INTER MISSION01:新ボディ選定(5)



 誰もいない街を通り抜け、案内された場所は。かなり豪華な生身フレッシュ用の生活スペースだった。コンクリートではなく、しっかりとしたロンリウムの床が広がっていて。その気になれば裸足で生活出来る程に整っている。


 それこそ、生身フレッシュの為の。それなりに豪華な部屋といった印象で。


 機能性だけでなく、ある程度見た目に配慮されたテーブルや机。そして棚の上に生活用品、あるいは趣味的なものが雑多に並べられていた。



「うーん、懐かしい…… うわぁ、ネコちゃんのこれ。まだあったんですね」



 ブロッサムストームがマグカップを手に取り。懐かしそうに持ち上げている。けれどどこか寂しそうな印象を受けた。まるで死んだ友人を懐かしむかのように。


 ちくりとディサイドは、数日前。墓守の少女から、亡き夫の集めていたジャンクを見せてもらった時の事を思い出す。



「当たり前だ、特に処分する理由もない」



 猫の絵が入ったカップは、ゲッカ・シュラークのような男よりも。ブロッサムストームのような、あるいは彼女より幼い少女に似合いそうなカップのようだとディサイドは思う。



「良い部屋だな…… クッションも柔らかい」



 説明されないまま進んでいく状況に、少しだけまどろっこしさを感じてモフモフとソファーに触れると。それこそ町長の部屋で寝ころんだマットレスより、ずっと柔らかい手触りに駄目になりそうになってしまう。



「そこに座るのはまた後にしてくれ、見せたいものはこの奥にある」



 少しだけ、名残惜しさを感じながら。ディサイドは首元のアイリスと共に。このリビングルームの奥にある扉に向かう。



「……ああ、ここに来るのは10年ぶりくらいでしょうか?」



 いつの間にか後ろに回っていた、ブロッサムストームの声には。普段の明るさも、元気も、その裏に溢れるたくましさもなく。ただただ寂しさが詰め込まれていた。


 足を踏み込めば、暗い部屋の中に、低く出力変換機エネルギーコンバーターの唸りが満ちている。


 その次に飛び込んでくるのは、ファンシーで女の子のステレオタイプが極まったようなかわいらしい家具やぬいぐるみ達。ここだけ見ればこの部屋の主は10代の少女だと多くの人が考えるだろう。


 だが、本来ならベッドがあるべき筈の場所には。この部屋に似付かわしくない大きな金属の塊が鎮座していた。人間が一人中に入れそうな巨大な円柱。


 パッとディサイドが見たところ、それは保存装置であるように見えた。内部の温度、圧力といったパラメーターが表示され。それを一定に保つためのシステムが稼働している。



『ゲッカ・シュラーク。これは……』


転生機リーンカネーター、ネットワーク上の人間に生身を与える装置だ」



 首元から、しばらく無言だったアイリスが声を上げ。それにゲッカ・シュラークが答えを返す。完全に予想外のものを突き付けられて、思考が一瞬固まる。



「……なんで、こんなものが?」



 別に転生機リーンカネーターそのものは珍しいものではない。本物を見たのは初めてだが、医療設備が整った大都市ならばそれなりの数が揃っていると。知識では知っている。


 だが、こんな人のいない町の年頃の少女が住まう部屋にぽつんと一つ。転生機リーンカネーターが置いてあるというのは異様な光景だ。



「まぁ、説明するとテンションが下がる理由があるんですよ」



 ディサイドの疑問にそう返して、ブロッサムストームは面白くなさそうな顔で踵を返し。そのまま部屋の外へ向かう。



「とりあえず、私はどうでもいいです。ゲッカのおじさん」


「そうか……」


「まぁ、歪んでいても前に進もうとするのは悪くないと思いますよ?」



 そう言い残して、彼女はこの場を去った。


 ディサイドと、ゲッカ・シュラーク。そして首元のアイリスの三人で暫く無言の時間が過ぎる。何といって良いのか、何を言ったらいいのか分からない。



『ゲッカ・シュラーク、この転生機リーンカネーターは何の為に?』



 そんなディサイドの代わりに、首元のアイリスが口を開く。いやそもそも最初からこの件についての主役は彼女だったのだろう。あくまでもディサイドの役割は付き添いに過ぎない。



「……少し長い話になるから。結論から伝えよう」



 ようやく、状況が飲み込めて来た。ゲッカ・シュラークと、ブロッサムストームの間に確かに存在する確執。主がいない少女の部屋に置かれた転生機リーンカネーター。そして、誰かを悼むようなブロッサムストームの行動――



