11話

『しぐれ』は内心今すぐ立ち上がりこの席から逃げ出したかったが、背もたれを押さえられているため椅子を動かすことができず泣く泣く黒瀬の相手をすることにした。


「こんにちは!副風紀委員長さま!僕に何かご用ですかぁ?」

「ははっ!しおんちゃーん。俺の事は『トラ』って呼んで欲しいっていつも言ってるやんか?相変わらずいけずやな〜」

「あのっ!全く親しくない先輩をあだ名でなんて呼べませんよぉ!」

「全くはひどない?!せや!これから仲良〜くなるんやった〜」


詩音が全面的に壁を作って距離をとろうとしているのに笑顔でズケズケと踏み込んでくる黒瀬。

詩音は思わず乾いた笑いが漏れでそうになる。


「あの……、副風紀委員長様。詩音が困って――」

「翼は黙って座っとき〜。ほれ、そこになぁ……」


戸惑っている詩音の様子を見かねた翼が仲裁に入ろうとすると黒瀬が遮り低く潜めた声で詩音の向かいの席をピっと長い指で指差し座るように促す。

黒瀬の有無を言わせない声色と剣呑な光が鈍く瞳に宿っており、翼は目を見開き喉を鳴らす。

翼は唸るように「わかりました……」と口にしながら詩音の向かいの席についた。


そんな2人の様子を詩音は表面上はおろおろしてみている。

『しぐれ』は翼と副風紀委員長という学園内で全く接点の無い2人が明確な上下関係を匂わせた先程のやり取りにこれから起こり得る最悪の事態を想像し内心頭を抱えた。


黒瀬が現れてから不気味な程に大人しい遙は黒瀬の視線から逃れるように俯き、そそくさと1番黒瀬から遠い翼の左隣に腰掛ける。

詩音の右隣にはいつの間にかちゃっかりと黒瀬が座り、長い足を組み頬杖をつきながら詩音にしっかり身体を向ける。


おもむろに机の上にスマホを差し出し詩音の目の前に置く黒瀬。


「なぁ、詩音ちゃんと一緒にみたい写真があるんよ?見てくれる?」


「わかりました……」


笑顔で問い掛けるように口にしているが、先程同様に低く潜めた有無を言わせない声色の黒瀬。

詩音は顔が引き攣りそうになるが、口角に気合をいれ涼し気な顔で了承の返事を返す。

『しぐれ』としては全く見たくない。とてつもなく嫌な予感しか無いからだ。しかし向かいの2人は先程から顔色悪く俯き全くの助け舟が期待できない状況であり、腹を括るしか無かった。


