魔女の探しもの

@kenpil

プロローグ

 断りを入れておくと、彼女は箒にまたがらない。

 三角帽子はかぶらない。靴の先はとがってない。煉瓦の家に住んでいない。杖を振って光線を出さない。老婆でない。かといって少女という年齢でもない。だから宅急便も運ばない。

 金もない。

 どれも、今のところは。

 そう考えると、三角帽子はかぶっていたこともあった気がする。

 そんな、ないない尽くしから始めた方が早いのが西宮翠にしみやみどりという「魔女」である。

 魔女と言うからには指先に火を灯したり、笛の音で悪霊退治をしたり、部屋より大きな部屋を部屋の中に造ることだってきる。もちろん乱暴だし粗雑でもある。面と向かって聞いたことはないが、年齢はたぶん僕よりは上だろう。

 かくなる僕は、そんな彼女のもとでアルバイトをしている男子大学生、名前を遠乃井和朔とおのいかずさと言う。アルバイトと言うからには、彼女の奇妙な実験につきあったり、奇怪な依頼を手伝ったりもするのだが、大抵は掃除と雑用である。

 依頼と言ったように彼女の収入源はたぶん、どこからか彼女のもとに来る、心霊現象とくくられる不可思議な事件の調査だ。ただしその事務所の扉を開く人は滅多にいない。依頼人はまず宅配便の人と間違えられるのが歓迎のプロトコルだ。

 そう言うわけで常に金銭的な問題を抱える彼女はバイト代を払いたくないとき、僕をバイトではなく魔女の見習いと呼ぶ。

 

 彼女と出会ったのは大学一回生の冬だった。

 それまでバイトをしていたチェーンの飲食店が撤退することになってしまった。近くに系列の店もなかったため解雇されることとなり、新しいバイト先を探していた。

 幼少の頃に両親が離婚したため母子家庭であったが、折しも母が再婚することになったため、地元ではあったがなんとなく一人暮らしの気運となった。

 別に金銭的にもそう困っていたわけではなく、それに母のお相手の方も悪い人でもなかったから、新しいバイトに求める条件もあまりない。折角なら一風変わったバイトもいいのでは、と思っていた。

 そんなある日。

 そういえばこの街にはどんなお店があるのだろう、とふと思い立って普段は通らないような路地裏を歩いてみた。印刷会社、クリーニング工場、計測器のレンタル会社、骨董品屋……

 さすがに人がふらりと寄る場所ではないから飲食店のようなサービス業は少ない。食品といっても量販店向けの加工センターといったところだ。

 やはり駅前の繁華街がいいのかな、そう思っていた矢先、奇妙な名前を目にした。

    

    「魔女の探偵社」

    

 探偵、誰しも一度はやってみたい職業だ。といってもその業務のほとんどが浮気調査や家庭内トラブルだとは知っている。ううむ、気になるような、気にならないような。しかし魔女というのは……

 そう思って見ていると扉の前に一枚の紙が貼ってある。それに気づくと紙に何が書かれているか気になるのが人情というもので、忍び込むように扉に近づいてみた。

 紙にはこう書かれていた。

    

    浮気調査致しません。心霊現象承り〼《マス》

    

 魔女、探偵、心霊、この世の胡散臭い(探偵には悪いが)存在の三位一体が掲げられていた。ものすごく気になるけど絶対に関わりたくないという、神様の設計ミスに違いない好奇心に刺激され、扉の前で足が止まってしまう。

 それが命取りだった。

「何だ——依頼か、バイトか?」

 突然真後ろから声をかけられて露骨に飛び上がってしまう。振り向くとそこには一人の女性が立っていた。もちろん彼女が西宮翠である。

 店の軒先で来訪者に見せるための張り紙を来訪者が見ていただけなのだから、全く至極当然なことをしていたまでなのだが、なぜだか悪いことをしていたのを見咎められた気がした。それで対応が遅れた。

「まあ、上がっていけ」

 と言われてしまい断る間もなく扉をくぐってしまった。

 

 応接間と思われる部屋に通され下座に座らせられる。埃っぽいからしばらく人は来ていないと見た。

「名前は和朔、陰と陽の調和、か……」

 彼女は一人で納得したように僕の名前を呟いていたが、未だアブナイことに巻き込まれてしまった——事実そうなのだが——気がしている上に本名まで教えてしまったことで、どうにも落ち着かなかった。

