第3話 女子大生に打ち明ける

 



「お願いします」

「あぁ、まずさ? 結論から言うと、俺は今日会社クビなったんだ」


 女の子の表情は変わらない。まぁでも、何となく察しはついていたんだろう。

 だから……俺は少し顔を伏せながらだけど、ここぞとばかりにぶちまけた。




 あの会社で働き始めて約8年。慣れない営業の仕事にも必死に食らいついて来た。

 始業の1時間前には到着して、毎日終電に帰る。休みの日曜日だって、社用の携帯が鳴ればすぐに対応した。


 そりゃ最初は色々思うところはあったよ。けど、決して口にはしなかった。

 あのバカ部長の無理難題にも全力で応えて、怒鳴られれば謝り。こなして当然と言われれば更に努力をした。


 あのクソ先輩は入りたての頃、俺の面倒をよく見てくれたよ。

 再就職して、経験のない職種だから不安があった。だからこそ、親しく何でも教えてくれる先輩の存在は大きくて、その恩義が忘れられなかったんだ。

 先輩の頼みならと……自分の成績の一部を誤魔化し、俺の契約を先輩の契約として報告もした。月のノルマギリギリだったら給料も下がる事はなかったし、俺はそれで十分だったんだよ。

 ギリギリなのを皆の前で怒鳴られ、毎月トップで崇められる先輩を見ても俺は良かったんだ。


 けど……


『おぉい! 君島ぁ! てめぇ○×コーポレーションの契約更新忘れてんじゃねぇよ!』


 今日の出来事は、あまりにも理不尽だった。

 厳しい営業スケジュールをこなして戻って来た俺に、開口一番部長の檄が飛んだ。


 最初は意味が分からなかったよ。だって○×コーポレーションの担当は先輩だから。

 もちろん俺だって言ったさ。


『えっ? いや○×コーポレーションの担当は先輩じゃ』

『ったく何言ってんだよ! 他の所と被ったから、お前に頼んだじゃないか。二つ返事でOKしただろうよっ!』

『はっ?』

『ふざけんなよ? 先方はブチギレ。契約切れたらどうするつもりだ! エースの足引っ張ってんじゃねぇよ屑っ!』


 けど、それはバカ部長……いや、社内の皆からしたら、ただの戯言にしか過ぎなかったんだ。


 その実態はどうであれ、営業部のエースとノルマギリギリのお荷物。どちらの言う事が正しいかは一目瞭然。


『部長。とりあえず明日朝一で行ってきます』

『おぉ、頼んだ』

『じゃっ、じゃあ俺も……』


『お前は来るな!』

『えっ……』


『なあ屑。お前分かってんのか? ○×コーポレーションは大手取引先だぞ? お前なんて行ってもなんにもならないんだよ。だからお前は来なくても良い。と言うより、明日からここへも来なくていいからな』

『なっ、なんでですか……』


『信頼関係を取り戻すには、途方もない時間と金が必要だ。それこそお前の給料何十年分も掛かる。その責任取れよ?』

『せっ、責任って……』


『お前んな事も分かんねぇのか? いいか、お前の様なお荷物が1人居なければ、余計な給料も減る。つまり会社の被害は最小限で済むんだよっ!』

『居なければって、そんな……』

『むしろ今まで支払った分も返して欲しいくらいだがなっ! あとよぉ、それだけじゃねぇぞ? お前、発注数間違えただろ? 誤発注どころじゃねぇ』


 そして突き出されたのは、俺の名前で届け出した発注書だった。確かに事務へ発注の依頼はした。けど、その個数は1,000個。にも関わらず、目の前のそれには1,000,000個と言うあり得ない数字が書かれていた。


『えっ……そんなっ! 違います! おっ、俺が書いたのはせん……』

『言い訳が過ぎるんだよっ! 事務の美浜みはまが気が付かなかったら大変な事になっていたんだぞ?』


 事務の美浜……その名前には覚えがあった。というより、余りにも馴染みがあり過ぎた。美浜蘭子みはまらんこなんせ付き合って5年目で同棲もしている彼女だったんだ。

 そして、俺がその発注書を渡したのも美浜。


『なっ、何かの間違いです!』

『契約のすっぽかしに、誤発注。弛んでるにも程がある。そもそも、前からお前の能力の低さにはガッカリしてたんだ。成績もギリギリ現状維持。会社の発展の役に立ってないんだよ。あぁ、この件は社長他上層部にもに報告済みだ。そしたらな? 満場一致だったよ』



