第一章 ~『婚約破棄された最強魔術師』~


「王宮を訪れるのも久しぶりだな」


 聳え立つ白亜の王宮を見上げる。王家の威厳を示すための建物の荘厳さに、さすがのリグゼも見惚れてしまう。


「大賢者様、こちらです」

「君は?」

「マルコと申します。はじめまして」


 マルコと名乗る守衛の青年に声をかけられる。リグゼの訪問を聞かされていたのか、王宮内部へと案内してくれる。


 王宮は外観だけでなく、中も立派だった。踏みつけた感触が返ってくる絨毯に、大理石の壁、有名絵師の絵画まで飾られていた。


「零の大賢者様とお会いできて光栄です。噂通りの美男子ですね」

「褒めても何もでないぞ」

「お世辞ではありませんよ。心からの本心です」


 リグゼは子犬のように愛らしい顔立ちだが、鼻筋が通り、背も高い。だがマルコが褒めた美しい容姿とは主に黒い髪のことを指していた。


 この世界では髪色こそが美醜を左右する。刷り込まれた感覚が、黒を美しいと識別し、色素が薄れるほどに醜いと認識させた。


 この美的感覚は、世界の創生神が黒髪であり、その仇敵である悪神が銀髪であるとする宗教観が影響しているとの説が有力である。


「恵まれた容姿は先祖に感謝しないとな」

「私も黒髪の女性を妻にしたいものです」

「東にある和国にはたくさんいるそうだぞ」

「大和撫子ですよね。憧れますが、ここからでは遠すぎます」

「帝国よりもさらに先にある国だからな。でもいつか良妻を伴侶にできるさ。俺と違って結婚願望もあるようだからな」

「大賢者様は独身主義なのですか?」

「あいにく、魔術の研究に忙しくてな」


 言い寄ってくる女性は両手で数えきれないほどいたが、リグゼは忙しいことを理由に一度も相手をしたことがなかった。我ながら虚しい人間だと苦笑を漏らしていると、マルコが笑みを向けてくる。


「どうかしたか?」

「いえ、尊敬していた大賢者様が、接しやすい人物で嬉しいのです」

「俺なんて欠点だらけの男だぞ……」

「ご謙遜を。魔力がゼロでも、大賢者様は成果を残されています。事実、あなたの解き明かした《回復》の魔術によって私も命を救われましたから」


 マルコの首には刀傷が残っていた。普通なら致命傷となる一撃を、《回復》の魔術が救ったのだ。


「魔術は秘匿すべきとする常識を打ち破り、傷ついた人たちのために《回復》魔術の術式を無料で公開されました。あなたは立派な人です。自信を持ってください」

「お前、良い奴だな」

「大賢者様ほどではありませんよ」


 二人は照れを含んだ笑みを零していると、部屋の前に辿り着く。


「大賢者様、こちらの部屋で王子がお待ちです」

「ありがとう。君が大和撫子と結ばれるように祈っているよ」

「こちらこそ。大賢者様が王宮魔術師に就任されるのを心待ちにしています」


 マルコは深い一礼をすると、その場から離れた。一人、部屋の前で取り残されたリグゼは息を飲む。


 彼は魔術ばかりの毎日で、社会と繋がりを持たずに生活してきた。


 そんな毎日がこの日を境に変わるかもしれない。不安と期待を胸に、扉をノックした時、男の怒鳴り声が中から聞こえてきた。


「な、なんだ、今の声……」

「申し訳ございません、大賢者様。伝えるのを忘れていました」


 マルコが走って引き返してくる。気まずそうに、目は泳いでいた。


「ここ最近の王子は機嫌が悪いことが多く、時折り、アリア様に怒声が飛ぶのです」

「最強の魔術師相手に恫喝かよ。命知らずな王子だな」

「でもすぐに収まりますから。少し時間を置いてから入室してください」


 それだけ言い残し、マルコは改めて、その場を去る。取り残されたリグゼは扉の前で様子を伺う。


 声が止んだことを確認してから、ゆっくり扉をノックすると、中から「どうぞ」と声が届いた。


「王子、邪魔するぞ」


 勢いよく扉を開くと、最初に目に飛び込んできたのは、透き通るような銀髪と、澄んだ朱色の瞳をした少女だった。ワインレッドのドレスで着飾る彼女の正体は、《銀の大賢者》――アリア・イーグルである。


(五年前と変わらない評判通りの外見だ)


