第12話 花の魔女、再会する

 何かの気配を感じて目を覚ますと、いきなり口を押さえつけられた。

 慌てて逃げようともがくと、

「静かに」

と耳元で優しくなだめるような声がした。

「ごはん、あるから」

 ごはん…?

 不思議にその言葉で冷静になれて、ゆっくりと見上げると…、

 あれ?

 このうざい前髪、なんか懐かしい…。

「あ、…アイセル…君?」

 こくりと頷いて、アイセル君は手に持っていたベーコンとレタスを挟んだパンを差し出した。

 服が家を出た時と違う。今の私とおそろい、カーキ色の王都の騎士隊の服だ。初めて会った、あの時と同じ。

 懐かしさと嬉しさに思わず声を上げそうになったのを察したのか、すぐにもう一度口を塞がれた。

「まずはごはん。話はそれから、ね?」

 こくこく頷いて起きあがり、口から離れた手と入れ替わりに差し出されたパンを受け取ると、口に頬張った。隊の支給のパンなのに、いつもよりおいしく感じる。


「びっくりしたよ。助けに来たのに、自分で脱出してるんだから。さすが花の魔女だ」

 花の魔女。

 そうだよね。アイセル君は、王様が盗んでいった花の魔女を取り返しに来たんだよね。

「王城に行ったらいないし、あんな男連中の集まってる騎士隊に紛れ込んでるし。あんな連中とのごろ寝を選ぶなんて信じられなかった。何かあったらどうするつもりだったんだ」

 何で、それを知ってるの?

「…いつから、いたの?」

「一日目の野営から。とりあえず一番奥の端に行かせて、他の連中の目につかないようにするしかなかった」

 ああ、あの時手を引いてくれたのは、アイセル君だったんだ。もしかしたら、すぐ隣にいたのも?

「テントで、そばにいてくれた?」

「いたよ。すぐそばにいた」

 あの温かかった背中もそうだった。

「幌馬車で、…隣にいた? 人間ドミノから守ってくれた??」

 こくりと頷いたのを見て、たまらなく嬉しくて、泣きそうになった。

 一人で頑張ってたつもりだったけど、こんなに守ってもらえてたんだ。

 私が自分にかけた顔の印象をぼかす魔法は、他の人は寄って来なかったから効いてないこともなかったはずなんだけど、アイセル君には全然効かなかったみたい。ちゃんと私を見つけてくれてた。

 だけどアイセル君の隠密魔法はむちゃくちゃ効いてた。隣の人がこんななつかしくもうっとおしい前髪をしてたのに、全然気付けなかったなんて、何だか悔しい。

「ほんと、…無事で良かった。討伐抜け出して、かけつけて良かった」

 心から安心した顔をされて、湧いてきた悔しさより、私を見つけてもらえた嬉しさがじんわり勝ってきた。…嬉しい。探してくれて、見つけてもらえて。

 だけど、アイセル君が探していたのは「花の魔女」だ。

 もう、私は花の魔女じゃない。

 それは、ちゃんと言わなければいけないことだ。もうこれからは探してもらえなくなるとしても…


 もらったパンを食べ終えると、私はポケットの中に入れていた花たちを掴み、そっとアイセル君の前に差し出した。

 掌の中には、摘まれて時間が経ち、しおれ、砕け、枯れた花が。

 いつもなら、私の持つ花は魔法がかかり、時間が経っても生き生きしてる。それなのに手の中の無残な姿にアイセル君は表情を曇らせた。

 花達にも謝らなきゃ。私が摘んでポケットに入れなければ、こんな姿にならなかったのに。それでも、花を持たなければ不安だった。

「私…」

 …自分の不安を見せちゃ駄目だ。からっと明るく、いつも通りに。

 にっと笑って、

「私ね、花の魔女じゃなくなっちゃった。ちょっと王都でいろいろあって、魔法がうまく使えなくなって…、多分、もうすぐ何の魔法も使えなくなる」

「フィア…」

 手の上の砕けた花たちを食べて、手の中に小さな明かりを出した。

 小さな小さな、親指の先ほどの光がほのかに灯って、あっけなく消えていった。

 これが、今の私の力。


「せっかく来てくれたのに、ごめんね。…魔物退治、終わった?」

「…いや、まだだ」

 これからなのか。

「君が連れ去られたって聞いて、僕だけ王都にかけつけた。仲間は崖崩れで大回りするって言って時間を稼いでる」

 なるほど、下っ端騎士達の噂話は概ね合っていた。

「ずっと魔法を使わないから、何かあったんだろうとは思ってた。…何された?」

 髪で隠れていても目が恐い。怒ってる。

「ごめんね、花の魔女を取り戻せなくて」

 謝るしかない私に、アイセル君は何か言いかけた口を閉ざすと、私を引き寄せて、痛いくらいの力で両手でしっかりと私を取り込んだ。

「誰に何されても、僕は君の味方だから」

 …?