『お前はクビだ。明日から来なくても良いよ』



 それからの事は良く覚えてない。机の物を片付けて……ロッカーも整理して……会社を出た時までは全く。

 けど、ぼんやり歩いていた時、後ろから先輩の声が聞こえたんだ。最後の挨拶かと思って、振り向いたら案の定先輩は居た。美浜の肩を抱き寄せて。


『えっ……』

『残念だったな君島。流石に庇いきれなかったよ。まぁ、残念だ』

『ホント、全然ダメねぇ』


『なっ、何言ってんですか! 俺先輩からは何も聞いてません!』

『おぉ~怖っ。責任転嫁ってやつ? みっともないねぇ。なぁ蘭子』

『ほんっとサイテー』


『らっ、蘭子! そういえばあの発注書、俺は確かに1,000個で渡したよな?』

『えぇ~? 知らないわよ?』


『はっ?』

『私が見た時、個数は1,000,000個。ちゃんと書いた? 字が汚いんじゃない? てか、むしろ発見した私に感謝してもらいたいぐらいなんだけど?』

『そうそう。蘭子のおかげで、会社は救われたんだぞ?』


『なっ……何言ってんだよ』

『なにだって? 笑えるわ』

『ねっ? どんくさいでしょ?』


『そんなんだから、私に愛想尽かされるんだって。やっぱり将来性が見込めない訳だ』

『だろ? 蘭子。お前なんかより、有能で将来幹部候補の俺の方が良いんだってよ?』


 その言葉と2人の雰囲気で……あの不可解な事の辻褄が当てはまった。


 こいつらは、いつからかは知らないけどそう言う関係なんだ。どうせ、先輩のプッシュに美浜が堕ちたんだろう。要は俺は負け犬。寝取られた屑って訳だ。


 そして今日の騒動。

 事務の美浜に渡した発注書の数字がおかしい。

 ○×コーポレーションの○の字さえ、まったく聞かされていなかった契約更新の代理出席。


 そこまでして、俺が邪魔だったのか。俺を辞めさせたかったのか。


『俺達の関係にも気付いてなかったみたいだしな』

『ねっ? 自分の家に他の男が来てるのも、ベッドで何回もしてるのにも気付いてないんだって』

『『はははははっ』』


 怒りより、やるせない気持ちでいっぱいで……2人を背にしたんだ。




「耳障りな声が頭の中に響きながら……俺は歩き続けた。あんな話を聞いた後じゃ、アパートにだって帰れないし、あいつらが致した空間になんて足を踏み入れたくない。だから電車にも乗らずただただ歩き続けてさ? 、目に入ったコンビニでありったけのビールを買って……あの公園で酒を呷ってた」


 俺は全てを言い終えると、ゆっくりと視線を上げた。


 ははっ、けどだらしないよな。良い大人が弱音を吐くなんて、滑稽だろうな。さぁどんな顔してる? 多分笑ってるんだろうな。


「なるほど」


 けど、女の子の表情は変わって居なかった。いや、むしろさっきよりも険しいようにも見える。

 想定外の様子に、俺自身少し戸惑いを隠せない。

 ただ、自分に遠慮して居る可能性もあり得る。そこまで年下の女の子に気を遣われるのもあれだ。


「ははっ、笑えるだろ?」

「本気で言ってます?」


 そう言いながら俺を見つめる女の子。それは余りにも真っすぐで……強く感じる。


「いっ、いや。でも大の大人がさ、こんな事で自棄酒ってダサいだろ? 挙句の果てに君の家にお邪魔してさ」

「大人も人間です。それに年上になればなるほど、その立場上受ける代償も大きくなると思いますよ? だからダサくはないです」


 なっ、なんだよこの子……


「正直、私は今聞いた君島さんの話だけしか知りません。だから、もしかしたら嘘言ってたり、誇張してる可能性もあります」


 それはごもっともだ。


「確かに。全部俺からの一方通行な内容だからな」

「けど……君島さんが嘘を言ってるようには感じません」


「その根拠は?」

「勘です」


 勘って……その自信は一体どこから。いや俺は有り難いけど、君的には後悔とかないの?


「勘って……もし嘘だったら?」

「嘘なんですか?」


「いや、違うけど」

「だったら良いじゃないですか。私が信じるって言ってるんですから。それに、君島さんに声を掛けた時点で……その位のリスクは承知の上だと思いません?」

「そりゃそうだけど……」


 そう言いながら、女の子はわざとらしく首をかしげて見せる。

 正直、良く分からない子だ。けど、不思議と何処か……落ち着かせてくれる雰囲気を感じる。それにマジマジと見ると、その髪色は少し茶髪っぽいな? 今のご時世大学生が髪染めるのは当たり前だけど、なんだろう? どこかで見た事のあるような……


「どうかしたんですか?」


 っと、ヤバいヤバい。ジッと見てるだなんて、それこそ変態おっさんじゃないか。けど、誰かは分からないけど、聞いてもらったらどこか胸がスッキリしたな。

 まぁこんなの誰にも言えない。かといって、このまま言いようがない怒りややるせなさを腹の中で溜め込んでたらどうなってたか分からない。そう考えると……理由はどうであれ女の子には感謝しないと。


「いや何でもない。けどありがとう。なんか話したらスッキリしたよ」

「……そう言って貰えると嬉しい限りです」

「じゃあ、気持ちも落ち着いたし……俺はこれで失礼するよ」


 さて、お礼も言ったし。おっさんは帰ろうかな。


「何言ってるんですか?」


 お礼を言いながら、何気なく立ち上がろうとした俺。ただ、そんな俺を見る女の子は……何とも腑に落ちないような表情を浮かべている。それはまるでその言葉通り【何言ってんだ? このおっさん】といった表情。

 それが目に入った瞬間、反射的に俺は動くのを止めてしまった。


 えっ? そちらこそ何言ってるんですか?