 アリアは魔力ゼロのリグゼ以上に風聞が流れていた。


 曰く、魔術の腕と引き換えに女性としての魅力を捨てた醜女。そんな噂を思い出すほどに、灯りに照らされた銀髪が印象的だった。


 白磁のような雪肌と、小柄な体形でありながらスラっと伸びた足は、髪色さえ銀でなければ世の男たちを虜にするほど魅力的だけに残念である。


(懐かしいな。最後に会ったのは戦争以来か……)


 醜さの象徴ともいえる銀髪だが、リグゼは顔を背けない。最強と評された彼女に憧れていたからだ。だがそんな彼女の目尻に、どういうわけか涙が蓄えられていた。


(涙の訳は先ほどの怒声か……恋人同士の修羅場に足を踏み入れるのが、こんなにも気まずいとはな)


 アリアの視線の先にはアーノルド王子がいた。


 彼は整った顔立ちと見上げるような高身長の持ち主だ。髪色も濃い金髪と悪くない。赤い瞳と上手く調和し、大人の色気を発していた。


 さらに武芸と勉学にも優れ、第三王子という恵まれた立場でもある。容姿と権力を兼ね備えた完璧超人の彼を次期国王に推す声も多い。


「退出すべきか?」

「いえ、そこにいてください。リグゼ様」


 恭しくアーノルドが頭を下げる。王族である彼が下手にでる理由は、リグゼが解き明かした術式の一部を王家に献上することで、多大な貢献をしてきたからだ。


 次期国王の椅子を狙う彼が無下にすることはできないのである。


「この問題はすぐに解決します……前任者のアリアには王宮からの追放を言い渡しましたから」

「追放だと?」


 結婚するための円満退職ではないと、アリアの涙が証明している。


「アリアとは婚約を解消するのです」

「待て待て、理解が追い付かん⁉」

「驚かれるのも無理はありません。しかし私はアリアの人間性を受け入れられないのです」

「浮気をされた……わけじゃないよな?」


 醜い銀髪と浮気する者がいるとは思えないからだ。


「詳しい事情を説明します。来てくれ、パノラ」

「はい」


 アーノルドが合図をすると、背後で控えていたメイドが姿を現す。墨で溶かしたような濃い黒髪の美女だが、内気そうな雰囲気を漂わせている。


 誰もが認める絶世の美女の登場にリグゼは驚く。だがその理由は美貌に対してではない。彼女が完全に気配を消していたことにたいしてだ。


(この女、いったい何者だ……)


 怪訝な目を向けていると、エプロンドレスのスカートの裾を掴みながら、彼女は頭を下げる。


「はじめまして、リグゼ様。私はパノラ。アリア様の専属メイドです……といっても、それは昨日までの話。アリア様から毎日のように虐められ、耐えきれないとアーノルド様に相談したおかげで、今では彼の直属ですから」


 それからもパノラの告白は続く。陰口に始まり、躾と称する魔法による体罰まで。アリアの心の醜さが、パノラの紡ぐ言葉によって形になっていく。


「わ、私、そんな酷いことしていません! アーノルド様、信じてください!」


 アリアが悲痛な叫びをあげる。だがアーノルドは首を横に振った。


「信じられないな」

「どうしてですか⁉」

「なら聞くが、パノラが嘘を吐く理由があるのか?」

「それは……」

「優秀な魔術師は傲慢になるもの。それにパノラは美しい。嫉妬を理由に虐めても私は驚かない」

「アーノルド様……っ……」


 ポロポロと大粒の涙を流すアリア。とても彼女が嘘を吐いているようには見えないため、助け舟を出してやることにする。


「なぁ、アリアを信じてやってくれないか?」

「それは無理です。私はアリアが嘘吐きで間違いないと確信していますから」

「でも俺にはパノラが嘘吐きに見える」

「何か根拠でも?」

「勘だ」


 呆れたと口にはしないが、アーノルドの瞳に侮蔑の感情が浮かぶ。


「俺の第六感は当たる。戦場でも勘を頼りに生き残ってきたからな」

「それでもただの勘です」

「だからチャンスをくれ。アリアから第三者の立場で話を聞く。パノラの嘘を暴いてやる」

「まぁ、リグゼ様がそこまで仰るなら……」

「よし、ならまずは元気を出さないとな」


 リグゼがアリアに手を差し伸べると、彼女は光明に縋るように、その手に応える。立ち上がると、二人は顔を向き合わせる。


「一旦、外で話をしよう。いいな」

「……っ……は、はい……」


 涙を拭ったアリアは、手を引かれながら部屋の外に出る。そんな二人の背中に、パノラは悪意を込めた視線を向けるのだった。

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