Calling

棗颯介

第1話

 手の小指は何のために存在するのだろう。

 子供の頃から疑問だった。親指、人差し指、中指、薬指は必要だと思う。でも小指は無くても問題ないんじゃないだろうか。モノを掴んだりするときに添えるだけ。他の四本が揃っていれば必要ないと思っていた。

 だから、いつか二十歳を迎えた日に失くすものは小指にしようと、そう決めていた。


「なぁ、マリン」

「ん?どしたぁ?」

 名門桜庭さくらば家が持つ豪邸の一つ。東京郊外にあるそこが今の俺の生活拠点だった。お抱えの庭師の手で丁寧に剪定された日本庭園を臨む広い和室。そこに置いてあるこれまたヴィンテージ物のソファーにだらしなく寝そべっている黒い猫耳パーカーのフードを被った少女。

 彼女こそ桜庭家に代々伝わる福音であり、信仰であり、呪い。

「マリンって何歳?」

「は?女子に年齢聞くとかデリカシーなさすぎ。これだから近頃の若いのは」

「その台詞が既に年増感マシマシだから」

 マリンと名乗る死神は、俺がこの家に生まれるずっとずっと昔からこの家に居た。見た目こそ現代のどこにでもいる女性と変わらないように見えるものの、れっきとした死神らしい。現に、桜庭家の人間以外には彼女の存在は映らない。先祖から伝わる“盟約”によって、直系の血筋の人間だけが彼女を認識することができる。

「てゆーか清司セージさ、そろそろ決めた?何を差し出すか」

「まだ考え中だよ」

「あそ。まぁ二十歳の誕生日までまだ少し時間あるからゆっくり決めれば。くれるなら私はどこでもいいし」

「なるべく痛くしないでくれると嬉しい」

「部位による。あと言い方がキモい」

 にべもなくそう告げる彼女は手元のスマートフォンに夢中だった。死神という俗世間から逸脱した存在ではあるが現代の流行りだの娯楽には目ざとい。今着ている黒いパーカーも、なんとかっていう渋谷発信のブランド物だったはずだ。

 何歳?なんてさっき聞いたが、この桜庭家は千年以上続いている家系らしいから、彼女は少なくともそれ以上の時を生きているはず。さすがに日本のかの皇家には及ばないにしろ、千年もの間桜庭の家が栄えてきたのはひとえに彼女という死神との“盟約”あってのことだろう。命を取らない死神なんて聞いたことないが。

「なぁ、俺からとったものはどうするんだ?」

「あたしが美味しくいただくけど」

「死神ってやっぱり人を食べたりするのか」

「別に口に放り込んでムシャムシャ食べるわけじゃないけど。まぁ、あたし以外にそういうのがいるのも否定はできないか」

「死神っていうくらいなんだし命丸ごと持ってくもんかと」

「そうしたいのは山々だけどあんたのずぅぅぅぅっと昔のご先祖様との約束があんの。かったるいけど」

「じゃあこの先もずっとこの家に居座り続けるのかマリンは。やだなぁ」

「あ?」

「いやなんでも」


***


「清司、大学ではどうだ」

「これといって特に。成績表はそっちにも送ったでしょう」

「………そうか」

 珍しく別宅にやってきた父との夕餉は、普段マリンと二人でとっているものと比べてずっと重々しく息苦しい。まるで父がリビングいっぱいの海洋深層水でも連れて帰ってきたかのように。

 父は真っ当な人間ではあったが、あまり息子の自分を自由には育ててくれなかった人だ。毒親、とまでは思わないが、普通の家庭で育った子供が経験するようなこと―――漫画・アニメ・ゲームといった娯楽、学友たちとの交流だ―――に対しては禁止こそしなかったものの眉を顰め、ことあるごとに勉学を促してきた。多感な年頃には多少反発していた時期もあったが、結果として今日まで大きく学歴を落とすことなく大学でも問題なくキャンパスライフを送れているわけなので、父の教育は正しかったのだろうと今は思う。

 それもこれも、名門桜庭家の人間というレッテルが自分に貼られているからなのだということも、分かりすぎるほど分かっている。だからこそ、何の肩書も持たない、何者でもない同世代の友人たちが心底羨ましかった。

「お前ももうすぐ二十歳になるわけだが、マリンと話は済んでいるのか?」

「何を差し出すのかって?」

 二十歳の父は左耳をマリンに差し出した。耳と言っても鼓膜まで差し出したわけではないから聴力はそのままだし、髪を少し伸ばせば目立たないよう欠落を隠すこともできる。我が父ながら上手くやったものだと思う。

「何をくれてやるのかはお前の自由だが、なるべく失っても今後の人生に支障ないものを選べ。お前は桜庭家の—――」

「分かってるよ」

 “お前は桜庭家の大事な跡取りだ”。そんな言葉は子供の頃から耳にタコができるほど聞いてきた。そんなにお家の肩書だの家格だの血統だのが大切なのか?先祖がマリンと“盟約”を交わした千年前ならいざ知らず今のこの時代に?多少の格差はあれ今の時代は努力すれば全ての人間が平等に幸せを手に入れられるつくりになっているというのに。先祖の“盟約”だかなんだか知らないが、そんなものにいつまでも固執していたら未来に血筋は残せても桜庭家はどこにも行けないだろう。

「そういえば、そのマリンは居ないのか?」

「部屋でゲームでもしてるんじゃないかな」

「そうか、あれも相変わらずだな」

 父は昔を懐かしむように少しだけ笑みを浮かべた。若かりし頃の父とマリンの話はあまり聞いたことがないが、きっと今の自分が過ごしてきたものとさして変わりないものだったろう。あれは老いることも死ぬこともない、千年を生きる死神なのだから。


***


「ハッピーバースデー、セージ」

「まったく気持ちがこもっていない祝辞をありがとう」

 数日後、特に何のドラマも紆余曲折もなく、他の人と変わらない時間の流れに身を任せて俺は二十歳の誕生日を迎えた。

 マリンはと言えば特段普段と何か変わりがあるわけでもなく、朝の挨拶をするように心のこもっていない祝福を雑に投げつけてきただけ。本当に今日、桜庭清司という男は何かを失うのだろうか。

「で、何を差し出すかは決めた?」

「小指。左手の」

「献上動機は?」

「志望動機みたいに聞くな。だって、手の小指ってあんまり使わないじゃん。強いて言えばパソコンのタイプが少し面倒になるくらいだけど、その程度のもんだし」

「ふーん。まぁあんたがそう言うならあたしは別に文句ないけどね」

 それまで和室のソファーに寝ころんでいた死神は気分を変えるように勢いをつけて立ち上がると、真っすぐこちらに歩み寄り左手に触れた。

「———一応、聞いときたいんだけどさ」

「なんだ?」

「本当に小指でいいの?」

「なんだよ、文句ないんじゃなかったのか?」

「まぁ、あんたがいいならいいんだけどさ」

 

 そう言いつつも、マリンの表情はどこか物憂げに見えた。

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