第4話 それなり

 井伊先生の総評は最初に全体的なことを説明し、個別に呼び出すというスタイルだ。多少の時間はかかるが、彼女の教育精神がおざなりを許さなかった。


 俺も呼び出された。一つ前の万能ばんのう小夜が猫背になってただでさえ小柄な体を丸めていたから、俺まで叱られるのではと足取りが重くなる。


 八畳ほどの会議室で井伊先生は待っている。そこが彼女の城であり、まるで私室のように物が多く、その中には教本に混ざって小説や漫画もある。文句をいうものがいないのは、やはり昔とった杵柄が今もなお燦然ときらめいているからだろう。

 扉には「おります」とプレートがかけられている。その前に立って、


「失礼します。氷澄です」


 と、声をかけると、不機嫌に入れと声がする。


「座れ」


 目の前の丸椅子は年季が入っている。事務机には乱雑にファイルが積み重なり、特に綺麗好きではない俺でも片付けたくなる有様だ。


「前にも言ったと思うが」


 先ほどの演習のメモだろうか、手帳を眺めながらペンを回す。しかしすぐにパタンと閉じた。


「あまり鎧を壊すな。あれで貴重なんだぞ」


 演習中に魂鎧の腕を切ったことだ。「あれで」とはいくら型落ちといえども訓練と出動をこなさなくてはいけない大切な装備ということであり、物資とはいくらあっても困ることはなく、それを壊してしまっては単純に戦力の減少を意味する。


「間宮と横島は医務室でまだ寝ている。五感をリンクしているのだから、あいつらは腕をもがれて、腹が裂かれたのと同じだぞ」


 それがいくさじゃないのか。とは思うのだが、言葉を飲み込んで頭を下げた。


「同僚であるし、クラスメイトだろう。加減をしろとは言わないが、やりすぎだ」

「ですが、ああしなければ立場は逆でした」

「——これだから教育はわからない」


 先生は頭をかいた。クセのない真っ直ぐな髪の毛がわずかに乱れた。


「お前のしていることは正しく、国際法のどこにも戦闘中に敵の腹や腕を切るなとは書かれていない。なんのルールにも抵触していない。だがここは一応教育の場で、倫理や道徳を教えることも求められている」


 先生は少し俯き、私だって、と唇が動いた気がした。


「……以後、気をつけます」

「そうだといいんだがな」


 暗い影を吹き飛ばすように、彼女は足を組んで机の上に乗せた。


「幸いにも奴らの傷は浅い。縁生がリンクを切ったおかげで致命傷にはならなかった」


 一切の後悔はないが、どこかにホッとする自分もいた。


「お前はやりすぎるところがある。お前の縁生はそのことについて、どう思っている」

『別に。勝手にすればって感じ』


 縁生の個性は顕現した時には決まっているらしいが、それでも所持者と馴染むうちに変わる。そこは人と人との繋がりと同じだ。


「注意は受けます」


 コノミコの言葉をそのまま伝えることはできなかった。このひねくれ者は戦闘時になると的確なのだが、基本的に素直じゃない。


「仲良くしろよ。間違ったことは言わないはずだから、たまには忠告を聞いてやれ」

『井伊ちゃんってイイこと言うよな』


 上手いこと言ったつもりなのか、笑っている。


 ものを壊すな。しかし戦え。そんな矛盾を先生自身も納得していないのだろう。


 このマンツーマンの総括はいつも似たような言葉で終わる。


「殺されずに殺す。それと生きて、生かす。それができるやつが強いんだ」


 これが井伊春子という元軍人の教師が考える、俺への教えなのだ。


「まあそれなりだよ。お前は」


 最後にそんなことを言われるのもいつもと同じ。そのあとは自由に下校となる。クラスメイトたちは射撃場にこもったり、鎧の整備をしたり、街へ出たりと、思い思いの放課後を過ごす。

