったのだという。紆余曲折を経て、人間は肉の体を獲得するに至るのだが、大半は泥だった頃宿していた力を失っていた。例外が魔術師と呼ばれる人々だ。

「魔術師は神力でなんでも出来たんだ。不治の病を治したり、枯れた大地に水を湧かせたり、自由自在に空を飛んでみせたり……幻獣を作ったり」

「ではガレスさまにもそのようなお力が?」

「いや、俺に今言ったような力はないよ。得手不得手があるんだ。俺に出来るのは防御とちょっとした攻撃、あとは他人の神力の探知」

「なるほど、それで〝なんでも出来るわけじゃない力〟と……」

 けれど僕にとってはじゅうぶん素晴らしい能力です、とドゥルーヴはガレスに憧れの眼差しを向ける。なんだか微妙に恥ずかしくて、ガレスの唇が弧を描いた。熱烈な視線から逃れるように目線を上に向けると、明るく灯ったランタンが屋台や地面に蛍火のような光を落としていた。

 客人へのもてなしとして、ハウトから夕食は提供された。だが考えなければいけないことが山積みなのと、王族と食事を共にするという緊張感から、胃が全く食事を受け付けなかったのだ。結果、空腹を訴えたガレスはドゥルーヴの案内で、昼間は牛車で通った道を己の足で歩きながら、目についた美味しそうなものを片っ端から口にしていた。

「あ、なんか甘いにおいがしてる。なに売ってるんだろ。あそこの店かな」

「そんなに何でもかんでも買っていたら、お金が無くなりますよ、坊ちゃん」

「大丈夫です、僕がお支払いしますから」

「え? いいの?」

「もちろんです」

「そんな、お言葉に甘えるわけには」

「構いません。オリフィニアさまも食べられますか? 二人分買ってまいりますので、この辺りで少々お待ちください」

 恐縮するオリフィニアにはにかむと、ドゥルーヴはさっそく屋台に向かう。人気店なのか、それなりの行列が出来ていた。戻ってくるには少し時間がかかるだろう。ガレスは道端の段差に腰を下ろし、オリフィニアも同じように座り込んだ。

「――それで、どうなさるおつもりですか」

 オリフィニアの声が心配そうに暗くなる。

 楽しい屋台巡りに心を躍らせていたが、これは単なる現実逃避だ。彼女の一言をきっかけに、ガレスの緩んでいた表情もだんだん強張っていく。

「……しっかり断ったけど、あれは多分、聞かなかったことにされてるもんな」

 王宮で〝女神だったものの欠片〟を見せてもらったあと、ガレスは自分の見解をハウトに伝えた。

『貴国を守護していた女神は、神ではありません。幻獣です』

『幻獣……とはなんだ。申せ』

『人工生命体です』

 神が人を作り上げたように、人が――魔術師が力を注いで出来上がったもの。

 幻獣には心臓が無く、代わりに〈核〉と呼ばれる神力の塊がある。これがある限り、幻獣は傷を負おうが、体を切断されようが死なない。時間が経てば元通りになる。幻獣にとっての死は、〈核〉の破壊あるいは摘出だ。

『この砂の塊から、神力の気配を感じました。それに幻獣は壊れると、最期はこんな風に砂になるんです。その点を考えると、ほぼ確実に女神は幻獣だったものと思われます』

『ふむ。それで?』

『大変申し訳ないのですが、私もオリフィニアも、女神さまがどのようなお姿なのか存じ上げません。なにか拝見できるものはありますか?』

『泉のかたわらでヴィーナを奏でる女神の絵がある。しばし待て』

 ドゥルーヴが運んできたのは、彼の背丈ほどもある大きな絵だった。蓮を模ったと思われる黄金の額縁が立派だ。絵の背景には王宮と中庭が描かれ、泉のそばには弦楽器と思しきものを携える女性が描かれている。腕は四本あり、こちらに注ぐ眼差しは慈しみと神々しさに満ちていた。背後を舞う白鳥が、より一層神性さを際立たせている。

