意中の人

荒城吾朗

第1話 憧れ

 坂本流美は今地道に俳優として単身生計を成り立たせている。大学に入ってしばらくして冷やかし半分でアイドルオーディションを受けたらなんと合格してしまいそのまま学業とアイドル活動の両立に取り組むこととなった。彼女の所属は坂道グループの「道玄坂30(サーティー)」というところとなった。普通末尾はフォーティー云々なのであろうと世間の大多数は思うであろうが、何でもこの道玄坂30の劇場支配人は元小学校教諭という変わり種でこの30という数字が好きで更に言うととある全国展開のアイスクリーム屋さんとのタイアップで彼女達を売り出したいとの思惑があったらしい。当時デビューするや否や高野恵理、佐藤祐梨とのトリオで道玄坂30派生ユニット「ライチ班」として大々的にメディアに売り出され多忙を極める日々であった。

 流美達の母体である道玄坂30はステージライブ活動へ力を入れ「ライチ班」は主にステージライブの他にレコーディング、グラビア撮影に個々にドラマ出演等といった売れっ子アイドルとして多忙の日々をおくらされていた。こんな時を振り返った時3人共よく留年せずに大学や高校を卒業できたなと思い出すたびにいつも思う。ちなみにライチ班デビュー当時は班長の恵理は大学2年生、流美は大学1年生で祐梨は高校1年生であった。全盛期はこのデビューから4年間であったが丁度流美が大学卒業と同時にライチ班の人気は下降線を辿り3人それぞれソロ活動専念ということで解散となった。余談となるが道玄坂ができて半年かそこらのころはファンは道玄坂30派とライチ班派に分かれていたようだがライチ班解散が決まるとこれも母体となる道玄坂派へ取り込まれたらしい。

 

 「いいな。自分しっかり持っていて・・・」

 仕事がオフの日流美は新聞のコラム欄を読んでいた。そこには竜崎蘭塩野市市長の話が載っていて今後の市政への取り組みについて書かれていた。彼女は「地方から日本を変えたい」と訴えて何と3ばん(看板、地盤、鞄)無しで出馬して見事当選をなし生きた伝説と謳われている。

 コラムを読み終えた後流美は何か得体のしれないものに駆り立てられていく感じを覚え携帯へ手が伸びた。

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