弐:彼岸花

「今日も寒いなぁ」

 本日もいつものように酔っぱらいを撃退し、館内に戻ると、驚愕の表情を浮かべた男性が近づいてきた。

「あの、魔法使いなんですか⁉」

「そ、そうです」

「廊下の窓から見てました! すごいですね! 僕、初めてです。魔法使いさんに会うの」

「ああ……、そうですよね。もうほとんど日本には住んでいませんからね」

「あの、どうして魔法使いの数が減ってしまったんですか?」

「あ……。それはですね……」

 エレクトラムが困っていると、アルバイトで来ている古代中国史専攻の大学院生、松江 亮まつえ りょうが近づいてきた。

「お客様、私が代わりにご説明しますね。もしよろしければ、館内を巡りながらどうですか?」

「あ、お願いします!」

 松江はエレクトラムにウィンクすると、来館者の男性を連れて行ってくれた。

「はあ……、助かった」

 魔法使い、もとい、魔女族が日本を含めて先進国から撤退した理由は、少々話しづらい。

 なぜなら、その理由が『人間と魔法族が起こした戦争で、大量の仲間を失った過去があるから』だからだ。

 古来より、人間と魔法族は争ったり手を組んだりしてきた。

 およそ八十年前に起きた第二次世界大戦。各国の魔法族は住んでいる国の人間たちと手を組み、戦争を激化させた。

 科学技術のぶつかりあいだけでも悲惨なのに、そこに魔力を介入させ、もっとも戦闘が激しかったアトランティスは大陸ごと壊滅。

 文字通り、破壊しつくされてしまった。その結果、地図からも、地球からも消滅した。

 アトランティスには、水棲幻想種族と共に、多くの魔女族が住んでいたのに。

 魔女族はその光景に絶句した。怒りと悲しみを通り越し、世界に絶望したのだ。

 もう二度と戦火など見たくないと強く心に刻んだ魔女族は、種族生誕の地、九人の巫女ガリゼナエが護りし聖域であるアヴァロン島へと帰り、他の地域に住むことを諦めてしまった。

 ラブラドル家も例外ではなかった。

 ただ、エレクトラムは日本に来て、しばらくはここに住むことを選んだ。

 日本は父と母が何度も旅行に来た思い出の地。

 幼い頃から幾度も聞かされてきた。

 「あなたの遠い遠いご先祖様は、日本で暮らしていたのよ」と。

(お父さんもお母さんも元気かなぁ……。手紙だと健康状態まではわからないし)

 アヴァロン島には当然インターネットなんてものはない。

 スマホという便利なものも、役には立たない。

「今度、里帰りしよ」

 エレクトラムは二階に行こうと階段を上り始めると、後ろから「すみません」と声をかけられた。

 振り向くと、そこに立っていたのは見知った顔だった。

「お、お母さん⁉ お父さん⁉」

 エレクトラムと同じ艶やかな黒髪に琥珀色の瞳の母と、ロマンスグレーに整えられた髪にルビーのような赤い瞳を持つ父。

 手紙に書いてあった通り、たしかにとても元気そうだ。

「来ちゃった」

「さっきオーナーさんにも挨拶させてもらって、珈琲ごちそうになっちゃったよ」

「え、え、ど、どうして?」

「マグノリアが安定期に入ったから、里帰り出産しに来る前に旅行に行っておこうと思って来たの」

「あ、お姉ちゃんもうそんなに経ったんだ」

「そうよぉ」

「エリーはもっと実家に帰っておいで。ラウルスが寂しがってるぞ」

「お兄ちゃんには婚活頑張ってって伝えておいて」

「おいおい」

 姉のマグノリアと兄のラウルスは二卵性の双子で、エレクトラムの六歳上。二人は瞳が父と同じで赤く、見た目はそこそこ似ているのだが、性格はまったく似ていない。

 例えば恋愛でいうとラウルスはいつも「いい人なんだけどね」と言われてふられるのに対し、マグノリアは狙った獲物は物理的に仕留めるというタイプだ。

「どこに泊まってるの?」

「近くのホテルよ」

「近くって……、高級なところしかないけど」

「だって子供を三人も育て終わったのよ? ご褒美に贅沢したいじゃないの。これからは孫のお世話も待ってるしね」

「まぁ、それもそうか。何日くらい滞在するの?」

「一ヶ月」

「え、一ヶ月も⁉」

「もちろん。毎週土曜日は迎えに行くから一緒にランチしましょうね」

「え、え」

「じゃぁ、夜の博物館楽しませてもらうわね」

「え、ちょ」

 二人は嬉しそうに微笑みながら腕を絡ませ、絵画の展示室へ向かって歩いて行ってしまった。

 階段に残されたエレクトラムは「一ヶ月……」と放心したようにつぶやき、二階へと向かっていった。

 まさか頭に思い描いていた家族が目の前に現れるなど、まるで魔法のようだ。

 それと同時に、やはり少し嬉しくもなった。

(素敵なカフェにでも案内してあげようかな)