 一目見たところで、ガレスは「やっぱり」と眉間にしわを寄せ、オリフィニアと目を合わせた。彼女も困ったように眉を下げている。女神の絵に感嘆の吐息を期待していたであろうハウトは期待外れの反応に首を傾げるばかりだ。

『女神さまは人の姿をしておられますよね。ということは、確実に材料に人間を使っているでしょう。腕が四本というところを考えると、恐らく最低でも二人ほど』

『……どういうことだ?』

『幻獣を作るには材料が必要なのです。犬の姿の幻獣なら犬を、猫の姿の幻獣なら猫を。そして人の姿の幻獣なら人を用いる。基本となるそれのほかに〈核〉など必要なものを組み合わせ、神力を注ぐことによって幻獣は作り上げられるのです』

 オリフィニアが淀みなく説明し、ハウトはそれを理解するのに時間がかかったのか、しばらくむっつりと黙り込んだ。

『先に申し上げますと、幻獣を作るのは、現在は禁忌なんです』

 ずっと先延ばしにしていた言葉を、ガレスは思い切って伝えた。

『なぜだ?』

『道徳的な観点から、です。二百年以上前の話になりますが、人間を材料に使ったことによって、魔術師の多くは処刑されました』

 それまで魔術師たちは「神と同等の力を持つ者」として持てはやされた。多数つくられた幻獣の中には人々に恵みをもたらしてくれる個体もいたし、幻獣信仰が芽生えた地も少なくなかった。

 だが幻獣には材料が不可欠なこと、それに人間が用いられていると判明した途端、世間の風向きは変わった。幻獣の多くは神話と同じように、泥から作り上げられたと信じている者が多かったこともあり、裏切られた、非人道的だと怒りの声が各所から上がったのだ。

 魔術師たちは次々に糾弾され、処刑、あるいは離散した。かつて高名な家系は十あったが、幻獣作成の永久禁止を条件に存続しているのは、ガレスのエアスト家と、もう一つ別の家系だけである。

『殿下のご依頼である「女神を蘇らせる」というのは、「幻獣を作れ」という要請にほかならず、また確実に人を犠牲にせねばなりません』

『…………』

『なので、大変心苦しいのですが、幻獣を作るということに関してはお断りを……』

『ならぬ』

『は?』

 困惑するガレスに、ハウトはもう一度『ならぬ』と首を振った。

『女神の存在はわが国にとって不可欠だ。女神が居らねば民が真に安らげることもなく、父上が回復されることもないだろう』

『そんなことは……』

『材料さえあれば幻獣は作れるのだろう? ならば俺が用意しよう。人の一人や二人、奴隷から見繕えば良いだけの話だ。他に必要なものはなんだ? 遠慮なく申せ』

『いや、だから、幻獣を作るのは禁忌って』

『そなたの国では、だろう。わが国ではそのような法はないし、咎める者は誰もおらぬ。むしろ女神のためならと、みな喜んで己が身を犠牲にするだろうよ』

 本当にそうだろうかと懐疑的なガレスやオリフィニアと違い、ハウトは心の底から自信をもっているようだった。

『ともかく、俺の依頼は必ず成し遂げてもらうぞ。さて、そろそろ夕餉の時間だな。そなたたちも腹が空いておるだろう?』

 その後はハウトの勢いに引きずられるままで、ガレスがあれこれ意見を言っても聞く耳を持ってくれなかった。王族特有の強引さなのか、それともハウトだけがこうなのか、高貴な人々を相手にしたことがないガレスには分からなかったが。

「確かにさ、この国に幻獣作成を禁止する法はないよ。ないけどさ、だからといって『はい分かりました、じゃあ作りましょう』っていうのは違うじゃん」

「そうですね」

 幻獣作成や、活動の維持に不可欠な〈核〉の作り方については、一応父から教わっている。だがそれは幻獣を作るためではなく、傷ついた〈核〉の修復もしくは交換のためだ。実際に作ったことは一度もないし、そこから発展して幻獣作成まで手を出そうものなら、ガレスは過去の魔術師たちと同じ運命を辿ることになる。

