後宮の妃の館

 空燕と月鈴。礼儀作法に文字の読み書き、詩歌の暗唱などなど。皇帝や妃としての言動から手振り身振りまで。

 合格をもらうまでにざっと七日間はかかってしまった。


「合格です。もう私が教えることはなにもありませんね」


 秋華ににっこりと笑われてそう告げられたとき、ふたりともぐったりとしてしまっていた。


「……私は寺院での暮らししか知らないが、あなたはそうじゃないだろう。どうして空燕が疲れてるんだ」

「勘弁してくれ。俺だって里帰りは十数年ぶりだ。それにお前さんと違って、俺は兄上のふりをしてやり過ごさなきゃならないんだ。兄上は後宮じゃ人気があったからな。俺の記憶通りだったら、妃たちの中には、本気で兄上を愛しているものだっているだろうさ。俺はその人たちを騙し通さないとならない」


 月鈴の軽口に、空燕が珍しく真面目くさって答えるのに、月鈴は言葉を詰まらせる。それに秋華はクスクスと笑いながら頷いた。


「ええ、泰然様は容姿に加え、文武両道の上に気遣いで、後宮内にいる全ての女性が憧れの眼差しを向けていたと聞き及んでおります。山茶花館にもたびたび顔を出しては支援くださり、その気配りでうちで働いている侍女たちも熱を帯びた目で見てらしたんですから」


 そう秋華が言うと、途端の侍女たちは気まずそうに視線を逸らした。

 秋華の陛下はたったひとりなのだから、主人をないがしろにして他の皇帝陛下にうつつを抜かしていたら気まずいのだろう。

 空燕は顔を引き締めて、秋華に礼を言う。


「なにからなにまでありがとう。それでは、我々も後宮に入る。なにかわかり次第すぐに連絡を入れるから」

「ええ……どうか。これ以上犠牲者が出ませぬように……そして空燕様も、どうぞお気を付けて」

「わかっている」


 こうして、使者が出してくれた馬車にふたりは乗り込み、窓の外を眺めていた。


「私は後宮の事情はよく知らないんだが……あれだけ秋華様は前陛下を愛してらっしゃったが、後宮の妃はそういうものではないのか?」

「後宮で恋愛結婚できるのは、奇跡に等しいことだよ。本来後宮に妃を入れるのは、各諸侯との政治的権限が働いている……有り体に言ってしまえば諸侯が逆らわないようにするための人質だからなあ」

「人質……諸侯と王都が戦を構えている訳ではないのにか?」

「雲仙国の場合は、諸侯と王都が目立って戦を構えた例はこの数年はない。だが、父上……三代前の皇帝だな……は相当な強硬策に及んだと聞いている。そのせいで各方面から恨みを買っていてもおかしくはあるまい。だからこそ、代替わりであまりに弱い皇帝を配した場合、人質を送ってまで王都と穏便にやり取りしたいと思うのかい?」

「……たしかに、弱いと判断されたら、人質を取っても意味をなさないな。使者が今、皇帝の代替わりを行うのがまずいと言っているのはこれが原因か」

「そういうことになる」


 心身が弱い。毒殺に見舞われる。それを外部に知られたらどう思うのか。

 警備がなってないのではないか。人材の管理に穴が空いているのではないか。今の皇族に問題があるのではないか……。

 そんな皇帝に、我の強い諸侯であったら反旗を翻すことだってある。

 だからこそ、空燕を呼び戻して玉座に据えるのは最終手段にし、先に後宮内の捜査をして、原因を取り除かなければならなかったのだろう。


「……しかし、私も秋華様に習った分しか、後宮のことは把握できてないのだが」

「それで充分だ。どのみち、妃同士の交流会は、月に一度行われれば多いほう。全員揃って皇帝と会う催し物は半年に一度なのだから、既に時期はずれている。お前さんには一旦宛がった妃の館に入り、そこから各妃たちの館に入って、捜査を進めて欲しい。俺も昼間は宮廷のほうから調べるから、夜にお前さんの館で落ち合って、内容を報告し合おう」

