4-8 フィールド・オブ・サウンド

 静佳を迎えに来た森川氏かと思いきや、ガレージの入り口に立つ人影は四つあった。右からきれいなクレッシェンドを描いている。四人のうち三人は「フィールド・オブ・サウンド」のメンバー、一番左にいる白メガネをかけた人物は音楽プロデューサーの水門だった。

 静佳はベレー帽をかぶった男、ドラムの土橋哲司に抱き着いた。土橋は戸惑いながらも人懐っこい笑顔で静佳を抱きとめた。静佳は土橋哲司とその隣に立つベースの別所博の手を取り、立華の方へと引いていった。数歩行ったところでギターの糸井和重がついてきていないと気付いた静佳は、戻って糸井和重の手をつかみ、立華のところへと引いて行った。

「立華、来たぞ」

 静佳に手を引かれる糸井和重の口から笑みがこぼれる。

「来たか」

 迎える立華も笑顔でいる。いつだったか、メンバーたちがやってきた時とは態度がまるで違う。

「水門さんもいることで薄々気付いているとは思うが、話というのは『フィールド・オブ・サウンド』についてだ」

「ということは、再結成を前向きに考えていると?」と水門が問うと立華はこくりと頷いた。

 水門は目を輝かせ、メンバーたちからはどよめきが起こった。

「そうだ。いろいろあってまた音楽をやろうと思っている。待て、まだ話は終わっていない」

 携帯電話を取り出し、誰かに連絡しようとした水門を立華が制した。

「条件がある」

「条件とは?」

「『フィールド・オブ・サウンド』の曲はやらない」

「それでは……」

 水門は言いかけた言葉を飲み込んで黙ってしまった。

「意味がないとでも言いたいか? プロデューサーとしてはそう思うだろう。求められているのは『フィールド・オブ・サウンド』の過去なんだから。だが、前も言ったように、俺はゾンビはまっぴらごめんだ。だから昔の曲はやらない。新しい音楽をやる。それでよければ『フィールド・オブ・サウンド』を再結成しようじゃないか」

 立華はぐるりとあたりを見回した。水門は渋い顔をしているが、対照的にメンバーは明るい表情だ。

「俺はそれでいいよ」と土橋哲司が笑顔で言った。

「俺も。新しい音楽をファンに届けられると思うとワクワクするな。きっと喜んでもらえるよ」と別所博が続いた。

「昔からのファンは再結成してくれるだけでも喜ぶんでしょうが、最近ファンになった人たちはどうでしょう……」と、水門は懐疑的だ。

「昔の曲が聞きたいのなら、音源は山のようにあるさ」と糸井和重は片目をつぶってみせた。

 やれやれと水門はため息をついた。

「そういうことですか」

「そういうことだ」と立華は水門のセリフを繰り返した。

「わかりました」と水門は覚悟を決めたかのように声を張り上げた。

「連絡する相手が増えましたけど、まあ、どうにかなるでしょう。どうにかします」

「ありがとう」と立華が礼を述べると、水門は携帯を手にそそくさとその場を立ち去ろうとした。その背中にむかって立華が声をかけた。

「ああ、水門さん。言い忘れるところだった。実は復活コンサートの会場をもうおさえてあるんだ」

 振り返った水門の顔が引きつっていた。

「どこですか?」

「公民館。日程は三月の連休」

「三月って、あと二か月もないじゃないですか!」

「そうだな」

「そうだなって……。ああ、また連絡する人の数が増えましたよ。しかも早急にときた」

 ああもうと口では文句を言いながらも携帯をいじる水門は足取り軽くガレージを出ていった。

「会場をおさえてあるって?」と糸井和重が言った。

「まるで俺たちが再結成に同意すると見越していたみたいだ」

「はじめに話を持ってきたのはそっちだ」

「あの時はお前は再結成を嫌がったじゃないか。それが今は再結成したいという。一体、どういう風の吹き回しだ?」

「歌の、音楽の力を目の当たりにしたからさ」

 立華は静佳を見やった。静佳は楽器とメンバーの間を行ったり来たりしていて、時折ギターの弦をつま弾いたり、ドラムを叩いたりしている。

「あの子、会ったことがあるだろう?」

「ああ、確か……」

 糸井和重が梓の方を向いた。

「君のバンドのメンバーだったね? 高校生だとか言っていた」

「はい、そうです。僕らのバンドのボーカルをしていました」と梓は答えた。

「『していた』?」

「はい……いろいろあって今は彼は歌を歌えないんです」

 梓の視線を追い、糸井和重が、別所博が、土橋哲司が静佳に注目した。

「歌が大好きな子なんだ。だが、事故に遭って意識を失ってしまった。死んだように生きていた彼を救ったのが、梓たちの作った歌だったんだ」

「立華さんの歌声も静佳を救ってくれました」と梓は付け加えた。

「夢中で歌ったよ。何が何でも梓たちのメッセージを静佳に届けてやるんだってね。祈るような気持ちで歌った。そんな風に歌ったのは初めてだった。俺たちは音楽が好きで――」

 立華はメンバーたちをぐるりと見回した。

「自分たちで楽しんだり、人を楽しませたりしていただろう? そのうちに音楽が飯の種になり、いろいろな人たちの考えを聞いて音楽をやっていかなくてはならなくなった」

「バンド名からして、他人の考えだったからなあ」と糸井和重がこぼした。

「バンド名?」と梓は好奇心から尋ねた。

「そう」と土橋哲司が、じゃれつく静佳を適当にあしらいながら言った。

「俺たちの作ったバンド名は『音子組』。音に子供の子に組と書いて『音子組』さ」と別所博が言った。

「『音子組』?」

 聞き覚えのある名前だった。「フィールド・オブ・サウンド」復活の話を持ち掛けられた時、立華は「音子組」というバンド名で新たに活動できるのならと水門にむかって冗談まじりに言った。その場で思いついた名前とばかり思っていたら、「フィールド・オブ・サウンド」の前身のバンド名だったとは。

