第3話 夢解き

 レイク・クレントンは、ゆっくりと目を開いた。

 久しぶりの、自然な覚醒だ。何かに喰われた恐怖もなければ、妹を切った感触もない。

 欲を言えば、もう少し寝ていたい気分だ。

「お目覚めになりましたか?」

 穏やかな声に気づいてそちらを見ると、夢解き師のイシア・ローナンが微笑んでいた。

 薄茶色の長い髪がさらりと揺れる。

 夢解き師というのは、ローブを着ているものと思っていたが、どうやらそれは宮廷の夢解き師だけなのかもしれない。彼女は藍色の町娘が着用するようなワンピースを着ている。

 もっとも、突然の訪問で、仕事用の服装をしていなかった可能性も高い。

 日に焼けた小麦色の肌に、サファイアの瞳。

 全体的に線が細いけれど、整った顔立ちだ。化粧はあまりしていない。穏やかだが、芯の強そうな雰囲気がある。

 その透き通るような青い瞳のせいだろうか。不思議と、少年のころに会った、ライナー・ローナンの面影と重なった。

──忘れられない夢を見たら、私に話してください。

 母が亡くなる前。

 悪夢にうなされていたクレントンの夢を解いては、彼はそう言ってくれた。

 心に淀のように溜まった夢の記憶を読み解いてもらうと、すっきりしたことを覚えている。

 が。母親は、夢を読む解くことに熱心だったが、父はそうではなかったのだろう。

 母が亡くなると、ローナンは屋敷に来なくなってしまい、新しい夢解き師が訪れることもなかった。

 今思えば、それ以来、夢が怖いものになっていったのだ。

 ほぼ気絶するまで起きているのは、仕事が忙しいせいだけではなく、夢を見たくないからだったと改めて、気づく。

 夢解き師に夢を読み解いてもらうべきだとクレントン家の古くから務める家令のオークランドに、言われるまで、ローナンのことは忘れていた。

 周囲が気付くほど、ここ十日のクレントンの不眠は深刻だったのだろう。

「こちらにいらして、飲み物をお飲みになって下さい」

 言われるがままに移動して、クレントンはカップを手にする。

 どろりとしたその液体は、薬草茶だろうか。やや苦かった。

 イシアはクレントンが液体を飲み干すのを待ってから、目の前の椅子に腰を下ろした。

 何から話そうか、迷っているようだ。

「それで?」

「結論から申し上げますと、警告予知夢でした」

 クレントンが尋ねると、イシアはようやく口を開いた。

「警告予知?」

 予知ということは、どういうことなのか。

 クレントンは背筋が凍るのを感じた。あれが予知というのなら、クレントンは、妹を手にかけるということになってしまう。

「予知は絶対ではありません。あくまで、今のままでは、という意味ですから」

 イシアはクレントンを落ち着かせるように、わずかに笑む。

「すまない」

 クレントンは謝罪する。目に見えてわかるほど、動揺してしまったようだ。

「閣下はご婚約はされていないとのことでしたが、現在、意中の方は?」

 突然、なぜそんな質問をするのかと思い、イシアを見れば、その目は真剣な光を帯びている。

 おそらく、これは夢解きにとって、重要なことなのだ。

「特にいない」

 クレントンは少し考えてから、首を振った。

 クレントンも健康な成人男性であるから、美しい女性に心を動かされることが皆無というわけではない。ただ、その気持ちが大きく育ったことはない。

 過去も現在も、想い人と呼べる相手はいなかった。

「そうですか……そうなると、厄介ですね」

 イシアは小さくため息をついた。

「実は、閣下は、今、魅了の術をかけられております」

「魅了?」

 クレントンは耳を疑った。予想外の話だ。

「おそらくまだ、効果は微量なのでしょう。相手に好感を抱く程度で、意識はされていない──そんなところなのではないかと予想いたします」

 そんなことを言われても、ピンとは来ない。

 クレントンの中に、今、恋心のようなものはないのだ。

「魅了の術がかかっているとなれば、夢解きは『閣下が、女性と恋に落ち、妹君を陥れる』という、表層そのままの『予知』とするのが正しいかと存じます。つまり、このまま魅了の術をまとっていては危険だという、防御本能から見ている予知夢です」

 まだ、大した効果を発揮してもいない魅了だが、心身が警告を促しているのだ。

「これにて、夢解きを完了いたします」

 イシアの宣言とともに、クレントンの胸にストンとその答えが落ちてくる。どんよりとしていた頭が、すっきりと晴れたようになった。

──ああ、あの時と同じだ。

 悪夢は夢解きが完了すると、霧散する。

 少年の頃、ローナンに解いてもらった時と同じ、爽快感。

「納得した」

 クレントンは頷く。

「現在かかっている魅了の術を解き、術除けの魔具をお使いになれば、悪夢を見ることはないと思います。魅了の術の解除は、時間がかかりますから、日を改めた方がよろしいでしょう。今お飲みになった、悪夢よけの薬草茶と、眠りを誘う香を出しておきますから、数日はそれでしのげるはずです」

「そうか」

 魅了の術を解かない限り、悪夢は形を変えて出てくる可能性はある。今、悪夢が消えたからと言って、安心はできない。

「魅了の術の解除の方はいかがいたしましょうか? おいでいただいてもかまいませんし、こちらからお伺いしてもかまいません。懇意の魔術師にご依頼なさるというのであれば、それでもかまいませんが──ただ、可能であれば、一度、妹君にお会いしたいと存じます」

「妹?」

「はい。普通に考えますと、宰相閣下が恋に落ち、恋に溺れたとしても、妹君を害そうとは思わないはず。逆に言いますと、妹君を陥れるために、閣下に術をかけた可能性があります」

「なっ」

 そんなことがあるのだろうか。

 もしそれが本当なら、かなり回りくどい方法だ。

「皇太子のご婚約者であられるなら、妬みもヤッカミもございましょう。不思議ではないと思います」

 イシアの言うことはわからなくもない。しかしそれなら、悪意を向けられているのは妹の方だとなる。

「妹も悪夢を見ていると?」

「いえ──これは『感度』の問題もありますから、必ずしもそうとは言えません。夢解き師の職域外かもしれませんが、気になります」

 彼女の心配が杞憂であればいい──そう思いながらも、クレントンは、イシアの勘が正しいと信じている自分に気が付いていた。


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