 自分だけでなく、家族たちまでも。

 幻獣を作成した場合、最も重い刑罰は火あぶりだ。作成した本人だけでなく、周囲は黙認した罪に問われ、等しく火刑に処される。殺人だとか反逆罪とか、そういった場合の刑罰は絞首刑なのに、どうして魔術師は火刑なのかと数年前に聞いた時、疑問に答えてくれたのはオリフィニアだった。

『お墓を荒らして、死肉を食べる人がいるからですよ。魔術師が宿す神力を得ようとして、ね。そんなことをしても、神力イラは手に入らないのに』

 神力は先天的に宿っているもので、後天的にどうにかなるものではない。それでも一縷の望みをかけて墓を荒らす者がいるそうだ。

『つまり火刑なのは、幻獣を作ったらこうなるんだという見せしめと、墓荒らしを防ぐためですね』

『じゃあさ、魔術師が普通に寿命で死んだ時はどうなるの? 土葬じゃないの?』

『一般的にはそうですが、魔術師や私のような存在は火葬されますよ。理由は先ほどと同じです』

 結局、魔術師の遺体が残ることはないのだ。

「……とりあえず、女神の詳細を突き止めるっていうのは、全然終わってないし。明日からはひとまずそっちを優先的に考えてみるよ」

「それがよろしいかと。町には女神関連の施設もあるようですし、そこへ足を運んでみると良いかも知れませんね」

「あとは図書館とか行けたら嬉しいなあ。気になることもあるし」

「気になること?」

 うん、とガレスは頷いて、屋台を見やった。列はかなり進んだようだが、ドゥルーヴの前にはまだ三、四人並んでいる。注文を受けてから調理を仕上げているようだし、戻ってくるのはもう少し先になるだろう。

「殿下が蘇らせてくれっていう女神はどっちなのかなって」

「どっち、とは」

「幻獣ってさ、基本的には神話とか伝説とか、そういうのを基にして作られてるだろ。『基の神話があって、そこへたまたまやってきた幻獣が偶然にも一致した』のか、『幻獣が来たことによって芽生えた信仰なのか』ってこと。それによって考える方向が変わる気がしてさ」

「それを確認するために図書館へ行きたいんですね」

 私も一緒に行きます、と言ったあと、オリフィニアはガレスを眺めて柔らかな微笑みをこぼした。なにかおかしなことをしただろうか。

「あんなに行きたくない、嫌だって言っていたわりに、しっかり考えておられるなと思ったんです」

「来ちゃった以上、やらなきゃ帰れないし! 本音を言うと、今だってすごく帰りたいよ。殿下は人の話を聞かないし、強引だしさ。けど途中で投げ出したりなんかしたら幻滅されるだろ。父さんや母さんや……」

 ――あと、フィニにも。

 ガレスが飲みこんだ言葉を、オリフィニアは汲みとってくれたようだ。彼女は色の違う左右の目を朗らかに細め、「幻滅なんてしませんよ」とガレスの背中を撫でる。優しい手つきに、幼い頃はよく頭を撫でてもらっていたことを思い出した。

「お待たせしました、ガレスさま、オリフィニアさま!」

 とっとっと軽い足取りでドゥルーヴが戻ってきた。礼を言って、彼が両手に持っていた木の器をそれぞれ受け取って中を見ると、丸いパンのようなものが三つ、ころころと転がっている。直前まで液体に浸されていたのか、表面はしっとりとしていた。

 このあたりでよく食べられているお菓子だそうだ。試しに一つ、口の中に放り込んでみたところ、舌を痺れさせるほど甘さが舌を通して全身に伝わり、「甘いものは好きだけどさすがにこれは駄目だ」とガレスはしばらく衝撃から立ち直れなかった。

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