「言いにくければ、言わなくてもいい。僕がもっと早く来ていれば…」

 言いにくくはないけど、

「連れ去られた時には、もうやられてたから…」

 そう返した途端、締め付ける力が増した。

「いだだだだだだだっ」

「…どいつからればいい? 言って」

 や、やるの意味が何かヤバいような…

 花の魔女の信奉者が、殺人鬼になっちゃう!

「ど、どいつって…。魔法は何故使えなくなってるのか、わからないの。何が原因か。殴られたのか、しびれ薬か、ザランの実か、それとも魔力倍増の転送鏡の影響なのかもしれないし、仮死の魔法もかけたって言ってたからそれかも」

 ギリギリと締め付けていた腕がピタッと止まった。

「そんなに…、でも、それだけ?」

 そのコメント、矛盾してる。

「襲われたんじゃ…」

「襲われたから、こんなことになってるんだけど」

「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて、あの、…」

 何やらうろたえているアイセル君。怒りより、戸惑っているような…

「その…。他の男に襲われたりは、」

「襲ってきた三人組はみんな男だったけど。……あっ!」

 何を聞かれているのか、やっとわかった。

 もしかしたら、アイセル君は花の魔女の力と男女のまぐわいのことをご存知なのか。

「いや、あの、そっちは大丈夫。殴られて、変な実食べさせられて、転送されただけ。だけ? だけじゃないけど、そういう意味で襲われてはないから。うん。それとは別で魔法が、っ…!!」

 緩んだ腕が再び締まって、うおおお、とうなりたくなる位ぎゅうぎゅうに締め付けられた。

 し、死ぬ。られる。

「良かった。良くないけど、良かった」

「いたいいたいいたい!」

 痛がる私に、少し腕の力が緩まって、代わりに頬ずりされて、頬から唇に変わり、耳たぶやほっぺたに口づけされた。くすぐったさに逃げようとしても離してはもらえず、少し動いた唇が軽く私の唇に触れた。

「キスも? されてない?」

「キ…! ないない。私にそんなことしようなんて奴はこの世に」

「僕だけでいい」

 二度目の重なりは思いのほか長くて、今更ながら口づけされてると自覚した。自覚した途端にどんどんドキドキが強くなっていく。

 顔が離れて、髪の間から覗いた目が私を見てる。そらさず、真っ直ぐに…。

 恥ずかしくて、少し目線をそらして、もう一度アイセル君を見る。

 その間も、そらすことなく私を見てる。

 …そのまま、私を見ていてほしい。

 触れてる手が、腕が、痛くてもいいから、離さないでほしい。

 そばにいてほしい。

 そばに、いたい…

 どうしよう。もう、なんの役にも立てないのに。

 役立たずになった途端、こんな気持ちになるなんて。

 アイセル君が探していたのは、花の魔女。私は花の魔女じゃなくなったのに、今更、好きだなんて…


「フィア、…好きだ」

 私の心の中に生まれた言葉を読み取ったかのように、アイセル君が言った。

「花の魔女じゃなくていい。君が、好きだ」

 好き…? 私のこと?

「花の魔女で、なくても…? 好き?」

 恐る恐る聞くと、はっきりと頷かれた。

「本当に? 本当に、…花の魔女でなくてもいいの?」

 花の魔女じゃない私を、何の役にも立たない私を、好きでいてくれる??


