七十二候の案内人

瀬橋ゆか@『鎌倉硝子館』2巻発売中

1-1. 厄介な相棒

 僕の人生は、十六のある日を境にがらりと変わった。

 住居はビルと人混みが混在する東京の真ん中の養護施設から、静かで立派な書院造の屋敷へと。

 同居人の数も、大勢から二人へと。

 関わるモノや築く関係性が、人間中心のものから『怪異』中心のものへと。

 文字通り、何もかもが変わった。


 それからの二年間は目まぐるしく、色々な目に遭ったけれど。一番の厄災と言ってもいい存在は、今もここで僕の隣に居座り続けたままだ。


「なあおい、俺の話ちゃんと聞いてるか? 暁人あきと

 ああほら、今日も奴は相変わらず口うるさい。声からだけでもその涼やかな存在感が伝わってくるのが、更に憎たらしい。


 僕は目を閉じ口を開かず、い草の香りが芳しい畳の上にあぐらをかき、屋敷を支える木の柱に寄りかかった居眠り姿勢をそのまま維持し続ける。せめてものささやかな反抗だ。


「話の途中で寝たふりするんじゃねえ、起きろ」


 声と共に僕の右肩に置かれた手が、僕を揺さぶる。こいつ、その気になったら意外と力強いな。普段からそのやる気を出せばいいのに。


「それ以上狸寝入りを決め込もうってんなら、明日から三日間、食事を全部ケーキにす……」

「それは嫌だ」

 聞き捨てならないセリフが聞こえてきて、僕はぱっと目を開いた。


 途端にいつもの風景が目の前に広がる。一辺にどでかい本棚が鎮座する、恐らく26畳はあるだろうやたらと広い和室の風景だ。

 清潔な良い香りを漂わせる畳に、部屋の中央部にどっかり佇む黒檀の立派な座卓。その周りを取り囲むは、濃紺の座布団を抱く4つの座椅子。

 

 座敷の外へ繋がる縁側の方へ目をやれば、随分ご立派な日本庭園までもが広がっている絶景だ。風景だけは。


 どこぞの高級旅館かと勘違いされんばかりの情景だけれど、残念ながらここは僕らが普段から寝泊まりしている『拠点』で、旅行には来ていない。むしろ、『任務』が迫っているのを感じた僕は内心頭を抱えていた。


 そして目の前には、頭痛の大いなる原因がもう一つ。

「てことで明日から四日間、三食全部ケーキな。お前の奢りで」

 凛とした整った顔立ちに浮かぶ、片方の口角だけを吊り上げる皮肉な笑顔。憎らしいほどどんな表情でも様になる同級生が、その場にあぐらをかいて座り込んだ。


「……話はちゃんと聞いてたよ、涼。だから一日三食ケーキファイトは勘弁だ。しかもどうせ君のことだから毎回ホールケーキだろ?」

 蒼石あおいしりょう。目の前に座る黒髪の青年は、僕の言葉に不満を訴えるかの如く、その綺麗な顔の、整った唇をぐっと真一文字に引き結ぶ。


「『なんて奴だ』みたいな顔しないでくんない? それにしれっと一日増やした上に、ナチュラルに奢らせようとするんじゃないよ」

「人の話の途中で狸寝入りする失礼な奴に言われてもな」

 それに関しては、僕も悪いかもしれない。けれど、こっちにも言い分があると言うものだ。


「意趣返しだよ、この前の」

「あん?」

「昨日、寝たふりして人に報告書押し付けたのはどこの誰だったかな」

「おお、そんな悪い奴がどこに? 世も末だな」

「お前だよ」

 キョトンとした顔で首を傾げる涼に満面の笑みで「時々薄目開けてたの気づいてたからね」と付け足すと、奴は「やれやれ」とでも言うように肩をすくめた。


「普段お前って言わない奴がお前呼びすると怖いな」

「それはどうも」

 そのまま笑顔をキープし続けていると、「いい加減その嘘くせえ笑顔やめろ」とデコピンが飛んできた。地味に痛い。


「とにかくだ。今日の夕方から任務だってよ、よろしく」

「りょーかい。詳細は?」

 顔を顰めながらまだデコピンの衝撃に疼く額をさすっていると、手元の紙を眺めながら涼が片眉を上げた。


「今回の場所は徳島。どでかい化け狸が夜な夜な徘徊してるのが目撃されてるらしい。歴史の長い伝承だから傷もつけらんないし、陰陽師連もお手上げ。それをどうにかしろってさ」


 徳島の狸の伝承か、と僕は頭の中で昔読んだ資料を探る。古い伝承のはずで、確かだいぶ昔にそれを元にした映画もあった気がする。


 そう考えている僕の前で、「あーあ」と目の前の同級生は嘆かわしげに頭をゆるゆると左右に振った。


「お前が狸寝入りなんてすっから、狸の案件来ちまったじゃねえか」

「うん、それ全然面白くないからね」

「あ、やっぱ?」

 涼やかな顔に反してからからと屈託なく笑う涼を前に、僕は息を一つついて天井を見上げた。


 春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪。四季の美しい情景が精緻な筆致で描かれた、それは見事な天井絵がそこに広がっている。


「まー、てなわけで折角だし美味い土産でも探すか。暁人手伝え」

「え、作戦は?」

「そんなもんなくてもどーにかなるなる」

 絶対そんなことないんだけどなぁ、と僕は遠い目で天井を見続ける。なんせ、僕らの力は『普通ではない』使い所の難しいモノだからだ。


 5日毎に移ろい行く季節を示した古来からの季節の呼び方、『七十二候』。第一候の『東風解凍はるかぜこおりをとく』から始まる計七十二の現象を、この世に顕現できる術。


 この世で僕ら2人だけが使えるこの『候ノ術』を用いて、僕らは怪異絡みの任務をこなす。中々に使い所と組み合わせが難しい能力だから、できれば毎回事前に計画を練りたいのだけど、こいつときたら本当に――


「大丈夫だって、お前もいるんだから」

 そんなことをひょいと言ってのけながら、徳島土産をスマホで調べ出す男。いつもながら捉えどころがなくて行動は自由で、実に厄介極まりない。

 極まりないけれど、これが僕の対になる能力の持ち主で――そして、僕の唯一の相棒でもある。

 

 唯一の相棒で、そして僕を救ってくれた高校からの同級生で。それを話すには、少しだけ時を遡らないといけないけれど。

 

 そう、まずは僕の話から始めよう。

――あの時、諦めることに慣れきっていた一人の少年が、とある不思議な力を得る話から。

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