「霊感は?」

「ない、と思います。……やっぱり要るんですか?」

「別になくても掃除はできるし、ない方がいいこともある」

「あの、じゃあ仕事というのは……」

 いつの間にか採用面接のペースになっていることに自分では気づかなかった。

「ああ、それなら見てみる方が早い」

 彼女はそう言うと僕を「実験室」なる場所に案内した。

 

 その部屋の大きさは明らかに建物の見かけの大きさを超えている。

 石造りの広間で床は一辺五十センチほどのなめらかな石のタイルが敷き詰められ、天井の高さは十メートルほど。大きさ的にはちょっとしたスポーツの練習場にはなるだろう。

 高所から見渡す回廊から出てきた僕らは階段を下ると床へと降りていった。いくつもの作業台、豪華で古めかしい装丁の本、コンピュータ、分光分析装置、七色の薬品、すりつぶされた草木、宙に浮いた液体の球体、等々、等々……そして天井をみるとそこに穴が穿たれており階段が伸びていた。天体観測装置らしい。曰く実験室であったが、そのあまりに古今東西がないまぜになった様に呆気にとられた。そして汚い。

 宙に浮いてぶくぶくしている液体の前に来た。よく宇宙ステーションの映像でふわふわ浮いている水滴を見るがあれの巨大版だ。それに当然ここは一Gの重力がある。どうやって浮いているというのか……

「そりゃあ当然そういうまほうに決まっているだろう」

 と彼女は言ったが、その「当然の魔法」というのが人智の外だ。

「ま、それは今後気が向いたら教えてやる」

 なぜか今後があるのが前提となっている。「ここ、掃除しておけ」と言い捨てて僕を残して去ろうとする彼女を咄嗟に引き留める。もはや自分が何かに巻き込まれているのか、そうでないのかもわからない。

「あの、僕は一体……」

 この場合正しくは、自身の正体でなく置かれた立場を聞くべきなのだが、もはや自分自身が何なのかもよくわからない。

「今日からここのバイト兼見習いだ。よく励むように。……そうそう、泊まるなら応接間を使っていいぞ」

「いやまだ何も……」

「なら、ちょっと待て」

 そう言って彼女はそこらへんの紙とペンを取って数行ささっと何かを書きつけた。

「手を出せ」

 手?と言われ考える間もなく条件反射で左手を差し出してしまう。翠はさっと髪留めを一本抜き取ると、その手を迷いなく和朔の左手首に振り下ろした。

 ぷすり。

 左手首から小さな血の玉がぷくりと膨らんでいく。うわっと悲鳴を漏らす間もなく血が髪留めになすりつけられると、彼女はその血を紙に垂らした。見る間に彼女も自身の手に髪留めの針を突き立てると、流れ出した血を同じように紙に垂らした。

「契約成立だ。よく働くように」

「何なんですか、いきなり、契約って、働くって」

 そう喚く僕の手には、現代人の本能というべきかいつの間にかティッシュペーパーを探しあてていて、傷口に当てていた。

「魔女の契約。血の契約。これでお前は従業員」

「そんな、法律とかは」

「魔女は既存のことわりの外にあるから魔女なんだ。どうしてあんな穴と間違いだらけのものに従う必要がある?」

 恐ろしいことに彼女は、従わなければならないという反感でなく、本当に従う必要がないという確信からそれを言っていた。

「破ると死ぬからな、気をつけろ」

 そう言って彼女はその即席の契約書の内容を僕に見せることなく持ち去った。あの時間で書けたということはそう長い条文じゃないだろう。しかし短いということはそれだけ普遍で範囲が広いということを意味する。そのぶん抜け穴もない。

 気がつくと髪留めで刺された左手首にはサイケデリックな幾何学模様が描かれていた。

 

 それが、僕と彼女の出会いである。それからというもの内容と効力のわからない契約に怯えながら、彼女のもとで日々掃除とその他の雑用、加えて時おり依頼される幽霊退治や悪魔祓いなんてことに駆り出されることとなった。

 バイト代は彼女の気分と財布次第。たぶんその厳格無比な最終決定権は薄っぺらい小銭入れにある。一人暮らしの部屋を追い出されても泊まる場所の当てができたと思おうとしたが、そそれはもそも金欠になるようなバイトをしているせいだろう。

 おかしなバイト、おかしな人、おかしな事件、それが日常となった生活。

 おかしい、とは変わっているということ。

 日常、とは変わらない日々ということ。

 そして今日も、そんなおかしな日常を歩むことになる。

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