「ありがと〜。あんなぁ……」


パァっと顔を綻ばせ嬉しそうに弾んだ声でお礼を言う黒瀬。そして黒瀬の長い睫毛がふせながら、スマホの液晶の上を綺麗な長い指でスススと滑らかに滑らせに操作する。


『しぐれ』はこうして静かにしていればイケメンなのにコイツ勿体無いよな……と今の状況と全く関係の無い事を考えていた。

何故なら先程からこのテーブル上を静かな緊張感が漂っているからだ。

勿論、原因は今詩音の横でスマホを操作しているこの男だ。


「ほいっ、これ何やけど……、詩音ちゃん……」


詩音がスマホに視線を落とすとそこには風景写真。

高いところからこの学園の中庭辺りを撮影した写真だ。

詩音が黙ってその写真を見つめていると、詩音が写真に視線を向けた時からその一挙手一投足を見逃さないようにじっと見据える黒瀬が言葉を続ける。


「いきなりだったからなぁ。上手く写せんかったかもしれんのだけど………」


黒瀬がボヤキながら詩音の視線を誘導するように長い指を写真の上で横にスススと滑らす。ある1点に辿り着くと親指と人差し指でピンチアウトし写真を拡大させる。

ピタッと拡大させるのを止めた途端に黒瀬はズイッと詩音の顔と顔をくっつけるくらい近付きながら低く囁いた。


「これ……、詩音ちゃんやんなぁ?」


黒瀬の尋常ならざる雰囲気に呑まれ食い入る様に写真を凝視していた詩音は言葉を失った。


そこには、今朝方現れた保健医変態を生け垣にぶっ刺して晴れやかな満面な笑みを浮かべた『しぐれ』が写りこんでいた――


目の前のスマホに視線を固定したまま無言で押し黙る詩音。

そんな詩音を口端を三日月のように歪に弧を描きながら先程から目を爛々と煌やかせながら見据える黒瀬。


「や〜っぱり。詩音ちゃんが俺の『緋鬼』やったんなぁ?」


詩音の耳元に唇を寄せてうっとりと掠れた声で問い掛ける黒瀬。

詩音がゆっくりとコクリと喉を小さく鳴らす。そして小さく息を吸うと――


「ひっ、ひどいです……。副風紀委員長様……、な、何でこんなことっ、……するんですか??」


詩音が誰が聞いてもわかるほど震えた声でしゃくり上げながら、大きな瞳からポタポタと雫が溢れだす。雫は詩音の俯く視線の先にあるスマホの液晶画面にぽたりぽたりと落ちていく。


黒瀬は呆然と詩音の瞳から大粒の雫が落ちていく様を見つめ続ける。


「っぼく、ほんとっに、こわくって……、必死に抵抗しただけなのに……。写真とるならっ……、助けて欲しかったっ!!」


詩音がしゃくりあげながら苦しそうに声を振り絞る。

顔を勢い良くあげて、呆然としている黒瀬を射抜く様に睨み付ける詩音。


「ぼくの事がっ!そんなに嫌いですかっ?!この前も……、殴りかかってきてっ!!知りませんよっ!『緋鬼』って何ですかっ?!う、う、ひっく」


両手で顔を覆い伏せる詩音。顔を覆っているため表情は見えないが嗚咽混じりの声だけがその小さな両手から漏れる。

そんなか弱く傷ついた様子の詩音を視界に収めているが全く頭が働いていないか如く指先一つ動かせずフリーズしている黒瀬。


「おいっ!、お前、何で詩音泣かしてんだよっ?!殴りかかったとか……。あかおにとか……」


遙が音がする程勢い良く立ち上がり、ズカズカと机を周りこみ黒瀬の胸ぐらを掴みあげる。

遙は最初こそ勢い良く黒瀬に食ってかかったけれど、最後は歯切れ悪く何かを悔やむように歯を食いしばり俯く。


遙かの突撃で正気に戻った黒瀬は、そんな遙を冷たい眼差しで見つめ、掴まれていた手を振りほどきながら凍てつくような低い声で吐き捨てた。


「噂の転入生くんには関係あらへんよ。俺と詩音ちゃんだけの問題や……」

「なっ!」

「やめてっ!はるか!」


再び遙が黒瀬に食ってかかろうとするが、遥のブレザーをぎゅっと掴み首を横に振り、必死に止める詩音。

そんな詩音を苦しそうにぐしゃりと顔を歪めた遙が見つめ、ぽつりと消え入りそうな声で呟く。


「好きな奴を守れない男はダメだよな……」


詩音はそんな恐ろしく、今後この後に混迷した事態しか引き起こさない言葉を聞く為に一芝居打った訳ではない。

只々、泣き落としでこの場を乗り切りたかっただけだ。

内心聞き間違いであって欲しいと神に祈った。


――無情にも神はいなかった。


遙は黒もじゃアフロのカツラと瓶底メガネを颯爽と、何処ぞの映画のワンシーンの如く男らしく取る。

そこには綺麗な緋色の髪を靡かせたほぼ詩音と背格好がそっくりな美少年が現れた。

その謎の赤髪の美少年は黒瀬を真っ直ぐ見据え堂々と言い放った。


「俺がお前が探している『緋鬼』だ!これで満足か?『クロ』?」


そして謎の美少年は詩音に甘く蕩けるような視線を向け、ふわりと笑いながら力強い声で口を開く。


「詩音は俺が守ってやるからな!」

   

『しぐれ』はそんな事は一切望んでいない。

知りたくも無かった副風紀委員長が2代目『クロ』だと云うことや遙が『緋鬼』だとバレることも。

今日は厄日だ。今日の夜は秘蔵の純米大吟醸酒を1升飲み明かそうと現実逃避した。

同時に今度保健医に襲われそうになったらケツの穴にジョウロをぶっ刺してやると決意した。 

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