「そんなバンド名は売れない、横文字にしろと言われて新たにつけた名前が『フィールド・オブ・サウンド』だったのさ」と、糸井和重が苦虫をかみつぶしたような表情で言った。

「俺たち、全員、農家出身なんだ。糸井と立華は小麦、別所はジャガイモが主な畑作、俺は酪農。『フィールド』は英語で畑、音は『サウンド』」と、土橋哲司が言った。

「曲にしたって同じだ。そんな曲は売れない、売れるようにこうしろ、ああしろと言われ、俺たちだって売れたい、食えるようになりたいという思いから、人の言うなりになっていった」と立華がため息を漏らした。

「一度でも人の言うことを聞いてしまうとおしまいだった。そのうちに、曲を作っていても人の声が頭の中で聞こえるようになっていった。人の声がうるさすぎて自分の声が聞こえなくなり、自分の声が聞こえなくなって歌が歌えなくなってしまった」

「立華の異常にはすぐに気づていたんだ。解散を言いだしたのは立華だったが、全員が限界を感じていたから解散は全員の考えだった。世間で言われている不仲だとか金の問題じゃあなかった。まあ、世間がどう思うおうと、何を言おうと俺たちにはどうでもよかったがな」と糸井和重が言った。

「静佳のために歌っていて、気づいたんだ。思いを伝えることの大切さについてね。俺には歌うことで伝えられるものがある。そう思ったら、また歌いたくなった」

 梓は、静佳の身に起きた出来事をかいつまんでメンバーたちに話して聞かせた。心無い言葉で愛する人を失ったが故に言葉を失ったこと、歌うことでしか思いを伝えられなかったこと、命を失いかけたものの奇跡的に助かり、梓たちの思いを歌にして歌ったところ意識を取り戻したこと……。

「歌の力なんだ。信じるか?」と立華が言うと、メンバー全員が頷いた。

「なるほど、それでまた歌う気になったってわけだ」と糸井和重が言い、立華が微笑んだ。

「意識は戻ったけど、言葉は相変わらずしゃべれないのかい?」と別所博が尋ねた。静佳は今は別所博にまとわりついている。

「しゃべれないどころか、静佳の世界に言葉というものはもう存在していません。彼にとって、言葉は音でしかなく、僕らの話しかける言葉は音としか聞こえていないみたいです。彼の世界には音しかありません」

 梓は、梓なりにわかっている静佳の状況について説明した。

「そういうことか。それで、さっきからいろいろと音を出してまわっているんだな」と糸井和重が納得していた。

 糸井和重の言う通り、静佳はギターだのベースだの、ドラムだの、あたりにある楽器を触っては音を出していた。楽器だけではない。暇さえあれば静佳は物を叩いたり、触ったりなどして音を出したがる。言葉を教えようと「あいうえお」を声に出して教えてあげて以来、静佳の習性になっている。

「全部、同じ音だね」と土橋哲司がぽつりと言った。「あ、いや、同じ音の組み合わせってことだけど」

 気づかないうちに合点がいかないという表情でもしていたのか、梓の顔を見ながら土橋哲司が言い直した。

「組み合わせはそのたびに違うんだけど、出している音はさっきから聞いているとずっと同じだよ。ド、レ、ミ、ファ、ソの時もあれば、レ、ファ、ソ、ド、ミの時もある。でも、結局、出している音はド、レ、ミ、ファ、ソの五音だけだね」

「そうだね。俺も気にはなっていた」と別所博が言い、糸井和重と立華も頷いた。

「僕、気づきませんでした」

「ずっと聞かされていると気付かないかもね。区切りがないから、ファ、ミ、ド、レ、ソ、ソ、ドと聞かされたらわかりにくいだろう。でも、結局、使っている音は土橋の言う通り、五音だけだね」と糸井和重が説明した。

 なるほど、と梓は静佳がたてている音に注意してみた。言われてみれば、はちゃめちゃに音を出しているようで静佳は決まった音程の音を出し続けていた。その組み合わせ、はじまりの音はその都度異なるものの、出している音は五種類に絞られた。

「彼、何か言葉を言おうとしているんじゃないの」と別所博が言った。

「僕もそう思います」

 興奮のあまり、梓の声が震えた。静佳には五十音を音で教えた。その音から五十音の文字を逆引きすれば何を言おうとしているのかがわかるかもしれない。

 梓が頭の中で文字を逆引きしている間も静佳は子供のようにあたりを歩きまわって音を出し続けていた。

 音から導き出した文字は、「め」「こ」「い」「な」「さ」。そのまま組み合わせたところで意味のある言葉にはならない。言葉になる組み合わせ方があるのだろうが、無数にある組み合わせから静佳が言おうとしている言葉にたどり着くことは至難の業と思われた。

「よほど言いたい言葉なんだろうね」と土橋哲司が言った。

「それか、言葉に出来ない思いなのかもしれない」と糸井和重が返した。「覚えがあるだろう? 若い頃、言葉に出来ない思いを音にしていた」

 ふふふと、青春時代を懐かしんだメンバーたちから笑い声があがった。

「面とむかって言いにくいことや照れくさいことは花に託すことも出来るぞ」と、花農家らしく立華が言った。

 花にたくす……梓の頭の中で電光のようにひらめいたその考えは、静佳を迎えにきた森川氏の声によってかき消されてしまった。

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