第3話  庭の薔薇

 仮初の同居人とはいえ、サイズ感の合わない服を強要するほど、私は冷酷ではない。そして何より、そのアンバランスな雰囲気が視界に入る度に気になって仕方がない。

 ということで、早速彼の身の回りのものを取り揃えるべく、共に街に出かけることにした。

 手始めにブティックへ。好みのものを選ぶよう提案したところ、推測どおり、彼はこだわりを持ち合わせず、サイズのみを基準に選び始めた。お生憎様、それを黙って見守る私ではない。

「フェザーハントさん、もし良ければ私がお選びしましょう。ほら。こちらの色味の方がお似合いですよ」 

「そうですか。では、お願いします」

 シャツにスラックス、カーディガンなど、彼の雰囲気に合い、かつ気品漂う品物を選んでゆく。彼はというと、終始こちらの様子を寡黙に観察しながら子ガモのごとくついてきていた。


 選定を終え、会計中。キャッシャーの声が、心なしかいつもよりワントーン明るく聞こえた。

「只今フェアを開催中でして、二名でお越しの方々に香水のサンプルを差し上げております。こちらの最新作「アムール」、お試しになりますか?」

「折角ですが、結構です。学友と試すにはやや抵抗がありますので」

「左様でしたか。失礼いたしました。では代わりにサシェをお入いれしておきますね」学友と称された当人は物言いたげにしているが、私はあえて気づかぬフリ。そしてやはり、店を出るなり解放される疑問。

「先ほどのは、嘘ですよね」

「ええ」

「嘘は、ついてはいけないものです」

「仰る通りです」

「では、何故?」

「事実を伝えたとして、彼は理解してくださるでしょうか。疑問や疑いの目が貴方に向いてしまっては、居心地が悪いでしょう?」

「なるほど。よく理解出来ずに、ごめんなさい。そのように優しい嘘もあるのだと、記憶します」


 優しい嘘など、見かけだけ。その実、私に対し無駄な詮索をされぬよう防衛線を張っただけ。嘘には嘘の重ねがけをすることだってあるのだ。

 やがて帰路につき、その道すがら、彼は「優しい嘘のつき方を教えてほしい」とそう望んだ。


 昼食の片付けをしてリビングに戻ると、つい先ほどまでそこにいた姿が見当たらない。優しい嘘には、興味がなくなったのだろうか。

 ふと、微かに響く穏やかな吐息。音を辿ると部屋の奥のソファに横たわる姿があった。近づくにつれ、濃度を増す新鮮な人の香り。このまま食後のデザートとして食してしまおうか。


 腰を折り喉元に手を伸ばした瞬間、鮮やかにフラッシュバックする彼の願い。体が完全に硬直し、自らの喉元が萎縮した。人の願いなど、いや、食物の願いなど、気に留める必要などないのに。そうであるはずなのに。

 短い嘆息と共に、伸ばした腕を大人しく引き戻す。

「人に同情するなんて……」



***



 それからというもの、彼はことあるごとに質問を浴びせた。

「その表情は、何を意味しますか?」

「こういうときは、どういう感情を持つべきですか? 笑っていい場面ですか?」

「寂しいは、ひとりで居たくない、誰かにそばにいてほしい、という定義で正しいですか? あなたは、どういう時に寂しいですか?」


 感情は意識せずとも湧き起こるものなので、あえて言葉で説明しろと言われると悩む場面も少なくなかった。だが、拒むことはしなかった。それが弛まぬ向上心に支えられ、自らに磨きをかけようとする実直な努力だと分かっていたからだ。


「この感情には、どのような表情を作るのが適切ですか?」

「フェザーハントさん、表情は「浮かべる」と表現した方がより自然ですよ」

「わかりました。浮かべます。間違えてごめんなさい」

 きっと彼の中では感情と表情が完全に結びついておらず、言うとおり「表情を作る」必要があるのだろう。そしてここには、言い間違いに対しこれまで誰も意見してこなかったという事実が透けて見えた。

「謝ることなどありません。次に活かせば良いだけですから」

「はい。ありがとうございます」


 気づけばこうして感情だけでなく、言語指導も始まりを告げた。面白いほどに吸収し成長していく姿をそばで見つめ、私は思う。その姿はまるで庭の薔薇に似ている。

 それは目を楽しませるが、ただそこに在るだけで、こちらへの干渉は一切しない。変化する彼の隣で、私は何も、変わらない。


 あっという間に時間は流れ、共同生活三週間目。とある快晴の夜に、「星空を眺めるときの感情を知りたい」と誘われ付き合うことに。夕食後ベランダに出ると、満天の星に迎えられた。夜空を見上げる私の横で、不思議と彼は私を見上げている。

「星空は、綺麗ですね」

「ええ」

「星空が綺麗なときは、嬉しいですか?」

「そうですね。それと、ほっとします」

「ほっとする?」

「気分が和らぎ、落ち着く様子ですね」

「なるほど。星空と月は、どっちがほっとしますか?」

「どちらも同様にほっとします」

「では星空と月は、どちらが綺麗だと、より嬉しいですか?」

「それも、双方にそれぞれの綺麗さがあるので選べませんね」

「なるほど。では星空と月が両方見える今日は、嬉しくて、ほっとしますか?」

「ええ」

「よくわかりました。星空と月が綺麗なときは、嬉しくてほっとします。そしてあなたは、星空も月も好きで、見るとほっとします」

「後者は覚えなくてよいのでは?」

「いえ。大切なことなので、記憶します」

「ありがとうございます。ああ、フェザーハントさん。こういうときは記憶するではなく」

「覚える、でした。もう間違えません」

「はい。その調子でいきましょう」

「あの」

「はい?」

「流れ星に願い事を託すとしたら、何を願いますか?」

「願い事は、秘密にしておくと叶いやすいのですよ」

「そうですか。では、聞きません」

 言い終えて、彼は満足そうに夜空を見上げた。流れ星など見えなかったが、明らかに願いをかけている。望む未来を見据え、心待ちにする眼差し。不意に胸のざわつきを覚え、その横顔を見続けることが出来なくなった。



私に、願いなんて_____



_____パトリックさんと、本物の楽しいと嬉しいを、分かち合えるようになりますように_____


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