拾玖:平和な日常って?

「困ったことになりましたね」

「ううん。警察呼ぶ?」

 エレクトラムと喫茶室のマスターは、二人して小首をかしげながら、ある座席を眺めていた。

 つい先日、エレクトラムは魔薬まやくイビルスウィートの売人兼悪人と戦うため、持病である魔力過剰生成症〈タラニス症候群〉を悪化させてしまった。

 その症状を抑えるために、従兄弟でシャンバラを専門に研究している博士のニクスに助けを求めたところ、とても貴重な〈遺物〉を譲り受け、身に着けることになった。

 祭祀の指輪三つに、生贄のピアス五つ。

 光の巫女のバングル一つに、影の女王のかんざし一本。

 そのおかげで、現在は体調もすこぶる良好。

 捕縛した悪人、セレスタルもJUDICASユディカスへと引き渡し、日常も取り戻しつつあった。

 そのさなか、本日、目の前で問題が起こっている。

「あの茶色いダウンコートの人、何度確認しても、この画像の人ですよね」

 二人が見ているのは、日本の警視庁のホームページだ。

 その中でも、一際異質な雰囲気漂う、ある写真を掲載しているページがある。

「そうだよなぁ……。エリーの魔法でなんとかならない? 殺人犯がお客で来てるなんて、とてもじゃないが平常心ではいられんよ」

「いや、マスターめちゃくちゃ落ち着いてるじゃないですか」

「そう? けっこう動揺してるぞ。だって、さっきアーモンドミルクと間違えて豆乳飲んじまったもん。俺、豆乳苦手なのに」

「ああ……、えっと、そうですか」

 マスターの動揺具合は常人のそれとは違うようだ。

「他のお客様がまったくあの人に気づいていないのが幸いですね」

「まぁ、そうとも言えるが。とりあえず、一人ずつ避難させるか」

四月朔日わたぬきさんに聞いてきましょうか」

「おいおい、悠長だな」

「でも……。あっ」

 こそこそと二人で話していたら、すっと男性が立ち上がり、館内の方へと歩いて行ってしまった。

「……じゃぁ、あとはよろしくな!」

「えええ」

 マスターはホッとしたようで、満面の笑みだ。

 エレクトラムは顔をしかめながら、仕方なく男性の後を追って館内へと向かって行った。

「目を離すわけにもいかないからなぁ……。連絡だけしておくか」

 スマホの連絡用アプリを立ち上げ、その中にある博物館のグループルームに『この人が館内にいます。どうしましょう?』と書き、警視庁のホームページのURLと共に送信した。

 何秒も経たないうちに大量の返信が来た。

「……あ、通報してくれた。だよね。そうだよね」

 エレクトラムへの指示は『目を離さないで!』だった。

 スタッフたちは何事も無いように館内を歩きながら、来館者に警視庁のホームページに乗っている男性の写真を見せ、一時退館を促し始めた。

「あの、すみません」

 スマホを見ていた数秒のうちに、近づかれていたらしい。

 殺人犯の男性に話しかけられてしまった。

「は、はい。いかがなさいましたか?」

 声が上ずってしまった。

 それでも、動揺を悟られないよう、笑顔で対応した。

「あそこにある絵画についてお聞きしたいのですが」

 男性が指し示したのは、童話『北風と太陽』を現代風にアレンジしたアート作品だ。

「はい。かしこまりました。では、専門のスタッフをお呼び……」

「いえ。あなたがいいんです。僕、人間だと殺してしまうかもしれないので」

 まさかの本人からのカミングアウト。

 エレクトラムは冷や汗をかきながら必死で会話をどう続けようか考えた。

「そうですか……。ああ……、その、では、えっと、ええ。はい」

「そう緊張しないでください。あなた、魔法使いなんでしょう? 僕、今まで八人殺してきたので、流石に人間かそうじゃないかは、においでわかります」

「あ、そ、そうなんですね。特技なんですか?」

 わけのわからない質問をしてしまい、後悔した。

「まぁ、特技と言われれば、そうかもしれません。……館内が静謐としていますね。他のお客さんたちを逃がしたんですか」

「え、まぁ、そうですね……」

「僕が狙うのは女性だけ。しかも、三十代の。それ以外のお客さんは残しても大丈夫だったのに」

 正直なところ、戦えば絶対に負けないし、簡単に捕まえることは出来る。

 エレクトラムは魔女族だ。

 人間が戦闘機で撃ってきても勝てる自信はある。

 ただ、なんと言えばいいのか、目の前にいる男性は、一筋縄ではいかない何かを感じる。

「あなたは慎重なんですね。いいですよ。その行動は正解です」

「せ、正解?」

「この博物館に、一つ、爆弾を隠しておきました」

「……えええ!」

「僕を捕まえても、時限式で爆発します。今は午前一時。あと……、三時間分くらいですかね。猶予は」

「ど、どうすれば解除できるんでしょうか。何か望みでもあるんですか?」

「死刑にはしないと確約した法務大臣の署名入りの契約書が欲しいです。捕まるのは良いんですけど、死刑だけはちょっと……。僕、自分の実績を思い出しながら寿命まで生きていたいんです」

