第二十五話「君がいてくれるだけで」

 年末は溶けるように過ぎ、年が明けた。

 新年。冬華がアメリカへと旅立つ年が、やってきてしまった。


「うおぉぉぉん冬華ちゃん! 毎日連絡するから~! なんなら仕事全部やめてついてくから~!」

「ヤイコちゃん、お仕事は大事にしなきゃ駄目ですよ?」

「……あい」


 一月某日。都内近郊の国際空港に、関係者が集まっていた。

 冬華のご両親、万里江、俺、そしてヤイコ。

 ヴォーカルの山原先生や、ダンスの先生、動画配信者の大仏坂まで来てくれている。


 アメリカへ旅立つ、冬華と千歳さん、その他数名のスタッフを見送る為だ。


「冬華、左手の傷の方は大丈夫なのか?」

「大丈夫です♪ お医者さんにも診てもらいましたし、あちらのスタッフがお医者さんを紹介して下さるので」


 冬華の左手首には、まだ痛々しい包帯が巻かれている。

 先日の事故で負傷したところが、まだ治っていないのだ。

 何針か縫うような怪我だったので、アメリカ行きも延期するのでは? 等と淡い期待を抱いていたが、そんなことにはならなかった。

 むしろ、先方には喜ばれたらしい。なんでも――。


「まさか、ヴァンデンバーグ監督がイメージしてたキャラが、左手首に包帯を巻いてる役だったなんてね。偶然て怖いわ」


 そう。万里江が呟いた通り、先方が冬華に任せたいと思っていた役柄は、「左手首に包帯を巻いた女の子」だったのだそうだ。

 その話を聞いた時は、何がしかの運命を感じて怖くもなった。冬華のアメリカ行きを邪魔するものは、何もないのだと。


 結局、今日の今日まで俺と冬華の関係に変化は起こらなかった。

 冬華は、俺への一途な気持ちを持ち続けてくれていて、アメリカ行きも受け入れている。

 俺は、冬華へのもどかしい気持ちを抱きつつも、プロデューサーとしての立場に徹し、彼女を羽ばたかせることを優先した。


 形的には、二人で鎌倉に行ったあの日と変わらない。

 俺達はアイドルとそのプロデューサーという関係を優先し、それぞれの道を歩もうとしている。

 唯一変わったことといえば、病院での一件で、俺の冬華に対する気持ちがバレてしまったことだろう。

 あの出来事が、冬華にある種の「愛されている自信」を与えたのかもしれない。半年間の離別に耐えられるだけの覚悟も。


 俺の気持ちも冬華の気持ちも、全ては冬華を輝けるアイドルの頂点に導く為の布石なんじゃないか――そんな気持ちさえ湧いてくる。


「そろそろ時間です。冬華ちゃん」

「は〜い」


 千歳さんに促されて、冬華が一歩、俺達の方へと歩み出る。


「冬華、父さんは何も心配していないよ。胸を張っていってきなさい」

「体にだけは気を付けるのよ」

「お父さん、お母さん……行ってきます」


 冬華とご両親が抱擁しあう。

 その姿に、何故かヤイコが号泣した。


「ふ、冬華ちゃ〜ん。毎日連絡するから〜!」

「うふふ。時差があるから、無茶はしないでくださいね?」


 少し背伸びをして、ヤイコの頭をヨシヨシと撫でる冬華。

 本当に、これではどちらが年上なのか分かったものじゃない。


「冬華ちゃん……世界を獲ってきなさい!」

「もう、大袈裟ですよ万里江さん。うふふ、日本に帰ってきたら、またお願いしますね」


 それから冬華は、先生達や大仏坂とも挨拶を交わし、最後に俺の所へやってきた。

 しばらく、無言のまま見つめ合う。


「春太さん。では、行ってきます」

「おう。冬華、君は俺の、いや俺達の自慢のアイドルだ。国が変わったって、君の輝きが人々を照らすことを、俺は確信してる。……がんばれ!」

「はい♪」


 最後に、最高の笑顔を返して、冬華は旅立っていった。


「ねえ、春太。本当にあれだけで良かったの? 他に何か、言うべきことがあったんじゃないの?」

「……あれでいいのさ。まあ、実はあれだけじゃないんだけどな」

「はい〜?」


 怪訝そうに首を傾げる万里江をよそに、俺は冬華達が向かったであろう方角を見つめながら、天に祈った。

 俺の最後のメッセージが、冬華に届きますように、と。


   ***


 千歳がテキパキと手続きを済ませたことで、飛行機に搭乗するまで、大きなトラブルは起こらなかった。

 冬華にとっては何度目かの、アイドルになってからは初めての海外行き。そのスタートは幸先の良いものになりそうだった。

 だが――。


「千歳さん」


 座席につき落ち着いたところで、冬華がおもむろに隣席の千歳に話しかけた。


「はいな。どうかしたかな?」

「冬華、きちんと笑顔でいられましたか?」

「……冬華ちゃん、あなた」


 いつしか冬華の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 ポロポロ、ポロポロと。真珠のような涙が溢れては落ち、彼女のスカートを濡らしていた。


「分かっているんです。春太さんは冬華のことを、アイドルとしてだけではなく、一人の女の子としても大事にしてくださってるって。でも……やっぱり半年も離れ離れになるなんて、不安で、寂しくて。でも、泣いたりしたら困らせてしまうから」