「わかった」

「それにしても」


 馬車はそろそろ雲仙国の王都、雨桐うとうに入るのだが。

 どうにも据わりの悪さを感じるのだ。

 人々はごくごく普通に行き交いし、商店も建ち並んでいるはずなのだが、王都と呼ぶにはどうにも人がまばらだ。

 せかせか働いていた山茶花館の侍女や彼女たちの指揮をしていた秋華を見ていたのだから、余計に精力がないように見える。


「……精彩に欠けているように見えるんだが、どう思う?」


 空燕の問いに、月鈴は黙って人々を凝視した。方術の巧みはどう答えを出すのかと眺めていたら、彼女は渋い顔をしてみせた。


「三魂七魄は申し分ない。これは、なにかが欠けているというよりも、なにかに脅えているようだ」

「なるほど……だとしたらますます宮廷からも情報を引っこ抜かないとならないようだな」


 そうこうしている間に、白い煌びやかな建物が見えてきた。白い壁面に、朱色の太い柱がよく目立つ。ここが宮廷だろう。

 正門からではなく、こっそりと裏門から入り、それぞれの使者に連れられていく。


「それじゃあ月鈴、後宮は任せる」

「わかっている空燕。あなたも皇帝の影武者の任、全うして欲しい」

「さっさと解決して、兄上に全権返上したいしな」


 そう軽口を飛ばしながら、空燕は宮廷へ、月鈴は後宮へと向かっていったのだった。


****


 後宮の出入り口に立つと、使者はペコリと頭を下げた。


「男である私はここまでです。ここからは宦官かんがんに話を付けておりますので、彼らに頼ってください」

「わかった……なにからなにまでありがとう」


 月鈴が頭を下げると、背筋を伸ばした。

 彼女は生まれた頃から寺院にいて、方術修行をしていた。立派な方士は、仙人に繋がる。彼女は仙女になりたかった。

 使者の言っていた宦官が来るまでの間、月鈴は気を練りながら、辺りを探っていた。

 王都を馬車に乗って進んでいるときから、どうにも違和感を拭いきれなかったのだ。


(宮廷ではあまり表立って方士を擁護してないようだが……それでもたしかにここは守りの結界が張られているようだ)


 人が病めば、妖怪が出る。宮廷などではその妖怪を避けるために方士を呼んで結界を張る習わしがあるはずだし、たしかにここでも方士は仕事をしているようだ。

 だが、結界内が澱んでいるような気がする。妖怪は入れないはずなのに。


(どういうことだ? 妖怪が入り込まないとしたら……方士が入り込んでいる?)


 方士も一枚岩ではない。

 時の皇帝に仕え、国を豊かにする方術を使う者もいれば、月鈴たちの寺院のように、よほどのことがない限りに関与せずに修行をしている者もいる。中には皇帝に取り入って堕落させ、国を滅ぼすような者だっているのだ。

 なにもわかりやすく結界を壊さずとも、心身を乱す術はいくらでもある。


(後宮内に入って、方士を捜し出すしかないか……しかし、ちょっとやそっとの方法で見つかるのか?)


 後宮内の妃たちは、諸侯たちの子女だろうが、彼女たちに仕えている宮女たちは全員が全員身元が確かな訳ではない。人手不足になれば、宮女狩りにより問答無用で女が狩られて後宮に押し込められることだってある。その場合は見栄えだけを考え、出自がはっきりしないものだって混ざっているのだから、月鈴もどうにか人数を絞って捜査する方法を考えなくてはならない。

 彼女がひとり眉間に皺を寄せて考えている中。


「もし。陛下の新しい妃の月鈴様ですか?」


 掠れた声で、鼻から通る心地のいい響き。一瞬男か女かわからなかった。


「はい」

「これはこれは。ご案内することとなりました、宦官の浩宇こううと申します。どうぞよろしくお願いしますね」


 そうたおやかに声をかけてくれた宦官を見て、月鈴は戸惑った。

 元々後宮は皇帝陛下のために確実に世継ぎが生まれるように整えられた場所だ。そこで問題が起こってはいけないと、女性以外で働いているのは去勢された男性であり、それを宦官と呼ぶ。

 そして宦官の中には去勢された結果なのか、それとも元の見目がよかったのか、男とも女とも取れない危うい美貌を持つ者が出てくる場合が多いと聞く。

 この浩宇と名乗る宦官もまた、美しいかんばせの人であった。


(日頃から空燕みたいな男しか見ていなかったけど、線が細くて頼りない……でもこの人は方士ではなさそうだ。動きが明らかに文官で、隙だらけだもの)


 月鈴はそう分析してから、礼をする。


「こちらこそよろしく頼む」


 浩宇に案内され、進んでいった。


「事情は使者より仰せつかっております……宮女はこちらから口の硬い者を選んで館に寄越しますが……後宮内は陛下が倒れたことに加えて、少々問題が起こっていて」

「陛下以外で?」


 それは聞き捨てならない話であり、月鈴はピクンと眉を持ち上げる。


「はい……妃様たちには害が及んでいないのですが、宮女で行方をくらます者たちが増えてきていて、それに脅えた者たちの訴えが続いております。陛下のこともございましたから、後宮内に怪しいまじないが流行りはじめて、その対処に追われております」

「怪しいまじないとは?」

「大昔のものですね。辟邪へきじゃのお守りだと、変な模様の描かれた物を持ち出すものだから、怪しげな呪文を唱え出す者まで現れて……いったいどこから流行りはじめたのか、混沌としていて詳細が掴めないのです」


 さすがにそこまでは使者から聞いてはおらず、月鈴は閉口する。


(人は恐慌状態に陥ると、藁にもすがる思いで怪しげなことに走る……これは誰かが先導していないか? 後宮を管理している宦官すら対処しきれてないってことは、相当の数が先導されてしまっている)


 考え込んでいる間に、屋敷が見えてきた。

 小ぶりな屋敷は、山茶花館に比べればずいぶんと小さい。妃の中でも下位の者に宛がうところなのだろう。


「急でしたので、一番小ぶりなところになりまして申し訳ございません……」

「いいえ。大き過ぎると手持ち無沙汰になるから、これくらいがちょうどいい。それと人を宛がうときに服を頼んでいいか?」

「服……ですか?」

「できれば宮女の服が欲しい」


 浩宇は綺麗なかんばせに、なんとも言えない苦々しい表情を浮かべていた。

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