第15話 新たな取引先

 ジェーンがコウリンのスクーターで近くまで連れてきた研究所は『カブラギ新素材研究所』と看板を掲げる3階建てのアパートメントだった。

 場所はネオ新宿のカブキ町から1本逸れた通りで現代ではカブキ町勤務のキャバ嬢やホストのアパートが乱立するエリアだ。階段や室外機を椅子代わりに昼間から酒と煙草の匂いを漂わせた者たちが多い。

 簡単に言えば子供が寄り付いてはいけないエリアだ。


「そういやレズビアンSM女王だっけか」

「そうそう。あ、素材研究者だけど機械全般に詳しいからこの辺で機械に困った時の駆け込み寺にも成ってるよ」

「マジか。闇医者とは言わないけどそんな雰囲気だな」

「おおっ、言えてるかも。ちなみにこの辺の人たちが変態所長って言ったらカレン先生の事ね」


 カレンという名は聞いた事が無いが周囲の怪しい雰囲気の者たちはジェーンを警戒している。コウリンへ同情的な視線が集まっている事も合わせると過去に何か有ったらしい。


「おい、何したんだ?」

「私の事買いたいって言った人にちょっとやり返したらこうなっちゃった」


 腰を曲げて頭と腰に手を当てセクシーポーズを取るジェーンだが周囲が一斉に引いた。

 それを見てコウリンの目が細く成る。周囲を見渡し壁に人間大の穴が複数開いているのを確認した。


「ちょっと、か?」

「私に触って良い人は私が選ぶの。さ、行こう行こう」


 初対面の時に問答無用で掴み上げられた事を思い出しつつコウリンはジェーンに続いて扉を潜った。

 一般的なアパートメントと同様に鉄筋コンクリート製の建物だ。古い建物らしく壁に細いヒビが無数に走っており、マシンガンが使われたのか連続した弾痕まで有る。弾痕の方は1年経っているように見えなかった。


「さ、流石はカブキ町」

「カレン先生相手に無謀な人たちだねぇ。下手に捕まったら麻酔無しで皮剥がれちゃうのに」

「……はい?」


 扉を抜けると階段か1階の部屋への扉かに繋がっているのだがジェーンは迷わず階段を登り始めた。


「新素材研究って言ったでしょ。人間を素材にした研究は数が少ないし研究結果が秘匿されてる事が多いからやり甲斐が有るんだって」

「よくここを駆け込み寺にできるな」

「背に腹は代えられないんだよ。生きる為なら少しの恐怖は飲み込まないと」


 全身機械少女は言う事が違った。


 2階に登ればアパートらしく廊下が奥に続いているが部屋の扉は鋼板で雑に封鎖されていた。

 唯一塞がれていない扉は階段の正面でジェーンはノックも無く扉を開く。


「こんちは~。新素材耐久試験に来ました~」


 外観は安物な鉄筋コンクリートだったが室内は3階まで吹き抜けで真っ白な壁が上から張り付けられていた。

 研究所など映画やドラマでしか見た事がないコウリンだがこの研究所はそのイメージのままだ。

 そんな研究所の中には背が高く化粧気が強い白衣の女とタブレットを持った白衣の美少年が居た。


「あらジェンちゃんいらっしゃい! 今回もよろ……どこのどいつかしらそのクソガキは?」

「何でお前の関係者って俺に当たり強いの?」

「ふふーん。私愛されてるから」

「そうっ! その通り! だからそんなジェンちゃんの隣に居るクソ虫はぁ、全員殺す。丁度人間の皮膚の素材が足りなくなってたの。皮膚改造はしていないみたいだし、全身漏れなく使えるじゃないもう最高っ!」