 エレクトラムはただただ困惑していた。

 人を殺しておいて、自分は寿命を全うしたいなどと言う神経がわからないからだ。

 いや、死にたくない気持ちはわかる。

 しかし、感情的にこの男性を許容することは出来ない。

「裁判の結果に従えばいいのではないでしょうか」

 エレクトラムは魔法を使い、少しずつ、館内の温度を上げ始めた。

「八人も殺しているんですよ? それも、二人は食べました。三人はバラバラにして東京湾に捨てたし、一人は医療用の解剖検体に紛れ込ませました。残りの二人は富士の樹海で自殺体に見せかけて吊るしたので、まぁ、十中八九、死刑が求刑されるでしょうね。死刑反対を推進している団体や弁護士の後押しがあったとしても、無理でしょう」

「報道では、その、今おっしゃっていた医療用に提供された遺体の中にあった人しか遺体は発見されていませんよね」

「僕、プロなんで」

「プロとは……?」

 背中に汗が流れる。

「殺し屋です。でも、その医療用のってやつであしがついちゃって。廃業どころの騒ぎじゃないんですよ。クライアントたちが一斉に殺し屋を差し向けてきたんです。僕が司法取引するために今までのことをベラベラしゃべらないように」

「司法取引したいんですか?」

「もちろん。警備の緩い刑務所で保護拘置、終身刑希望です」

「……なんというか、その、すごいですね」

「正直に言っていいですよ。僕にあなたは殺せないでしょうから。魔法使いを殺す依頼も何件かありましたけど、全部失敗しました。というか、指一本触れられませんでしたもの」

「よく魔法使いに殺されませんでしたね」

「日本に住んでいる魔法使いには大抵の場合人間の友人や恋人がいるものです。もし僕を殺そうとしたら、仲間に指示を出すぞ、と脅せば、簡単に身を護ることは可能です」

「なるほど……。いくら魔法使いと言えど、四六時中大切な人を護れませんからね」

「その通りです」

 エレクトラムは視線を感じた。

 どうやら、警察の機動隊や狙撃部隊が到着し、配置についたようだ。

「仲間って本当にいるんですか?」

「いないですよ。僕は単独。自営業です」

「でも、それって証明できないんですよね?」

「そうですね。僕は嘘をついているかもしれません」

「本当は何人殺したんですか?」

「ここではちょっと。それも司法取引の材料にする予定なので」

「そうですか」

 爆発物処理班も到着した。

 殺人犯の男性の言う通りなら、あと二時間で爆発してしまう。

「爆弾はひとつなんですよね?」

「それは真実です。僕、爆弾の知識はそこまで深くないので、一つを完璧に仕上げるので精一杯でした」

 エレクトラムはくうから杖を取り出した。

「わお。かっこいい」

「ありがとうございます」

 次の瞬間、男性の身体は宙に浮き、エレクトラムが作り出した〈箱〉の中に閉じ込められた。

「え?」

「ああ、爆発したら困るので。時限式じゃなく、脱いだ後、警察署内で」

 殺人犯の目が大きく見開かれた。

「どうしてコートの布地の中に爆弾があると?」

「脱がないんですもん。館内の温度があがっても」

「……なるほど」

「死刑が嫌だって言う人が、爆弾を時限式にして、自分を犠牲にするとは思えませんしね」

「それもそうですね。ああ、焦って行動しなければよかったなぁ」

「焦っていたんですか?」

 警察が一斉に館内へとなだれ込んできた。

「恋人が、かつてのクライアントが雇った殺し屋に殺されちゃって。その首が冷蔵庫に入ってたんだよ。口の中に『次はお前』って紙入りで」

「それは残念でしたね」

「まあね。あああ、死刑嫌だなぁ……。えいっ」

 箱の中で男性がなにやらスイッチのようなものを押した。

「……何も起こらない」

「爆弾は冷却させてもらいました。誰かに殺されるくらいなら、プライドごと自分を葬るかもって思って。正解でしたね」

「……このクソガキがぁああ!」

 本性が出たようだ。

 男性はひどく汚い言葉を喚き散らしながら、〈箱〉の中で暴れだした。

 エレクトラムは無視しながら、近くにいた機動隊員に話しかけた。

「このまま警察署まで連れて行った方がいいですか?」

「いえ、拘束具をかけて連れて行きますので、大丈夫ですよ。ご協力、感謝します!」

「じゃぁ、おろしますね」

 エレクトラムは〈箱〉を降ろし、中の五月蠅い生き物を機動隊員に渡した。

 舌を噛まないよう、口に猿轡のようなものを噛まされている。

「はあ、疲れた」

 足から力が抜け、床に座り込んでしまった。

 心配そうに階段の上からのぞいていた四月朔日が一目散に駆け寄ってきて、「今日はもうみんな帰ろう!」と、号令をかけながら、エレクトラムに手を差し出した。

「明日も休館にしちゃう?」

「いえ、働きたいです」

「でも、これから鑑識が入るだろうなぁ」

「掃除、大変そうですね」

「そうだね。あはは」

 これから、館内にいた人全員が病院へと運ばれ、検査をされるという。

 特にけがなどはしていないが、規則なのだそうだ。

 そのあと、事情聴取やら現場検証で何時間もかかるらしい。

 エレクトラムは休憩室へ戻り、上着を着ながらため息をついた。

 「平和な日常って、どんなだっけ?」と。

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