第6話


 ロベルトはいつも通り無表情だった。

 腕には花束と、プレゼントらしきラッピングされた箱を抱えている。


(どうしてロベルトが……)


 困惑したリコリスとロベルトの視線が交わる。

 ロベルトはリコリスを無言で数秒見つめたあと、スッと視線をヒューゴへと向けた。


「なんのつもりだ、ヒューゴ。お前の婚約者はマーガレットだろう」

「……俺が望んだわけじゃない」

「お前が望んだか望んでないかなんて関係ない。リコリスは俺の婚約者だ。二度と気安く声をかけるな」


 ロベルトが冷やかに言い放ち、ヒューゴはギリッと音がしそうなほど強く奥歯を噛み締める。

 睨み合うふたりの間で、リコリスはおろおろと戸惑った。


 婚約者になった少年と、婚約者になるはずだった少年。

 ふたりの間にはバチバチと見えない火花が飛び散っているようで、一触即発の雰囲気が漂っている。


「あ、あの……」

「行こう、リコリス」

「え?」

「おいッ!」


 リコリスの手を引いて歩き出そうとしたロベルトの手首を捕まえて、ヒューゴが怒りに満ちた目でロベルトを睨んだ。


「離せ。まだ話は終わってない」

「話すことなんてなにもないだろう。お前にとってリコリスは婚約者の姉だ。必要以上に親しくするべきではない」

「そんなのお前にとやかく言われる筋合いないだろッ」

「それはどうだろう……俺の父上とお前の父上が今のお前の言動を知ったら、いったいどう思うだろうか」


 いつも無表情だったロベルトの顔に、微かに小さな笑みが浮かんだ。

 そのロベルトの表情とは対照的に、ヒューゴはグッと言葉に詰まる。


 貴族の子息として、当然いまのヒューゴの言動は褒められたものではない。

 この婚約話がまとまった時点で、テランド伯爵はヒューゴの意思よりも家同士の繋がりを重視しているということは明白だ。


 こうやってヒューゴがリコリスにこだわっていることを知れば、テランド伯爵は良く思わないだろう。もちろん、フリーデル侯爵も。


「──……わ、私がロベルトの方が良いって言ったの」


 ぽつり、とリコリスが言った。

 ロベルトとヒューゴが驚いたようにリコリスを見る。

 リコリスは下を向いて、自身の足先を見下ろした。ヒューゴの顔を見るのが怖かった。


「……私、この家を出たかったから、だから……ヒューゴと結婚して家に残るより、ロベルトと結婚してフリーデル侯爵家に嫁いだほうがいいと思って……」

「リコリス、お前……」


 リコリスが途切れ途切れに紡いだ言葉に、ヒューゴは言葉を失ったようだった。


 短い沈黙が落ちる。

 それから何秒、何分かたったあと──ヒューゴが「……わかった」と低く呟いた。


「お前がそういうなら、もういい」


 ヒューゴの足が踵を返し、静かにリコリスの元から遠ざかっていく。

 リコリスが顔を上げた頃には、ヒューゴの背中は随分離れたところにあった。

 振り返ることなく進んでいくヒューゴを見つめながら、リコリスは無言でその場に立ち尽くす。


 少し前までは笑い合って、お互い結婚するのだと思いあっていた。

 好き合っていたのだと思う、たぶん。


 でも、もうどうにもならない。

 あの日、リコリスがヒューゴと結婚したいと言ってもどうにもならなかったように、諦めなければならないこともある。


 そんなどうにもならないことでヒューゴが責められるなんて、リコリスは嫌だった。

 例え、リコリスがヒューゴに嫌われてしまったとしても、ヒューゴに大変な思いをしてほしくなかった──……。


「泣くくらいなら、嘘なんてつかない方がいい」


 突然かけられた声に、リコリスの肩がびくりとする。

 いっときの間、リコリスはロベルトの存在を忘れてしまっていた。


 リコリスがロベルトの方を見ると同時に、ロベルトからハンカチを差し出される。

 ありがとう……とリコリスはそれを受け取り、濡れた目に軽く押し当てる。


 それから、「あの……」とロベルトに控えめな声をかけた。


「ロベルトはどうして家に……」

「婚約の挨拶に来たんだ。本当はもっと早く来る予定だったが……今日にして良かった」


 無表情だが、ロベルトはどこか満足気だった。

 涙を拭ったリコリスがハンカチを返すと、次は代わりに花束とプレゼントらしき物を手渡される。


「これは……」

「婚約の記念に。受け取ってくれ」

「ありがとう……」


 リコリスはなんともいえない表情で花束とプレゼントを受け取る。

 先ほどのヒューゴとのやりとりを見ていたはずなのに平静としているロベルトがよくわからなかった。


「ロベルト、私は……」

「ヒューゴが好きなんだろ?」


 どうでも良さそうな声と表情で、ロベルトはそう言った。

 リコリスは驚いて俯きかけていた顔を上げる。

 ロベルトの無感情な紫色の瞳が、じっとリコリスを見つめていた。


「でも、どうでもいいことだ。君は俺と婚約した。君は将来俺の妻になる」

「…………」

「不幸にはしない。君を幸せにできるよう、がんばるよ」

「どうして私なんかに、そんな……」

「君が優しいひとだって知ってるから」


 そう言いながらもロベルトは無表情で、リコリスは今ロベルトが言った言葉が本心なのかわからなかった。


 その後ロベルトは、「これを渡しにきただけだから」と言ってすぐに帰っていった。


 部屋に戻ったリコリスがプレゼントの中身を見ると、箱の中には可愛いらしいテディベアが入っていた。

 色々なことがありすぎて辛かったリコリスはそのテディベアを胸に抱いて、少し泣いた。


 ──しかし、それからわずか半日後にそのテディベアはマーガレットに奪われ、あっという間に壊されてしまう。

 だが、母はそれを知っても、マーガレットを叱ったりはしなかった。

 代わりに、リコリスがヒューゴと話していたことを侍女から聞いて、「妹の婚約者に粉をかけるような真似はしないでちょうだいね」と冷たくリコリスに釘を刺した。


 いつもの日常だ。

 ……ただ、もうヒューゴがリコリスの隣で笑ってくれることはない。


 リコリスはただ、自分を本当はどう思っているのかもわからないロベルトと結婚する日を待っていた。待つしかなかった。

 不安や後悔がないわけではない。

 それでも、家族のもとでひとりぼっちで過ごすよりは、自分を不幸にはしないと言ったロベルトの元で暮らす方がずっと幸せだと思った。

 もう少しでそんな日が訪れると思っていた。


 なのに──……

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