 エレクトラムは両親をどうもてなすか考えながら武器防具の展示室に入ると、そこには思いつめた表情の男性がいた。

 男性が眺めているのは一振りの脇差。

 そっと近づき、チラシを渡した。

「今度の水曜日、カウンセリングの体験会があるんです。もしよければ参加してください。お時間ありましたら、喫茶店の珈琲とっても美味しいので、飲んでいってくださいね」

「……どうも」

 男性はチラシを見つめ、小さくため息をついた。

 エレクトラムはゆっくりと歩き、廊下へと出た。

 男性が見ていたのは、悲しい伝説のある脇差。

 所有者だった男性が、龍神の住まう湖に赴き、「弟の病を治してくれ。その代わりに、私の命を捧げよう」と、自ら命を絶つのに使った脇差だ。

 いつもはあまり深く考えないようにするのだが、今日は両親に会ったことで、エレクトラムは家族に関する悩みに少し敏感になっているようだ。

(あの男性はどっちで悩んでいるんだろう。助けたいのか、それとも、助けてもらった罪悪感にさいなまれているのか……)

 ほとんど魔法というものが失われつつある世界でも、人の〈念〉がもたらすのろいといった類は、いつの時代でも廃れることなく残っている。

 その力は人々が思っているよりも強く、時にとんでもない願いに対してその効力を発揮することがある。

 エレクトラムが考え事をしていると、そのそばを先ほどの男性が通った。

 背筋が凍るほどの寒気。ゾッとした。

 ひどく歪んだ笑顔を浮かべる彼の背に、別の〈顔〉がついていたからだ。

 もちろん、普通の人には見ることが出来ない、〈顔〉。

 彼は助けようとしたのでも、助けてもらったのでもなく、自分の身代わりに兄弟をのろい殺したのだ。

 彼の背についている〈顔〉は、落ち窪んだ目からドロドロとした涙を流しながら「タスケテ……」と言い続けている。

 エレクトラムは魔法使いだ。助ける力はある。

 しかし、もしあの〈顔〉を救えば、きっと男性は死ぬだろう。

 彼の命は自分が兄弟にかけたのろいで成り立っているのだから。

 いくら法律で魔法の使用が制限されていないとはいっても、人殺しは出来ない。殺人は違法だし、そもそもそんな気はない。たとえ相手がすでに人を殺していたとしても。

「視えているんですよねぇ? お兄さんには」

 男性が突如振り向き、エレクトラムに話しかけてきた。

「……はい。あの……」

「ふふふ。ここ、〈二十一時の博物館〉に魔法使いがいるっていうのは本当だったんですねぇ」

 男性は一歩ずつエレクトラムに近づくと、邪悪な笑みをひっこめ、優しく微笑んだ。

「おすすめの展示物とかありますか?」

 エレクトラムは思った。

 自分にできないのなら、何か別の力を使うしかない、と。

「では、ご案内します」

 階段を降り、エレクトラムが男性を連れて来たのは東洋絵画の展示室。

 その中でも、一際異彩を放つ真っ赤な彼岸花畑が描かれた絵の前に、男性に立ってもらった。

「とてもおどろおどろしくて綺麗ですね」

「ええ。つい魅入ってしまう不思議な魅力がある絵なんです。とても人気があるんですよ」

 エレクトラムは周囲に他の人がいないことを確認し、そっと結界に穴をあけた。

 すると、隣に立っている男性の顔が見る見るうちに青ざめてきた。

「……なんか気分が悪くなってきたので帰ります……」

 男性の顔は骨のように白く、息が少し荒くなっている。

「タクシー呼びましょうか?」

「いえ、結構です……」

 男性は咳をしながら気だるそうに歩き、外へと出ていった。

 エレクトラムは結界の穴を縫い合わせ、修繕し、ほっと溜息をついた。

 振り向いて、絵に視線を移す。

 すると、絵の中に彼岸花の蕾が一つ、増えていた。

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