第8話


「…………え?」


 マーガレットの口から間の抜けた声がこぼれた。

 思わずリコリスが顔を上げると、ぽかんとした表情でマーガレットはロベルトを見ている。


「……え? え?」

「聞こえなかったのか? 嫌だと言ったんだ、この恥知らず」

「ろ、ろべると……?」


 マーガレットは信じられない物を見るような目でロベルトを見つめる。

 周りから甘やかされてきた彼女にとって、こんなにもわかりやすく罵倒されたのは初めての経験だったのだろう。怒りや悲しみよりも、困惑の感情の方が強いようだった。


 そんなマーガレットを、ロベルトは鼻で笑う。


「子どもの頃あれだけ俺を馬鹿にしておいて、よく『私と結婚してちょうだい?』なんて言えたな。気色悪い」

「そ、それはだから、私が子どもだったから……!」

「子どもだったから許せって? 家に招かれたから仕方なく来たのに何時間も放置されて、顔を合わせたら合わせたで、『つまらない』『暗くて気持ち悪い』『ヒューゴの方が良かった』……君と過ごす時間は俺も本当に苦痛だった……」


 そのロベルトの言葉には、その場にいたマーガレット以外の全員が唖然とした。

 マーガレットが家にやってきたロベルトを放置していたことはリコリスも知っていた。

 しかし、まさかロベルト本人に直接そんなことを言っているなんて、夢にも思わなかった。


 礼儀がなっていないどころではない。

 この話を社交界で広められていたら、ウィンター伯爵家は肩身の狭い立場に追い込まれていたことだろう。

 フリーデル侯爵家がいまだにウィンター伯爵家との繋がりを持っていてくれることが不思議なくらいだ。


「ま、マーガレットっ、お前という奴は……っ!」


 父の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返す。

 ここでようやく、母とマーガレットも自分達の旗色が悪いことに気づいたらしい。

 慌てた表情で言い訳を捲し立てはじめる。


「こ、子どもの頃のことは謝るわっ。失礼なことを言ってごめんなさい! あの頃はどうかしてたのよ、きっと!」

「そうね、あの頃のマーガレットは我が儘なところがあって……でも今はそんなことないのよ? 本当はすごく優しい子なの」

「突然『姉の婚約者と結婚したい』なんて言い出す女が、優しい子……?」


 ハッ、とロベルトがマーガレットと母の発言を鼻で笑う。

 母の顔は真っ青で、マーガレットはいまだに現実を受け入れられないのか、目を白黒とさせていた。


「そんな……でも、いつも私にリコリスと同じプレゼントをくれたじゃない……だから、私……」

「だから俺が君を好きだと?」


 ロベルトが蔑むような目でマーガレットを見た。

 下唇を噛んだマーガレットが、ひるみながらも悔しそうに頷く。

 それが自身の思い違いだったことに、マーガレットも薄々気付いてはいるのだろう。

 それでも、自分をよりいっそう惨めな方向に追い込んでしまうのは、彼女がまだ現実を受け入れられていないからなのかもしれない。


 ──ふいに、ロベルトがリコリスの方へと顔を向けた。

 この急展開に呆気に取られていたリコリスは、無言でロベルトと視線を交える。

 すると、さっきまでの冷たい瞳が嘘のように、ロベルトは穏やかな瞳でリコリスを見つめた。


「……君もそう思っていたのか?」

「え?」

「俺が君じゃなくてマーガレットのことを好きだと」

「それは……」


 リコリスは視線を落とす。

 ずっと、考えないようにしていた。目を逸らして、知らないふりをしていた。

 ロベルトのことをマーガレットに取られてしまうのが怖かったから。


「……そうじゃなければいい、と思っていました」

「そうか……不安にさせてすまない」

「いえ、そんな……」

「今までの会話でわかるだろうが、俺はマーガレットのことなんてどうとも思っていない。彼女と結婚するなんて、冗談でもごめんだ」


(なら、どうしてマーガレットに婚約者の私と同じプレゼントを……?)


 困惑がリコリスの顔に出ていたのだろうか。ロベルトはリコリスの疑問を見透かしたように、淡々と答えはじめた。


「君に会いにきた時に、『君が俺にもらった物をすべてマーガレットに奪われている』と、この家のメイドたちが話してるのを偶然聞いたんだ。確かに君は俺の贈り物を身に付けていることが一度もなかったから、確かめなくても本当の話なんだとわかった」

「…………」


 リコリスが肯定も否定もせず黙っていると、父が縋るような目でリコリスを見てきた。

 けれど、どうにもマーガレットを庇う気にはなれない。たとえ、リコリスが『この家の長女』でも。


 ロベルトの視線がまたゆっくりマーガレットへと向けられる。

 その目は氷のように冷たく、鋭かった。


「直接君に注意しようかと思ったが、逆上した君たち家族がリコリスになにをするかわからないからな。結婚できる年齢になるまで家を出れないリコリスのことを考慮して、俺はリコリスが君から俺のプレゼントを奪われない方法を考えた」


 そこで、リコリスはふと気付いた。

 ロベルトがリコリスだけでなくマーガレットにもプレゼントを渡すようになってから、リコリスはマーガレットからプレゼントを奪われることがなくなっていた。

 わざとらしく『私も同じ物をもらったわ』と、自慢しに来ることはあったが、自分の手の中にあるものと同じ物をマーガレットは欲しがらなかった。


「君にリコリスと同じ物を渡せば、強欲で恥知らずな君でも、リコリスの物を奪わないだろうと思った。そしてその予想はあたったわけだ」


 マーガレットの頬がかあっと赤くなる。

 羞恥か、怒りか、そのどちらもか。

 ……しかし、マーガレットが口を開く前に、チッと大きな舌打ちがその場に響く。


「──回りくどい。それでリコリスを守ったつもりか?」


 しばしの間黙っていたヒューゴが、険しい瞳でロベルトを睨んでいた。

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