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「久しぶりだな」


 という声が黒井良樹の感情を一気に十年前に引き戻す。生駒友作はサングラスを掛け、キャップを被り、タンクトップにハーフパンツという、やけに軽装で現れた。夏休みの大学生を気取っている訳ではないだろうが、キャンパスのベンチで座っていてもそれほど違和感がないかも知れない。


「なんか変わらないね、あんたら」


 続いて現れたのは太田加奈おおたかなだった。いや、今は藤森加奈だったか。去年結婚したと葉書が届いていたことを思い出す。髪の色も黒いし、化粧も薄め、ジーンズにだぼっとした上着というのは学生時代の加奈とは印象が大きく違っている。大人びたというより、やはり結婚して落ち着いたと言った方がいい。


「こんにちは」


 五分ほど遅れてやってきたのは美雪だった。先日のパンツルックとは異なり、今日は学生時代を思い起こさせるような白を基調としたロングのワンピース姿だ。良樹は不意を突かれたような表情になってしまったのか、友作に脇を肘で小突かれる。


「何だよ」

「いやあ、相変わらず深川さんはお綺麗ですなあ」

「何言ってるのよ、生駒君。もう三十でしょ? そういう格好、そろそろ卒業した方がいいんじゃない?」

「わざとだよ、わざと。オレだって今じゃ立派なサラリーマンやってるよ」


 友作は去年また転職して、今は中小企業向けの保険の営業をして回っていると聞いている。


「今度の仕事は落ち着くといいね」

「オレもそう願ってるよ。それより、あのおっさんは?」

「ああ、紹介するよ。桐生さん」


 大学の文化部棟にカメラを向けていた迷彩柄のジャケットを着た男性に声を掛ける。逞しい髭面ひげづらは良樹には見慣れたものだったが、初対面の人間にはやや威圧感があるらしい。


「どうも。フリーライターの桐生です。時々奇恐倶楽部でこいつにこき使われてます」

「何言ってるんですか、桐生さん。世話になってるのは僕の方ですよ」

「あの日のメンツだけじゃないのか」


 友作の言いたいことは理解できた。実際、深川美雪から提案されたことはあの肝試しをやり直すことだったからだ。


「桐生さんを安斉君の代役にしようという訳じゃないよ。今回は雑誌の取材ということで、現在の黒猫館の保有者である天堂コーポレーションから見学の許可を貰っていて、桐生さんが記事を担当してくれることになっている。それに僕よりもずっと、あの黒猫館に対する知識があるし、色々と修羅場を経験されているので、もし何かあった時に助けてもらえる。実際、何度か命を救われたことがあるんだよ」

「そんなに頼ってもらっちゃ困るぜ。ちょっとお前らより長く生きてて、そこらの連中よりは危険な橋の渡り方に習熟してるってだけだ」

「いいじゃないの。みんないい歳なんだから学生気分って訳にもいかないでしょ」


 学生時代なら誠一郎に場の決定権があった。彼がいない時には友作が何となく方向を決めていたように思う。もしくは良樹が仕方なく意見を口にした。

 けれど十年という月日は男子の顔色を伺いがちだった女性たちがちゃんと自分の意見を通し、バランスを取るように変えていた。


「ま、俺はお前らの邪魔をしないよう、目立たないでいるように努めるよ」


 桐生はそう言うと良樹にウインクをしてから、再びカメラを大学の建物へと向け、距離を取ってしまった。


「あとは足立さんだけなんだけど」


 約束は十時だった。良樹はスマートフォンを取り出し、メッセージが着ていないか確認する。既に十分過ぎてしまっているが、彼女からの連絡はない。


「どうする?」

「先に行ってようぜ。後から来るだろ」


 分からない場所という訳ではないし、あまり長居をしている訳にもいかない。


「それじゃあ」


 良樹は先に出発していることを足立里沙あだちりさにメッセージしておいて、館に向けて歩き始めた。

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