「ずっと我慢してたのね。いいわ。オバチャンの前でなら、いくらでも泣いたって。大丈夫よ冬華ちゃん。最後にあなたが見せた笑顔は、文句なしのピカイチだったわよ!」


 千歳は、優しく冬華の手を取り握りながら、その頭を撫でる。

 母親が泣きじゃくる我が子を慈しむように、その手は温かだった。

 ふわふわでサラサラの冬華の髪を撫でながら、千歳は「そう言えば」と思い出す。


「あらあら、オバチャンうっかりしてたわ。そう言えば、春太くんから預かっている物があるんだった」

「春太さんから……?」


 言いながら、手荷物から小さな紙袋に包まれた何かを取り出す千歳。


「本当は綺麗にラッピングしてあったんだけど、手荷物検査の時に中身を見せなきゃいけないことを忘れててね。ごめんね?」

「……中身は、なんなんですか」

「なんでも『幸運のお守り』だそうよ」


 手渡された袋をそっと開け、冬華は静かに息を呑んだ。

 中にあったのは、透明なケースに収められた一本のヘアピンだった。

 冬華が愛用しているのと同じような代物で、でも彼女が持っていない種類のものだった。


 あしらわれているのは、白い花と丸っこい四つの葉を持つ草花。

 それは、花を咲かせた四葉のクローバーのヘアピンだった。


「四葉のクローバーがお守りなんて、春太くんもベタよねぇ。でも、そこがあの子のいい所かしらね、ふふ」


 あまりにもささやかな贈り物に、千歳が頬を緩ませる。

 ――だが、ヘアピンを目にした冬華は、全く別の反応を見せていた。

 

「ちょっ!? ふ、冬華ちゃん大丈夫? 耳まで真っ赤じゃない! 大変、お熱でも出ちゃったかしら」

「い、いえ! 大丈夫、大丈夫ですから……これは、そういうのじゃないんです」


 ブンブンブンと首を横に振る冬華。

 その顔は紅葉を迎えた落葉樹の森よりもなお赤く、紅かった。


 ――冬華の脳裏に蘇っていたのは、いつか彼女自身が春太に語って聞かせた、ある花言葉の話。


『春太さん。四葉のクローバーと、シロツメクサの花言葉を知っていますか?』

『なんて花言葉なんだ?』

『はい。シロツメクサの花言葉は、主に「幸運」「約束」「私を思って」……そして「復讐」なんだそうです』

『おいおい、他は分かるけど、最後だけやけに物騒だな』

『うふ、約束や想いを裏切られれば、愛はやがて復讐心に代わるから――らしいですよ?』


 そんな、些細な会話まで、冬華はよく覚えている。

 春太との思い出は、何一つ忘れる訳がない。

 この時、冬華が語ったように、四葉のクローバーの花言葉は「幸運」だ。

 けれども、実はもう一つあるのだ。

 

『四葉のクローバーの、もう一つの花言葉は「私のものになってBe mine.」なんです』


 ギュっと、ヘアピンの入ったケースを握る。

 固いプラスチックのはずなのに、何故か冬華は、そこに柔らかな温かみすら感じていた。


(もう、ズルいです春太さん。こんな、こんなことされたら、冬華は……)


 手荷物から鏡を取り出し、冬華は早速ヘアピンを付けてみた。

 それは、まるで誂えたかのようにぴったしで、世界でただ一つの尊ささえ感じられた。


「千歳さん」

「はいな」

「冬華……毎日あの人に電話しちゃおうかと思います♪」


 そう言って浮かべた冬華の笑顔は、今までで一番輝いていた。


   ***


 ――冬華がアメリカへ旅立って数日後。


「おはよ~! ……って、春太!?」

「お、おはよう万里江姉さん……」


 いつものように「アークエンジェル」の会議室に顔を出した万里江が見たのは、すっかりやつれ果てた春太の姿だった。

 顔面は蒼白で眼は充血し、濃いクマが浮かんでいる。明らかに「寝ていない」様子だ。


「ちょっとアンタ大丈夫? 仕事、そんなに立て込んでたっけ?」

「ああ、いや。これは仕事のせいじゃなくて……いや、半分は仕事でもあるのか」

「え、どういうこと?」

「冬華がな、毎晩電話をかけてくるんだよ。それで、ついつい長話しちゃって」

「ああ……」


 その話は、万里江も千歳からの業務報告で既に知っていた。

 まだ準備期間ではあるが、冬華のアメリカでの活動は順調らしい。だが、夜な夜な春太に電話をかけては、遅くまで話し込んでいる、とも報告を受けている。


 冬華の滞在するニューヨークと日本の時差は、おおよそ十四時間。

 あちらが夜中の場合、日本では真昼間だ。春太が寝不足になるはずもないのだが、問題は「長電話」の程度だった。

 電話の時間は、短くても一時間、長い時は数時間に及ぶのだという。


 結果、春太は昼間は仕事が手に付かず、夜遅くまで作業をして遅れを取り戻す羽目になっていた。

 千歳も最初の内は「長電話は程ほどにね」と窘めてはいた。けれども、春太との電話を終えた後の冬華は、いかにも気力十分といった様子なのだ。実際、翌日の仕事のクオリティが、格段に上がっていた。


 そして何より――。


「冬華、とっても元気そうだし、やる気に満ちあふれてるんだ。万里江姉さん、これはもしかするともしかするぞ。冬華が本当に、世界を獲って帰ってくるかもしれない!」

「そ、そうね……」


 当の春太が、冬華との長電話を全く負担に思っていないのだ。むしろ、喜んでいる節さえある。


(春太と冬華ちゃんって、案外似た者同士だったのね)


 あまりにも重すぎる「相思相愛」振りを前に、二人の将来をちょっとだけ案じてしまう万里江であった。



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後もう少しだけ続きます。次回、例の監督が……。

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