 フロレンシアに来て、無事に帰ってくるのを願いながら待つ事を覚えた。

 家に戻ったら「ただいま」って言ってほしい。「お帰りなさい」って返したいから。

 一緒にごはんを食べたい。一人じゃつまらないって、知らなかった。 

 話をしたい。命令でも、伝言でもなく、私のこと、あなたのこと。

 お迎えが嬉しい。次の指令じゃなくて、ただ私を迎えに来てくれるのが。気がつけば、待ってた。一緒に家に帰りたくて。

 私、…ずっと前から、好きだったんだ。


「私、…も、…」

 返事の代わりに、アイセル君に短い口づけを返した。

 少し驚いて、すぐに満面の笑みに変わったアイセル君に、少し窮屈だけど痛くないくらいにぎゅっと抱きしめられた。そして、確かめるように優しく重なった唇越しに、氷の魔法がほんの少し伝わってきた。

 まるで、口に含んだ花が魔力に変わる時のような、ふんわりとした感覚が蘇ってくる。

 ぶもーっという声がして、ここが牛小屋の片隅なのを思い出したけど、私には二人っきりでいられるここがとても特別な場所のように思えた。


 ちょっと冷静になったアイセル君が、私が受けた所業をひとつひとつ聞き返し、はじめはちょっと眉をしかめる程度だったのが、だんだん真顔になり、やがて表情がなくなった。それが逆に猛烈に怒っているのがわかる。

「討伐に行くの、やめたくなってきたな。何で王都の奴らを助けに行かなくちゃいけないんだろう」

 口ではそんなことを言っても、魔物が出たと聞けばちゃんとかけつけてくれる人だ。そして、それだけの力を持ってる。

「でも、行っちゃうよね」

 私の言葉に、横目でちろっと私を見て、しばらく表情を変えなかったけれど、こらえきれなかったように表情を緩ませて、

「ん、」

と答えた。

「私も行くからね、役立たずでも」

「フィア…」

 アイセル君は本当は反対したかったんだろうと思う。でも私の固い決意をわかってくれたみたいで、

「わかった。一緒に行こう。…でも危ないことはするなよ。君は突進するたちだから」

 そう言って、額に軽く口づけをくれた。


 そういえば、

「アイセル君は、知ってたの? 花の魔女がまぐわうと魔法をなくすって話」

「ま、まぐ…。…。まあ、そういう説があるって程度だけど」

 恥ずかしそうに言われて、ダイレクトに聞いてしまった自分をちょっと恥じた。

「王城の書庫に花の魔女に関する文献がそろっていて、王都の騎士隊に入ってた頃は暇があったら読みふけってた」

 …今、さらっと、すごいこと言わなかった?

「書庫…? 図書室じゃなくて、書庫?」

「そう。本にもなってないような資料が集めてあって、聞き取り資料も多くて、誰かの個人的な研究資料なのかもしれない」

 あの王様なら集めてそうだ。草原の花の魔女様のことを話す時に見せた、ちょっと嬉しそうな顔、絶対草原の花の魔女様のこと好きそうだったし。

 …いや、問題はそこじゃなくて、

「書庫って、魔法鍵かかってるよね?」

「ああ、あの程度の鍵なら簡単に開くし、かけた連中が誰も開けられないと思い込んでるから、全然ばれなかったよ」

 わあ…。アイセル君にかかったら、王城に機密なんてないな。

 アイセル君も花の魔女のファンだから、先輩ファンの集めた秘蔵資料を見つけて、喜んで読みまくってたんだろうなぁ。

「実は…。君が花の魔女でいたいと願うなら、想いが通じてもそういうことは我慢しなくちゃいけないんだろうな、と思ってはいたんだけど、正直、あんまり自信なくて…、その…」

 その…?

 何故アイセル君が赤くなって言い淀んでいるのか、…察してしまった。

「私に花の魔女でいて欲しいんだと、思ってた」

「さっきも言ったけど、本当に、僕は君が花の魔女でなくてもいい。君に興味を持ったきっかけは、君が花の魔女だったからだけど、今は花の魔女でも、そうでなくても、フィア、君であればいいんだ」

 私であれば…。

 照れくさくって、でも嬉しくて、アイセル君の胸元におでこをぐいぐい押しつけて、服をぎゅっと握りしめた。

 背中に回った手が、「大丈夫だよ」って言ってくれてるみたいで、魔法がなくなっていく自分への不安が消えていく中、アイセル君が言った言葉は、

「君が花の魔女でなくなったのなら、それはそれでありがたいかも」

 ありがたい?

 顔を上げると、ちょっとほくそ笑むような悪巧みの顔で私を見ていた。

 その言葉の裏に隠された下心は、…。

 こ、これから討伐に行くって言うのに、こんなにドキドキしてていいんだろうか。


 魔法もろくに使えないのに、何だか魔物をこてんぱんにやっつけなければいけないような気がしてきた。

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