第5話 孤児の生存確率

「レオ、おまえに伝えておきたいことがある」

 ジェロの顔から笑みが消えた。

 とても厳しい表情をしている。

 これから悪い話を聞かされる。

 僕は覚悟した。 

「これから行く場所は教会だ」

 ジェロの口調は厳しく、眉間に皺を寄せている。 

 言葉の内容と釣りあわない表情だ。

 教会へ行くことにどんな意味があるのだろう。

 僕は首を傾げ、わからないという意図を行動で表現した。

 

「もしかして、教会に行ったことがないのか?」

 驚いたようにジェロが目を見開いている。

『ない』

 僕はうなずく。

「そうか。じゃあ、覚悟を持ってもらうために言っておく」

 ジェロは僕の前にしゃがみこんだ。

 すると、小さな僕と目線がしっかりと合った。

 僕の両手を包みこむように握りしめ、ゆっくりと口を開いていく。


「この付近の荘園しょうえんにある教会は、孤児を一時的に保護してくれる」

 ジェロの言葉に僕はうなずく。

 現代日本では耳なじみのない言葉——荘園。

 ゲームや漫画で出てくる単語だから、ある程度は理解できる。

 ざっくりと説明するなら、領主が支配する私有地のことだ。


「俺は商人の見習いで、出入りしている教会のなかで一番信頼できる修道士さまがいるんだ」

 この一言でほんの少し新たな情報が得られた。

 ジェロは身なりから小金持ちの子息だと思っていけど、実際はまさかの勤労少年。

「とはいえ、ここ数年、外敵からの侵攻が続いていて……」

 ジェロは暗い顔をし、ため息をつく。


 外敵。

 つまり、この世界では戦いが日常的で平和な状態にない。

 身寄りのない子供がひとりで生きるには難しいだろう。

 日本はつくづく平和だなぁといまさらながらに感じる。


「その影響で、領主たちからの寄付金が減って教会は資金難におちいっているんだ」

 ジェロが細く息を吐いた。

 戦争にはお金がかかる。

 だから、寄付金を減らすという図式なのだろう。

「そのあおりで、教会での孤児たちの保護環境は年々悪くなっている」

 ないそでは触れない、というわけか。

「教会に保護されれば寝床ねどこは保証される。でも、食事はそうじゃない」

 ジェロは僕をじっと見つめ、それから目を逸らした。

「教会での働きによって左右されるんだ」

 働かざる者、食うべからず。

 そういうことなんだろう。

『わかった』

 僕は大きくうなずく。


「おまけに年々、孤児が増えて教会が保護しきれなくなっているんだ」

 これからが本題だとばかりに、ジェロが握った僕の手に力を込める。

「おまえは話せない、つまり他の孤児より条件が悪い。だから、保護を断れる可能性がある」

 心なしか、ジェロの視線が少し逸れた。

 可能性というより、確信に近いものを感じているのかもしれない。

「受けいれられたとしても、話せないことで仕事が回してもらえず食いっぱぐれるかもしれない」

 ジェロがうつむく。

「余計な期待を持たせたくないから、いまここで覚悟を決めてくれ」

 僕の手を強く握り、ジェロが顔を上げた。

「普通の孤児が教会に保護されて、自立できるまでの生存率は半分以下だ。話せないおまえは……」

 ジェロの美しい顔がみるみるゆがんていく。

 言いたくない言葉を口にする前の苦悩。

 これ以上、悩んでほしくない。

 ジェロの苦しむ姿を見たくない。


 僕はできるだけ精一杯、笑顔を作った。

 ジェロが続きを話す前に首を横に振る。

『わかったから、言わなくていいよ』

「レオ、ごめんな。俺に力があればおまえを助けてやれるのに」

『十分助けてもらった。生存確率が低くてもやるしかない』

 首を横に振り続け、ジェロの手を握りかえした。


「いまの俺にできることは、修道士さまにお願いすることと……」

 言いながらジェロは僕から手を離し、ふところに入れた。

 小型のナイフを取りだし、辺りを見渡す。

 視線が少し先の木で止まり、そこへ向かって駆けだす。

 木のそばに落ちた太めの枝を手に取り、ナイフを器用に使って作業している。

 皮をぎ、適当な大きさに切った。


 なにをしているのだろう。

 気になってジェロのそばに駆けよった。

 ジェロは手のひらの半分ほどの大きさの木片もくへんを手にしている。

 そこにナイフでなにか刻むようにして刃を動かしだす。

 木片に見慣れない文字が書かれていく。

「レオ」

 名前を呼ばれ、僕はジェロを見つめた。

「ああ、呼んだんじゃない。ここに名前を書いたんだ。今後、名前を聞かれたらこれを見せろ」

 僕はジェロから名前が刻まれた木片——名札をもらった。

「これもやるよ。必ず必要になるときがくるから」

 ジェロがナイフを差しだす。

「少しずつ使い方を学ぶんだ。生きていくうえで重要なスキルだから」

 僕はしっかりとナイフを握り、大きくうなずいた。

 

 ジェロに連れられ、山道を歩くこと現代時間にして一時間ほど。

 民家がひとつもない平地を抜けた先に教会が見える。

 一言で表現するなら、おんぼろ教会。

 映画などで見る立派な雰囲気漂う建物とは似ても似つかない。

 外壁は薄汚れ、戦火の跡なのか一部崩れている。

 加えて、教会の付近にいまにも倒壊しそうな小屋がいくつか並んでいた。

 

 まさか、あの教会に預けられるのか?

 嫌な予感がした。

 劣悪れつあくじゅう環境になるのは確定。

 食生活は?

 あの教会を見れば、お金がないのは間違いない。


 ——教会での孤児の生存確率が半分以下。

 ジェロの言葉は誇張こちょうではない。

 リアル。

 となると、この世界で生き残ってもとの世界に戻れる可能性は?

 かなり低い。

 これもまたリアル。


 どんなに大変なことが待ち受けていようが、生き残らない限り道は開けない。

 頼れるのは自分だけ。

 現実世界では一度も味わった経験のない感情がきあがってきた。

 死——。

 これまで意識したことなどなかった。

 手が震えてくる。

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