「初対面で研究素材扱いされるのは初めてだ」

「大丈夫、裏家業じゃこんな人ばかりだよ」

「何が大丈夫なんだよソレ」


 心からの溜息を吐いたコウリンだが美少年は賛同するように頷いてくれた。


「義母さん、自己紹介もしてないのに酷いですよ。まずは素材として使えるか検査しないと」

「そうじゃねえよ! 一瞬でも共感してくれたのかと思った俺がバカみてえじゃんか!」

「アポ無しで他の人の仕事を理由に他人の家に入る人はバカ認定で良いと思います。もしくは不法侵入者」

「ぐ、正論」


 影の有るタイプの美少年の顔に騙されたが意外と言う方らしい。


「えっと、ジェーンの仕事仲間でコウリンです」

「ちっ、ジェンちゃんの仲間と言われたら無下にできねえか。所長のカレン・カブラギよ。新素材研究をしているわ」

「カイ・カブラギです。所長の息子で助手を務めています」

「お兄さんは電子工学系の高校生なんだよ。カレン先生が困ってた万事屋集会だと仕事頼み辛いって問題、解消してくれるかもと思って連れて来ちゃった」

「あらジェンちゃん私の事考えてくれるなんて嬉しくて泣いちゃいそう。娘に成らない?」

「ううん、成らないよ」

「いけず~」

「義母さんには僕が居るから子供はこれ以上は必要有りません」

「違うわカイ。良い女には良い子供が何人居ても良い。それが世界のルールよ」


 謎の理論を展開するカレンにカイは反論しているが少年も義母を独占しようとしているらしい。


「なあ、この人、マジか?」

「マジマジ。あ、腕は確かだよ。私の生態部品も2割くらいはカレン先生の発明が使われてるらしいし、ミズハが歯軋りしながら採用してたから」

「そう! その通り! ジェンちゃんのようにメカニカント率が高い人はどうしても人肌の感覚が薄くなりその非人間化が人間性を希薄にしてしまう! そんな半端な技術が世に蔓延るなんて世の理を解かんとする技術者が許してはぁ、成らないっ!! ならばっ、私にできる事は何? 新素材研究者にできる事は何? そう! 人間性を失わない生態部品を造りだし高いメカニカント率による非人間化を防ぐ事っ! よってクソガキ、アンタの生皮、剥ぐわ」

「少しでも感動したの後悔したわ」

「義母さんをバカにしましたし爪と眼球も頂きましょう。あ、右手の爪は改造品でしたか。売り物にならないし廃品回収業者を呼びましょう」

「倫理観を捨てちゃったのかねこの親子は!?」


 できれば『今後ともよろしく』したくない親子だった。


ττττ


 ジェーンの仕事内容はシンプルだ。

 新素材で作られた板が実験用のスペースに用意されており、測定の準備ができたら思い切り殴る。それを用意された板の数か、カレンが満足するまで複数回行う。

 いかに全身機械のジェーンでも殴るという行為では全く同じ衝撃を板に与える事はできない。板の置き方や踏み込みの少しの違いで板が受ける衝撃は変わってしまう為だ。


 ただ、カレンもそれは承知している。

 彼女は旧世紀の研究と同様に全く同じ理想的な条件による実験だけでなく実践的な状態での測定も必要と考えている研究者だ。理想的な条件の実験は別で行っており、ジェーンに頼んでいるのは意図的に状況が変化する状態での衝撃実験に成る。


 ただ、実験とは正確な測定が行えて初めて成立する。

 試験用板の配置条件はカレンとカイで用意できるが、ジェーンが生み出す衝撃をどのように測定するかが課題に成る。


「そう! だから、私は開発したのよ! ジェンちゃんの全身を余す事無く全て見通す専用測定スーツ! ジェーン・サーチャーVer18.8!」

「熱意以外の何を褒めれば良いんだコレ」


 実験室は壁の1面だけが防弾ガラスで研究所から観察できる部屋だ。防弾ガラス以外の白い壁も全て防弾仕様だ。


 その中央で台に乗った板に向けてジェーンはファイティングポーズを取っている。普段の黒いジャケット姿ではなくカレンがコウリンに紹介した通りの測定スーツを着ていた。事前にジェーンが言っていた通り体に張り付くピチピチライダースーツだ。

 ゴム製なのか完全に体に張り付き胸の形から尻の割れ目まで分かってしまい、ほぼ裸と同じ体のラインが見えている事になる。


「ジェンちゃんの魅力を余す事無く見れる事を褒めてくれれば良いわ」

「ああはい、それは本当にありがとうございます眼福です」

「あら素直」

「ヤベ」


 思わず素直に答えたコウリンが面白かったらしくカレンはニヤニヤと笑みを浮かべた。


「ま、ジェンちゃんの魅力はこれからよ。じゃ、始めましょうか」

「はい義母さん。測定開始します」

「じゃ、始めるよ~」


 台に置かれた金属質な板。

 それがジェーンの拳1発で凹み、2発で突き抜け、別の保持方法の板が追加される。

 板が保持される方法は台に置かれたり、四方からワイヤーで支えられたり、垂れたワイヤーに吊るされたりと様々だ。

 その全てをジェーンは拳2発で突き破る。


「支えも無い浮いた板に衝撃を与えてる?」

「へぇ、電子工学って言ってたけど物理的な実験が分からない訳じゃないのね」

「まあ、中学物理の範囲ですから」

「そうね。自慢できる事じゃないわ」


 最初からカレンはコウリンの事を認めていないしコウリンも1日も経たずに認められるとは思っていない。むしろここで褒められたら詐欺を疑うところだ。


「流石ジェンちゃん。今日も良いデータが取れそう」


 満足そうに計測結果を見るカレンの邪魔に成らないようコウリンは壁際に寄った。

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