転生機リーンカネーターの使用回数が1回余っている」



 誰かが死んで、こんなものを用意したのに。



「アイリス、貴様が望むなら。それを譲ろうと。そういう話だ」



 それでも、生き返ることが出来なかった。そんな事があったのだろう。



◇◇◇――A clear tragedy is told――◇◇◇



 自治区ゲッカ・シュラークの外に広がる星空は、いつもより綺麗に見えた。



『つまるところは、事故があったと』



 閉鎖循環式都市クローズドシティスフィアの外、荒野の夜はコートを着ていても少し肌寒い。しかしそれでも、ゲッカ・シュラークの耳が届かない場所で話し合いたいと、アイリスは強く望み。ディサイドはそれに応えて今ここにいる。


 もっともアイリスは、いつも通り首元のデータストレージの中にいて。その姿を見る事は出来ない。その気になればタブレット端末でアバターを表示することも出来るのだが。彼女はそれを望まなかった。


 もしかすると動揺し、揺れている表情を見られたくないのかもしれない。



「それに、ゲッカ・シュラークの娘が巻き込まれて――」



 ゲッカ・シュラークとその少女の間に血縁はない。しかし間違いなくユニティ法上で彼の子供であり。この自治区が再生するための希望だった。


 だがそもそも、20年ほど前から生身フレッシュ向けのインフラは。増加するネットワーク上の人間に対するインフラ重視の政策で。加速度的に劣化が進み――



生身フレッシュの活動が停止』



 改めて端末で統計を調べれば、そう珍しい事でもない。生身フレッシュの人間が少なければその分。彼らの死亡率は高くなる。ネットワーク上の人間は下手をすれば百年単位で生身の人間と切り離された空間で生きているのだ。


 そこから生まれる思考のギャップはゼロには出来ない。


 それすら無くそうとしたら、世界の全てを乗せるレールが必要があって。たとえそれを実現しても、レールを整備する者達が結局は同じジレンマに陥るのだから。



『その保証として、転生機リーンカネーターと……』


「事故死した彼女の記憶と主観クオリアのデータ、かぁ」



 ディサイドはダイモスとフォボス。2つの月明かりの下でタブレット端末の中でデータを精査する。主観クオリアチェックを行うまでもなく、これらはただのパラメータに過ぎない。


 このデータを転生機リーンカネーターに入力し、生身フレッシュを生成すれば恐らくは。事故にあう前と同じように振舞い、同じように話し、同じに見える人間が生まれるだろう。



『典型的なスワンプマン問題ですね』


主観クオリアの連続性を、何によって担保するか」


『ユニティ法の上では、番号ナンバーとの紐づけです』



 生身フレッシュのディサイドとしては、あまり納得がいく考えではない。



「法は、人の心まで定義できない」


『ヴァルター=レフレシェント、1500年前を生きた科学者の言葉ですね』



 結局のところ、心や魂の有無は分からない。だからこそ、物理系において準永久機関である位相ヴァルター機関の実用レベルの稼働という物理現象。あるいは人の脳と同等の判断力と、自己保持能力を持つかの主観クオリアチェック。


 この2つを満たすことで、ユニティ法上では番号ナンバーが与えられる。


 登録傭兵マーセナリーズが他の試験と比べて、一番楽に、そして確実に番号ナンバーの付与が行われるのは。その両方を満たすからだ。



「そうして考えると……」


『今、相棒バディのタブレットに入っているデータは人間とは呼べません』



 あくまでも、死者の体に刻まれていた記憶と思考パターン。そのデータの集合体。

 

 これを転生機リーンカネーターに入力して蘇ったものは、ユニティ法の上で番号ナンバーを持った同一人物として扱われるが、ディサイドの感覚からすればそれは理不尽に思える。


 連続性の話をするなら、位相転換読込機ヴァルタースキャナで直接ストレージに取り込まれた人間の方がまだマシだ。



『では、私は……?』



 首元に下げたデータストレージから、アイリスが絞り上げるように声を上げる。



『私は、人間ですか?』


「ユニティが認める人間の定義からは100%当てはまらない」



 たとえ位相ヴァルター機関を稼働させることが出来たとしても、主観クオリアテストを受けておらず、番号ナンバーが登録されていないものは法の上で認められた人間の定義から外れている。



「その上で、俺は…… アイリス、君のことを人だと思う」



 彼女に主観クオリアチェックを行ったことはない。けれど間違いなく一般的なテストに合格するだけの主観クオリアと衝動を彼女は持っている。位相ヴァルター機関を稼働させられるなんて客観的事実以上に。