 薄い鞄を肩にかけると、東風が俺の背中を叩いた。


「お疲れ。ねえ、駅前にできたお店に行ってみない?」

「何の店だ」

「携行武器だよ」


 戦争を舞台に見立てた時の花形は魂鎧だが、黒子は生身の人間である。潜入や諜報は人力であり、護身用の武器の携帯は必須である。ナイフや小口径の銃などが定番であり、学生といえども危険に身をおいているため武器は貸与されるが、それが気に入らなければ買うしかない。


 東風がいっているのはそういう武器だ。俺も貸与物だが、ナイフを二本と拳銃を常に持ち歩いている。


「金はあるのか?」

「給料が入ったじゃん」


 月に出る固定給と、出動した際の撃墜報酬から消耗品の弾丸や壊した魂鎧の修繕費の一部などを引いた額が軍から支払われる。東風はそれなりに稼いでいた。


 訓練では壊すなと叱られるが、実戦ではそれが褒められる。俺だってちょっとは稼いでいるが、訓練での修繕費でとんとんなのだ。


「まあまあ。行ってみよ。見るだけでも楽しいからさ」


 彼女は押しが強く、それに流されてばかりいる。俺たちの関係とはずっとそうなのだ。

 新装開店ということもあり、店内はこれでもかと賑わっていた。ガラスケースの中には黒光りする銃が並び、少し離れると白くまぶしい刃物が揃っている。


「あ! あのモデルいいね」


 お気に入りのメーカーを見つけはしゃぐ東風は、まるで子犬のようだ。きゃんきゃんと騒ぐ姿には愛嬌がある。

 結局は冷やかしだけで店を出ると、いつのまにか日が暮れかけている。夏の日の長さに惑わされ、昔は家に帰るのが遅くなってじいちゃんにこっぴどく叱られたっけ。


 そんなことを思い出すと芋づる式にあの少女のことが脳裏に蘇る。

 若松虎帯のことだ。ことあるごとに彼女は頻繁に遊びに誘ってきた。




「暇でしょう? 付き合いなさい」


 どうやって俺の家を知ったのか、早朝に呼び鈴を鳴らして俺を誘った。祖父は彼女からどう説明されたのか、何も言わずにそれを許した。

 当時、会津には大きな戦備工場があり、魂鎧を生産する施設に連れて行かれた。居並ぶ鎧に圧倒されたのは言うまでもない。

 油と鉄の匂いと、朝から大勢で作業をする光景は、もしかすれば整備士としての道を志してもおかしくないほど格好良く見えた。

 だが俺はパイロットとしてここにいる。


「あれに乗って戦うのよ」


 記憶の少女はそう言った。うっとりとした顔で、その鋼武者たちの虜だった。


「戦争に出るの?」


 そう聞くと、彼女は当然のように頷いた。


「そりゃあ出るでしょう。あなたもね」

「俺が? 嫌だよ」

「どうして」


 すでに両親は亡くなっている。どこかの戦場で散ったのだ。祖父はそれに嘆き、怒り、俺を戦争から遠ざけようとした。

 薄々それに気がついていたし、争いごとも好きではなかったから、この少しだけ仲良くなれた少女が俺に戦わせようとしたことがとても嫌だった。


「死んじゃうから。俺が死んだら、じいちゃんが一人になっちゃう」


 おぼろげだが、俺はそう言ったと思う。この答えに彼女は笑った。同年代のはずだったが、とても大人びていた。


「そうね。死んでしまったら悲しむ人もいるわ。あなたの場合、お爺様と、私。でもね、戦争には出ないといけないわ。それが私たちの役割なのだから」

「どういうこと」

「そのうちわかるわよ」


 彼女との工場見学は楽しかった。疑問を持つと詳しく教えてくれたし、昼食だって豪華だった。彼女はしゃべりもうまく、俺はその日、ずっと楽しかった。

 しかし、彼女のいう役割については何もわからなかった。その話題に触れないように誘導されていたのかもしれない。

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