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「桐生さん、どうぞ」


 コーヒーを出すと、良樹は対面のソファに腰を下ろす。テーブルの上には足元に置かれたその重そうなカーキ色のリュックから取り出されたタブレット端末が既に置かれていて、起動画面が映っている。

 桐生はカップに軽く口をつけると、


「これ。頼まれてたやつなんだけど」


 そう言って端末を操作する。

 桐生敬吾きりゅうけいごはフリーで活動しているライターで、この奇恐倶楽部の編集部で懇意こんいにしているうちの一人だった。今年三十を迎える良樹とは既に顔なじみで、付き合いは三年程度になる。年齢は一回りほど違い、四十代らしいとは聞いている。

 端末のモニタには幾つかの建物の写真が映し出された。どれも特徴的な外見で、二階から三階の建物が多い。主にレンガ造りの洋風建築だが、凹凸が少ない。意匠をらすというよりはシンプルな包装紙のような外見を目指している、と良樹は感じた。


「これが桐生さんの言ってたラシュム? でしたっけ」

「ラショール。呪術建築家だ」


 呪術、と小声で言って、パソコンに向かっている山科光恵がくすくすと笑う。


「俺が言ってるんじゃなくて、実際に色々と曰くつきだからそう呼ばれてるんだよ」

「本当にあの黒猫館もこの建築家の作品なんですか?」

「ああ、そうだ。資料によれば竣工しゅんこうが明治四十二年になってるな。今の持ち主は天堂コーポレーション、不動産から銀行、ネット産業まで手掛けている新興財閥の一つだ」

「その前の持ち主が、西雲寺さんですか?」


 西雲寺というのは良樹が通っていた大学の前の理事長だった男性の名だ。


「いや。何人か経由してる。ただどれも保有期間が短く、何かが起こったという記録はない」

「そうですか」


 良樹はタブレットを受け取り、写真以外の資料に目を通していく。

 ジャミル・アジズ・ラショールは謎の多い建築家で、出生も没年も不明だ。元々建築の方面で活躍していた訳ではなく、芸術、特に絵画の分野で幾つかの作品を発表していた作家だった。しかし絵画的価値は現在でも低く、ラショールといえばその界隈ではすっかり建築家のイメージが強くなっている。ただ資料にある建築の外観や内装の写真を見ても、他の建築家のそれに抜きん出て特徴がある、とは感じない。どの建物でも床や天井に文様が描かれているがイスラム建築ではよく見られる幾何学模様的なものだと説明には書かれていた。


「一体いつ頃から呪術とか呪いの建築とか呼ばれ始めたんでしょう」


 桐生の資料にはここ三十年ばかりの事件記録は記載されていたが、その時点で既に曰くつきだったのは確かなようだ。


「俺が集められる範囲ではよく分からなかったな。それこそ原文に当たらないと見つけられないだろう。流石にアラビア語まではカバーできんよ」

「いえいえ。これだけ集めて下さっただけでもありがたいですよ」

「しかし何だって今更ラショールなんだ? 二十年前に少しばかり話題になっただけで、今更取り上げてもそこまで売れる名でもないだろう」


 何故、という問いに答えるには、一言では済まない事情を良樹は抱えていた。


「それってさ、前に黒井君が言ってた大学時代のやつ?」

「ええ、まあ。そんなところです」


 曖昧な返答で誤魔化したのは、良樹自身もあまり思い出したくない、苦い記憶を掘り返す必要があったからだ。

 大学時代。もう今から十年も前の話になる。

 夏になる度に良樹にはあの苦い思い出がよみがえるのだった。


 ――ねえ、知ってる? 亡くなった人と話すことのできる不思議な電話があるんだってさ。

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