 これまでディサイドとアイリスが相棒として積み重ねて来た繋がりが。


 そして何よりあの雨の中、ジャンクヤードの片隅で。周囲の壊れかけたセンサーやスピーカーと強引に接続し、いるかも分からない誰かに声を届けようと叫ぶ。たった1枚のデータストレージは。


 ジャンクヤードですれ違うだけの生身フレッシュクローム樹脂レジンよりもずっと。人としての重みをディサイドに投げかけてくれていた。



『いま相棒バディの持つ端末で示されているデータと私の差は?』


「こうやって話して人が人だと、認めているかどうかだ」



 人であるかの定義なんてそれで十分で、そしてこの少女のデータにはゲッカ・シュラークや、ブロッサムストームが人だと思うための何かが欠けている。



『肉体を持つ者の、傲慢ですね。ディサイド』


「じゃあ、アイリスも。傲慢になればいい」



 そのチャンスを、ゲッカ・シュラークは与えてくれた。それはもう彼の中で死んでしまった娘と、別れるための儀式としての側面が強く。たぶんディサイドが父親であるモカ・マーフを穴を掘りこの火星ほしの大地に埋めたのと同じ行為だ。



『目的を語らない相手に。安易にボディを与えても?』


「与えるのは、俺じゃない。アイリスを人として認めたゲッカ・シュラークだ」



 そもそも、彼女が望むのなら。これまで稼いだCASHで買っても良かった。それこそ安価な樹脂人形レジンドールなら5000CASHもかからない。もっともそんな安物は2~3年もたたないうちに壊れてしまうのだが。



ボディを得たら、私はあなたの元から去るかもしれません』


「そうなったら、仕方がない」



 そんなことは一欠けらも想定していなかったが、本気で彼女が望むならどうにか受け入れるつもりだ。そうなったら間違いなく寂しいし、心を砕かれたような苦しみを味わうだろう。


 まぁこまかいことは、実際にアイリスが自分から離れた後で考えたらいい。



『私の目的は、この世界を滅ぼすことかもしれませんよ?』


「もしそうなら、俺の生身フレッシュが無くなるまで待ってくれ」



 意外とアイリスは冗談が上手い。世界を滅ぼしたいと思うものは、理不尽に踏みにじられる他人の為に戦うことなんて出来はしない。


 まぁ、たぶん。アイリスの目的はそれこそ、世界を滅ぼすのと同じくらい荒唐無稽で他人に理解されない類のものなのだろう。それが何なのか気にならないと言えば嘘になるが、別に知らなくとも彼女の隣に居続けようとすることは出来る。



『本当に、相棒バディは。変な人です』


「……そんな事を言われたのは、初めてかもしれない」



 そもそも変だとか、普通だとか。そんな比較に意味は無い。


 その気になればこの火星ほしで生きている、ユニティに登録された番号ナンバーを持つ人間の平均値だって簡単に算出出来る。


 けれど、そんな数字を算出してあれやこれやと考えるくらいなら。目の前にあるものを見て、自分の心を確かめ、足を踏み出す方が余程いい。


 当然それを続ければ、モカ・マーフのように死ぬこともある。けれど、あの何を考えているかよくわからない父親の死に顔は、けっして悪いものではなかった。



『全く、私がこんな風に色々悩んでいるのが馬鹿みたいじゃないですか』


「馬鹿でもいいから、動けば変わる」



 極論、進む方向は後ろでも構わない。動かないよりマシな結果に辿り着ける。



「それこそ、ジャンクヤードで。手あたり次第生きている機器に接続するとかさ」


『あんな恥ずかしいことは、忘れてください……』



 首元から、アイリスのあきれと恥ずかしさを含んだ呟きが零れた。



『……全く、月はあんなに凸凹なのに』


「そのストレージ、今は外部カメラと接続してないだろう?」



 今、彼女はどんな表情をしているのだろうか? それは分からない、けれど彼女にもディサイドがどんな表情をしているのかは見えない。



『ネットワーク上でこの場所の天気と、他の場所からの映像は得られます』


「それは、なんだか。こんなに近くにいるのに寂しい気がする」



 だからディサイド個人としては、隣に立って欲しいと思う。けれどAIが体を得るというのはそれこそ、生身の人間が位相転換読込機ヴァルタースキャナでストレージに取り込まれるのと等しい。


 体を得る、体を失う。真逆だがあり方が大きく変わるという点に違いはない。



『ディサイド、私は――』



 それでもアイリスは、二つの月明かりに照らされた荒野で――



『あなたのように、傲慢になりたい』



 ディサイドと同じ場所に立ってくれると、応えてくれた。



◇◇◇ Prove your soul with your body ◇◇◇

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