「えっと……」

「この時間にそんな状態で帰れるわけないないと思いますけど?」


「いやいや、酔いも醒めてきたし大丈夫……」

「あの、一部の酒豪を除いて500mlのビール10本以上飲んでたら、大丈夫とは言えないと思います。それに、最初に言ったじゃないですか。目に入った人が何かしらの事件に巻き込まれたり、巻き込んだりするのは後味悪いんです」


 たっ、確かに言ってたけどさ? 


「けどさ? やっぱ常識的に考えて……」

「何回言わせるんですか。そういう男性は嫌われますよ?」


 ぐっ! その言葉……なぜか心にグサッと来たんですけど!? 


「それはそうとして、現実的な事考えてみなよ? もし寝てる間に俺に襲われたらどうする? 金品漁って逃げたら? 君の事縛って誘拐とか! それこそ最悪な事もする可能性だってあるだろ?」

「それもさっき言いました。声掛けた時から覚悟してますって」


「いっ、いやぁ……」

「襲われても、別に死ぬわけじゃないしどうって事ないです。お金取られても、自分が招いたんだから仕方ないですし、そもそも自分の見る目のなさを恥じます。最悪な事態になっても、結局は自分の選んだことなので悔いはないですよ? それに……」


「それに?」

「ここのマンションって、結構警備厳重なんですよね? 廊下から階段、エレベーターは勿論エントランスに玄関までカメラ付いてるんです。あと、最寄りの駅まで等間隔でカメラ設置されてますし。だから、逃げても明日には捕まると思いますよ?」


 まっ、マジか……俺の場合既に顔はバッチリって訳か。にしても、肝座りすぎだろこの子。


「なっ、なるほど……」

「だから、私の言いたい事分かりますよね?」


 何されても問題ない。俺に声を掛けた時点でそいうのは織り込み済み。それに何かしようとしても、監視の目はキツイ。それでも出来ます? おっさん……って事か。

 それともう1つ。私の申し出を下手に断ったらどうなるか。偽証でもすれば警察のお世話になりますよ? どうしますか? おっさん……か。


 なんだろう。やっぱどっちにしろこの子に従うしかないんじゃないか。

 ……しっ、仕方ないか。


「分かりました。あの、今日1日お世話になっても良いですか?」

「今日1日?」


 えっ? 1日だとマズいのか? えっと……じゃあ……これか?


「暫くお世話になっても良いですか?」

「はい」


 はいって……軽っ! 返事軽っ! まっ、まぁ今は俺もアルコール入ってるし、とりあえず明日になれば何とか誤魔化して帰れるだろう。この子の……ってあれ? そういえば名前聞いてなかったよな?


「あのさ? 今更なんだけど、名前教えて欲しいな」

「あっ、そうですね。すいません。私の名前はえみです」


 えみ? やっぱその容姿とえみって名前……覚えがあるようなないような……あぁ、頭の中がアルコールで満たされて集中できないな。けど、


「えみちゃんか……了解。お世話になるよ」

「こちらこそ。じゃあ、私サッとシャワー浴びてきますね? 時間は掛かりませんから、そのあと掛け布団用意します」


「いや、そこまで……」

「なんですか?」


 とりあえず逆らわない方が良いのは確かだ。


「いっ、いえ! 何でもないです」

「それならいいです。あっ、水とみそ汁は飲んでくださいね? あと、覗くのは良いですけどその後どうなるか……」


「おとなしくお水とお味噌汁頂いてます!」

「良かった。それじゃあ行ってきます」


 そう言うと、えみちゃんはキッチン横のドアの方へと歩き出し、その奥へと消えていった。


 ……ふぅ。とりあえず成り行きでお邪魔する事になっちまったな。一人暮らしの女子大生の家だぞ? 犯罪レベルの事してないか? けど、変に断るとどうなるか知ったこっちゃないしな? 


 まじで肝が据わってるというか、おかしい子というか……でも、おかげで少し気が晴れた。それは事実だ。

 とりあえず、今日はお言葉に甘えて明日の事は明日決めよう。幸い時間はある事だしさ。


 ……あっ、やべっ。尿意が……トイレ借りようかな。ってあれ? 俺トイレの場所聞いてなくないか?

 しかもえみちゃんはもはやシャワー中?


 えっと、あのえみちゃん? 

 早く上がって来てくれ!



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